2011年7月30日土曜日

子ども・ことば・授業 第20号 ひろい読み1

「第13回授業づくり・学級づくりセミナー」のテキストである「子ども・ことば・授業 第20号」から学んだことを書いてみます。

【5 どうしていますか、授業の振り返り】から

 石井先生は、教師の専門性開発につながる経験、それは振り返りの経験だと言われます。私もそう思います。授業をやりっぱなしにするのではなく、しっかりと振り返りることが重要だと思います。 「自分を見つめない経験では何も生まれない。」きびしい指摘です。
 振り返りをしっかりしたものにするために、「文字」にすることが必要であると言われます。ここで、「文章」としないのは、文章というと大げさになり、続かないからだそうです。でも、時にはしっかりと文章で残すべきだと思います。さらに、事実から学ぶという点から、いまではビデオやボイスレコーダーといった便利なものがあるので、それらを活用することも効果的であるといえます。

 振り返りの結果、さまざまなことに気づきますが、そこから学ぶことが重要です。そのための心がまえなどについて以下のような点が指摘されていました。

 ○授業がうまくいかなくても、結果から逃げずに、そこから学んだことを次につなげていくこと。
 ○事実に出会わない限り教師は変われません。授業は、授業がよく見える人にビデオ撮影をしてもらうとよい。
 ○テキストをしっかりと読み込むこと。
 ○実践者としての課題が見えることは幸運なこと。次の挑戦課題が見つかるから。
 ○教師が教師として成長するには、実践するしかない。
 ○教師は、事実に謙虚であること。うぬぼれと自己弁護、安易な模倣、そして、徹底的にやらないうちのあきらめは何ももたらさないということ。

 この最後の「徹底的にやらないうちのあきらめ」という言葉が印象的です。これは案外多いぞと思います。事実から謙虚に学ぶこと。ボイスレコーダーくらいはいつも持っていないといけないなあと思いました。
 
 
 
 

2011年7月29日金曜日

第13回授業づくり・学校づくりセミナー

 7月28日(木)「第13回授業づくり・学校づくりセミナー」に参加しました。昨年は2日とも参加したのですが、今年度は都合により1日のみの参加となりました。(残念!考えてみると29日の午前中は参加できた?町内の研修はパスしてもよかったかな、結果的に。なんていうと叱られるかなあ。でも、実践聞きたかったなあ。)
 毎年、このセミナーに参加して、力をもらっています。これで、1年、がんばれるぞって感じです。佐藤先生や秋田先生の話は明確・的確で、また、石井先生の話は人柄がにじみ出るようで。参加の先生方も大変熱心で、この心地よい空間にいつまでもいたいと思わせてくれます。全国から800名の参加がありますが、席が前の方から埋まっていくのもこのセミナーの特徴です。

 セミナーで印象に残ったことを書きます。
○言語活動ということばはかたいなあ。言語活動っていう人は、キャッチボールのように言葉をずばっと 投げて、ずばっと返すもの、そんなイメージで使っている。しかし、ことばは、「のりしろ」のようにつな
 がっていくもの。やわらかいことばでつながろう。
○「じゃあ」「ねえ」を子どもが使う教室に。でも、先生は使わない。「じゃあ」を使う先生は、教師主導でま
 とめる先生。
○一人一人のことばをしっかり聴くと、子どもの名前が出てくる。(教育実践に、実践記録に)
○言語活動は、PISA型読解力に対応したものであろうが、短絡的で、根本を見ない発想である。な
 ぜ、日本の子どもたちが本を読まなくなったのか、なぜ、追求ができなくなったのかを考えることが重
 要。
○学び合いの授業では、グループ(ペア)を基本に、ときどき全体(一斉)を入れるくらいでよい。
○文学は、読み取るのではなく、味わうものである。
○発言する子どもが偏っている授業の原因は、教師の教材分析の甘さに原因がある。
○グループは4人が基本。4人は1人になれる。1人になって、自分と対話できる。
○一人でやらせない。学校中で、一人でやらせていいのは「テスト」だけ。
○学級の関係づくりができないと、学び合いの授業はつくれないというのはうそ。むしろ逆である。
○学び合いと話し合いは別物。グループでは、まず、分からない人から発言してもらう。
○つぶやき、もやもや、たどたどしいことば、あいまいな言葉に敏感にこたえること。

 これでは、断片過ぎてなんのことかわかりませんが、もう少しくわしく知りたい方は、佐藤学さんや秋田喜代美さんの本を読んでみてください。わたしとしては、こういう視点で授業をみることが課題だと思っています。
 「単元構成を作成し、言語活動を明確にして、そこに向けて1時間1時間をつなげていく」というような取り組みを進めているわけですが、これもある程度やってくると、形式的になってくるのは目に見えています。そうすると、1時間1時間の授業で、本当に力がついたのか、子どもたちは学び合っているのか、こういう視点が結局今後重要になってくると思います。

 「一つの花」もとりあえず発表に向けて全体的な評価(意味づけ)をしたのですが、実は1時間1時間の授業の分析が残っています。あまりに達成感が低かったので、とりあえず授業の中身にはふれずに全体的な分析をしたのですが。ただ、今日いただいた文章にはそのあたりがまだなかったので、さきにやるわけにはいかず。それはまたいつか。いつになるのでしょうか?とりあえず、テープ?おこしをしておこうかなあ。

2011年7月25日月曜日

一つの花 まとめ4

【学習活動の感想から】
 今回の活動、とりわけ本の帯づくりに取り組んだ子どもたちの感想をまとめてみると、
①全体として、工夫して取り組めたという感想が多かったと思います。内容だけでなく、色や 文字と絵の配置などにも気を配って書けていたようです。また、半数以上の子どもが印象に 残った場面を帯に書くことができたと書いています。今回はうまくできなかったけれど、次 に書くときにはもっとがんばりたいというような感想を書いている子どももおり、今回の活 動に興味をもって取り組んでいたことがわかります。
②帯を作るという活動をとおして、一つの花という作品の内容がより深くわかったと書いてい る子どもがいた。印象に残った場面を再確認したり、あらすじを書くことをつうじて、話  の内容を再確認したいるすることができたからでしょう。この活動を取り上げてよかったと いうことなのでしょう。
③課題としては、1/3程度の子どもが、帯に印象に残った部分を書けなかったと答えていま す。また、数人ではありますが、あらすじを書くことがむずかしかったと答えています。あ らすじについては、授業中、書き方がわからないと質問してくる子どもが多かったように思 います。あらすじの書き方についての指導が必要であったといえます。「書きなさい」とい われても書 けないということですから、これについて、要約の指導と考えた場合、どの学 年の、どの単元で指導すべきことなのかを明らかにしたいと思います。

【教師の総括】
 授業記録、子どもたちの感想、帯づくりの感想などのデータがそろったら、いよいよ教師の総括、反省やまとめ、課題等をまとめる段階です。ここには、他の人の意見は参考にせず、是非、指導者でまとめていただきたいと思います。それを報告の、あれこれと説明したあとの最後にふれていただけるとすばらしいと思います。また、文章にまとめていただいて、読ませていただきたいです。(こんな風に言うと、試されていると思わせてしまうのが常のようですが、決してそうではありません。それはいつもそうです。授業の話をするときは対等だと思っていますので。読んで、コメントもしませんので。)

【私の総括】
 是非、自分でまとめてくださいと書いているので、今書くのは止めようかな。29日までに はまとめられるだろうと思いますので、それ読んでから、これは書きます。

【今日の本】
「『ぬすみ聞き 運命に耳をすまして』グロリア・ウィーラン:文 ももうちすみこ:訳 光村教育図書:刊」
 奴隷の子どもたちには、一日の仕事が終わった後に、大切な仕事が残っていました。それは「ぬすみ聞き」。だんなさまもおくさんも、肝心なことは、何一つ奴隷に教えてくれないのです。ある夜、新しい大統領にエイブラハム・リンカーンが選ばれたという知らせが届きます。「おれたちも自由になるんだ。よろこびの日がやってくるんだ。」お父さんは叫びます。みんなもう大喜び。「もうぬすみ聞きはしなくていいの?」そう私が聞くと、お父さんは・・?
 帯風に書くと、今感じですかね。

2011年7月22日金曜日

一つの花 まとめ3

 実践のまとめをする、実践記録を書く、実践記録にまとめるとはどういうことなんだろう。

「教育実践記録論 坂元忠芳:著 あゆみ出版:刊」たとえば、こんな本があります。1980年に買った本です。当時でも教育実践には、第三者が写真やテープなどを使ってまとめるものもありましたが、この本が問題にしている実践記録とは、『教師自身が書きことばを使って自己の実践を対象化したもの。「教師の生活記録」としての実践記録』です。当たり前ですが、当時はまだ教師をめざしてはいたものの教師ではありませんでしたので、教育実践とは何かというようなことを学ぶために読んだのだと記憶しています。学生ですので偉そうな感じですが。
 この本で取り上げる実践の特徴は、教師自身が、記録をとおして自己の教師としてのあり方をも対象としてるところです。教師自身の気づき、教師の学び、教師自身の変容、子どもにはたらきかける教師自身の思いとそのはたらきかけとその結果の事実を記述するのだそうです。
 こうした実践を書くためには、記録の「素材」が必要です。例えば、それは先生のノートなんだと思います。これは、あえて見なかったのですが、多分授業の前に書く部分が多かったのではないかと思います。そこに、子どもの動きや感想も書いておくといいのだと思います。その他、感想などをまとめたものや授業記録のデータなどもあります。授業中のワークシートなどもよいものは一部残しておくと参考になります。今回のまとめには、ほとんど役に立たない内容かも知れませんが、いずれにしても、教師自身や教師自身の指導を対象にしない実践のまとめ・記録はないということが重要です。是非、業務的な報告とは別に個人的にまとめておかれることをお勧めします。なお、子どもや保護者の感想、帯のデータなどは印刷物しか渡してないので、データも送っておきます。といっても、学校のパソコンに入っているので、明日学校から送信となります。

【学習活動の感想】
 こういうことを先に書いたのは、ネタがなかったからでして、子どもたちに書かせた「学習活動の感想」をどのようなものだったかわからないからです。まとめてあれば(まとめてなくても)見せてください。本の帯づくりの感想はまとめをする上で重要です。



2011年7月18日月曜日

一つの花 まとめ2

【感想を読んで】
 初めの感想と終わりの感想を並べてまとめてみました。そして、帯に書いたあらすじと印象に残ったところ(キャッチフレーズと呼ばれているもの)を比べて読むためです。感想文は個人的に修正した部分もあるのですが、よくないかなあとも思います。両方ともおいておきます。データは修正したものですが。
 初めの感想は、よくこんな短い感想を書いたもの(失礼?)だと思いましたが、終わりの感想ではかなり長文になっていいます。それだけでも指導が入ったことがわかるわけですが。もっともっと書けるだろうと思うわけですが、それは今後の課題かなあ。本の帯に書いている内容と感想とはリンクしているようで、そのあたりもしっかりできたかなあと。
 あと、細かいことですが、感想文については、いくつか課題もあります。文章表現上の間違いです。例えば、文末表現。「一番心に残ったところは、・・・・・が、心に残りました。」、「理由は・・・・・が理由です。」「・・・だからです。」と書いていない文章があったり、書き言葉で書いていない文章や「〜たり・・・〜たり」が使っていない文章などがあります。これらは、今直さないとしっかり覚えることができません。
 帯にも常体と敬体の混在など間違いがあります。マジックで書いており直すのはむずかしいのですが、これも必ず訂正させましょう。あと、レイアウトの指導も必要でしたね。このあたりも何気なく書かせるのではなく、文章をどこまで書くのか、どこで改行するのかということは読みやすさにもつながってくるので重要です。センスのある書き方というのがあるはずです。内容がよかっただけに残念でもあります。直すといいのでしょうが、もう無理かな。

【学習の感想を】
 ここまで書いてくると、学習活動として、少しやり残した感があります。例えば、感想文や帯の直し。時間がとれない気がしますが、やらないと同じ間違いを繰り返してしまう気がする。せめて、説明して自覚させる必要があるのでは。そう考えると、学習活動として取り組んだことに対する感想(自覚・気づき)が必要ではないかと思います。つまり、終わりの感想として、物語についての感想は書けましたが、帯に取り組んだ感想(自己評価、できばえについての評価、やってみてどうだったか、よかったのか、楽しかったのか、ためになったのか など)、そもそも今回のような学習に対する感想、一つの花の学習で先生が意識して取り組んだことに対する感想、児童の成長への自覚の感想(初めの感想と終わりの感想を読んで、どう思ったか、疑問に思っていたことが解決したのか など)です。これはもしかすると以前にも書いたのではないかと思う気もするのですが、読み返していないのでわかりませんが。このあたりをつかまないと、実践をまとめる上での、教師自身の評価ができないのではないか。(教師はこうやった→子どもはこう思っている→成果や課題)。このあたりはもしかすると意識的に外しているのかも知れませんが、是非必要です。項目を指定してでいいので、ぜひ書かせてほしいものです。眠くなってきて、文章にまとまりがなくなりつつあるので、このあたりで終わりです。
 





 

2011年7月15日金曜日

一つの花 まとめ1

【親子読書ー保護者の感想】
 これはほんとうによかった。たくさんの方に書いていただいた。そして、内容もよかった。保護者の意見を受け止めて感想を書いている児童が少なからずいたこともよかった。なかには、家庭で親子での会話が生まれていたかも知れない。そんなことを考えるとワクワクしてしまう。
 これが可能なら、できたなら、たとえば、授業参観日などに保護者も参加して授業ができるかも知れない。以前、少人数の学校で1度だけやったことがあるが、グループに入ってもらって話し合えたらきっと読みは深まるだろうなあ。保護者にとっても、ただ見ているだけより楽しいのではないか。子どもたち同士よりも「聴きたい」という気持ちも増し、より意欲的なものになるのではないか。その可能性を探ってみたのですが、思ったより反応がよくてうれしかったです。
 こういうのを子どもたちに読ませることも大切だと思いました。

【本の帯】
 終わりの感想とどの程度リンクしているかを検証する必要がありますが、ほぼ完成したようで全部読むのが楽しみです。これは、「引用」と「要約」の学習と思うのですが、「引用」ではいまのところ、「一つだけちょうだい」の口ぐせ、お父さんの最後の言葉のあたりが多いようです。ここは比較的うまくできました。「要約」には、少し苦戦していたようです。授業に入って子どもと話していると、「要約」や「あらすじ」の書き方がわからないようでした。それだけではないかも知れませんが。このあたりは、やはり指導が必要ではないでしょうか。どうやってあらすじを書くのか、あらすじって何?と。自分自身もくわしくは説明できませんが、自分なりに教えておきました。同じようなことは、今回授業を見ていて、何度か感じました、教えるべきことはきちんと教えることの大切さとでも言いましょうか。考えてごらんだけではできないことが多いと。はじめー中ー終わりを簡単に書くとか、初めのゆみ子と後のゆみ子の成長ぶりを書くとか。具体的に教えないと書けないと。
 そんなことを考えていたら、ふと昔聴いた「大村はま」さんの講演を思い出しました。「戦後の国語教育の最大の失敗は、教えない先生が増えたということです。」2002年の講演ですが、大村さんの口から戦後の・・・という指摘があるところが大変意外だったと覚えています。大村さんが言うからとても説得力があるといえます。説教みたいと思わずにきいてみると参考になるかなあ。データどこにあったかな。本にもなっていますが。講演の一部なので10分くらいです。

 感想文や帯をデータ化して、実践をまとめておくと、今後の参考になると思います。実践を報告しなければならないようですが、それまでにいろいろとしなければならないことがあるようです。これについては、また今度。とにかく何日ぶりかなあ?少し余裕ができつつあります。
 

2011年7月10日日曜日

感想文

【親子読書】
 これについては、指導計画を検討する段階から是非やりたい(やってほしい)ものでした。
 1つは、単純に親子で作品を読むことで、子どもたちの読みが深まったり、保護者の学習内容への関心と理解を深めることがねらいです。
 2つめには、実は保護者の世代はこの作品を学習しているはずです。したがって、お父さんはこう読んだ、お母さんはこう読んだという会話ができるのではないかといいうことを期待したことです。
 3つめは、戦争中という時代背景に少しでも近い世代の保護者の意見を聞くことで、より作品の世界に近づけるのではないかとうことです。
 4つめには、保護者の児童一人一人に対する思いを聞くことで、ゆみ子のお父さんやお母さんの思いと重ね合わせることができ、さらに、いつの時代も親の願いや思いは同じだなあと思うことができるのでないかと期待したからです。
 明日の朝が本当に待ち遠しいです。ただ言っておきますが、書いてくれない親もあると思いますよ。そこはくさらないように。間違っても悪く言わない(思わない)ように。お願いします。

【感想文】
 少なくとも、これまでに書いたことにないくらいの量を書かせたいと思います。そのためには、いくつかの観点を与える必要があります。できれば、原稿用紙に書かせたいものです。
 さて観点ですが、思いつくままにあげてみます。
①一番に印象に残ったところを抜き出し、その理由を書かせる。2つ以上あれば、それも   書かせる。→ これは、帯に直結する。
②不思議に思ったことや疑問に思ったことがあれば、そこを抜き出して、その理由も書かせ  る。
③お父さん、お母さん、そして、ゆみ子にひとことを書かせる。
 ・はじめとあとのゆみ子をみて、どう思うか。また、励ましの言葉。
 ・天国のお父さんが今のゆみ子を見たら、どう思うか。
 ・もし、お母さんがゆみ子にお父さんのことを話すとしたら、どんなふうに話すか。
④親子読書の話し合い?や保護者の感想を見て思ったことを書かせる。
⑤戦争について思ったことを書かせる。
⑥授業、吹き出しを書いたり、詳しく読んだりしたことへの感想を書かせる。

 本当は、少し欲張って、「わすれられないおくりもの」を読み聞かせ、おとうさんが亡くなっても、その思いはいつまでもお母さんやゆみ子の記憶の中に生きつづけるということにもふれてから書かせてはとも思ったのですが、時間がないので「ヒューマン」で読み聞かせします。授業とは関係なく。本当、最後の感想のところは自分でやってみようかなと、ふっと思ったりしたのですが、4時間目はプール監視も入っているのであきらめます。やっぱり締めはあなたでないと。ということで、優秀な助手の面倒をよろしくお願いします。金曜日の授業を聞いていて、話し方など、多少意識されている(いやがっている)感じも伝わってくるのですが、すみません。

【帯】
 帯は、本を貸しますので、それにあわせた方がプレゼンがしやすいと思います。一つ一つ本につけた状態で写真を撮ることもできます。子どもたちが、待ち望んでいる活動だと思うので、盛り上がっ(け)て、素敵なものができますように。期待しています。字数を決めるのはいいことだと思います。


2011年7月8日金曜日

一つの花 3場面

 今日の2時間は昨日と一転して、大変自信に満ちあふれた?授業となりました。高い高いのあたりのふりかえりなど、語る語る。曖昧だと子どもがぶれるというようなことを書いた気もしますが。しかしあまりに自信にあふれているため、若干間違いもあったようです。例えば、ミシン。これは足で踏むタイプのものです。内職の話。戦後10年、母と子が親戚もない中、トントンぶきの家に住んで、2人で食べて行くに当たっては、相当な苦労があったことと思います。平和になり、やっとなんとか2人が食べていけるだけの仕事にありついた。それが縫い物の仕事。決して裕福ではありませんが、そこまでたどり着いたと言うことなのでしょう。今から見れば、内職程度の収入の仕事と思うのにも無理もありませんが。逆にその程度の仕事でくいつないでいるのでしょう。

【3場面には一つだけという言葉がない】
 これはいい指摘であったと思います。「どうして一つだけがないのか。」と問うことは、明るく平和なイメージを印象づけたと思います。

【まとめ読み】
 そこで明日のまとめ読みです。指導案はあると思うので、こんなことに触れてもいいかなあと思うことを何点か書きます。
 ①「もしお父さんが今のゆみ子を見たら、どう思うだろうか?」と問うてみる。
 ②「一つの花が何を象徴しているか?」を考えさせるために、この作品に他の題名をつけて  みて、比べてみる。
   例:「コスモスの花」でもこれは誤解というか混乱しそう。「お父さんの出兵」、「ゆ     み子とお母さん」、「ゆみ子とおにぎり」、「10年後のゆみ子」、「ひとつだけ     ちょうだい」など。どれもよくない、混乱しそう。邪道ですが、あの子たちに漠然     と考えさせてもむずかしいので、こんな方法のありなのではないかなあ。

【親子読書】
 今日は金曜日、是非親子読書の宿題を出してください。できれば、2組も。
 ①家庭で保護者に音読して聞かせる。
 ②いつくかの質問をさせる。
 ③最後に親子で感想を書かせる。
  

 追伸 
   「親子読書」の文書は、Gmailで朝までに送付します。適当に直して使ってください。
   実は突然のハプニングがあり、明日の午前中年休をいただきたいので、午前中打ち合わ   せはできないので、参考になればどうぞ。

2011年7月7日木曜日

解釈の修正

 文章の意味を正しく読むことを「理解」とするなら、その理解ののち、自分の内面から意味を補充し、自分なりの読みを構成することは「解釈」と言えます。この解釈の要素には「体験」と「経験」があります。子どもたちがぐずったときに親がどのようにあやしたかというような経験の差が解釈には大きく関わると言うことです。
 同時に、今の子どもたちは自分に固執する傾向があります。いったんある方向で読むと、なかなかそれを修正しようとしない。

【解釈の修正】
 自分の読みを修正することが苦手、自分の思いが跳ね返されたり、見直しを迫られありすることがほとんどない子どもたち。それゆえに、友達の読みと自分の読みを比較して、よりよい読みに修正する体験は重要です。自分よりも価値のある読みに出会えたときにそれを素直に受け入れたり、そこから学ぶべき内容を学び、自分の読みが高まってくることを実感したりすることは重要です。

 昨日の授業をみていて、そんなことをぼんやり考えていました。「友だちの意見から学ぶことがあったら本当におもしろいんだよ。」って、子どもたちにつたえてあげたかった。
 で、どうするかなのですが、作品の世界に入り込めるように場の設定や教師の多少の誘導(その気にさせる)もありかなあと思います。子どもたちを引きつけるような話術も必要だし。また、担任でもなく、クラスの誰かでもない、第三の話者の意見として、模範解答的な意見、考えさせる意見を紹介する方法もあります。たとえば、先生がまえに指導したときの児童という設定で。先生はこう思うというのを出して、話し合うこともできるなあ。
 しかし、児童の経験や体験の差は埋められない気もするし、そういうものにもとづいたものは現時点で尊重しなければならないのも事実ですが。あまり強引にはできないのでしょうが。

 とにかく、先生の思いや願いは必ず伝わると思いますので、くさらずにもう少しがんばりましょう。子どもたちにとっても、いまううんと考えたことがあとでわかることもあるので。このううんと考えたという経験が先生にとっても子どもたちにとってもよかったなあと思えるように支援したいと思います。迷う場面のあるのですが、なにごとも前向きに明るくが信条ですから自信をもってやりましょう。先生が迷った顔をすると、子どもたちも不安になります。「さあ、考えるよ。」って感じでやりましょう。わあ、もう7時だ。

2011年7月6日水曜日

一つの花 2場面後半−2

【混乱】
 ゆみ子を一生懸命あやすお母さんの気持ちを吹き出しに書いたわけですが、うまくいかないようです。授業を見ていたわけではないので、そこにどのようにして至ったのかはわかりませんが、吹き出しだけを読むと、約半数は「おとうさんに泣き顔を見せたくない気持ち」を書いているのですが、「あとで何かあげるから泣き止んで」といった吹き出しやお母さんの「バンザイ」や「かっこいい」といった言葉を真に受けているかのような吹き出しもあり、これまでの学習とつながっていないと感じるものが少なからず見られました。このあたりは、早々に修正が必要です。

【戦争】
 子どもたちに戦争や戦時下の生活などについて理解させることは大変むずかしいと改めて思います。この原稿用紙7枚程度の短い作品は非常に精選された文章であると思う一方で、文章に即して読むために書いておいてほしいことがあまり書いていないのではないか。だから、子どもたちは勝手に想像してしまう。その想像を許して(認めて)しまうと、この時代を理解できない子どもたちは、どんどんとわけのわからない方向に行ってしまう。「見送りが終わって帰ったら、何でも好きなものを買ったげる」というように。文章にも戻って考えようと言いたいところですが、そのあたりはしっかり書いていない。そうすると、ある程度先生の方で軌道修正が必要になる、これは仕方がないことなのでしょう。「これが最後になるかも知れない別れ」の場面でも。

【お父さんの行動】
 ということで、昨日の吹き出しについては修正し、もう一度書くことにして、問題はそのあとの、お父さんの行動や言葉の読みです。昨日の吹き出しのことを考えると、先生が引っ張る部分がかなり必要と考えます。「どうして、コスモスなのか」「どうして一つだけなのか」「なぜそんな偶然見つけたような?コスモスを大事にするんだようと言ったのか」などなど。
最後の場面のコスモス畑が印象に残っている子どもは、ダッシュの続きに、「花を増やして遅おくれ」なんて書きそうです。ここでも、この場面でのお父さんの切迫した気持ちに思いをはせないと、いや「はせる」ように持っていくことが重要です。そうすると、「コスモス」にはあまり意味はない、「一つ」と「花」に意味がある。ただし、一つはゆみ子の口癖をまねしたという部分もあるかも知れない。そうすると、「花」なのでしょうか。「花」=「ゆみ子」=「命」。そうすると、コスモスを見つけて渡すという行為はたまたまかも知れないが、それをあげるときには、ずっと思っていた「命を大切にして生きていてほしい」というような思いが表れていると。そうすると、1場面の「高い高い」、文子の将来に対する不安あたりからつながっている思いが、この偶然といえる行為と結びつくことになります。このあたりを考えさせる上で、昨日書いた主題に迫る発問が是非必要ではないでしょうか。『ゆみ子が大切にしなければならない「一つ」のものって何でしょう』というように。「花」=「ゆみ子」=「命」であるならば、それはお父さんの命でもあります。ゆみ子に生きてほしいと同時に、自分も生きて帰りたいという気持ちが当然あるはずです。このあたりが、「ゆみ子のにっぎている、一つの花を見つめながら」の読みにつながるとうれしいのですが。いずれにしても先生の誘導も必要な気がします。
 しかし、この時間の書き込みでは全く参考にならないかな。急いで書いたので、文章を読み直していません。おかしいところがあるかも知れません。とりあえず、吹き出しまでいけば、、、、。

2011年7月5日火曜日

一つの花 2場面後半−1

【戦争】
 2場面後半の1。「の1」になってしまいました。戦争のイメージづくりに随分と時間がかかってしまいました。子どもたちは、戦争についてあれこれと知りたいことがたくさんあるようで、これは仕方がないのかなあと思います。指導者も自信がない部分でもあります。社会科ではないのでといいつつも、もう少し戦争について理解しておく必要もあるかも知れません。例えば、この戦争は侵略戦争であること。したがって戦争に行くとは「外国」にでかけていくのだということ。(もちろんそうでない場合もありますが。)また、当然のことながら、人と人の殺し合いであること。子どもたちは、飛行機同士が撃ち合い、どちらかの飛行機が落ちるようなイメージしかありません。少なくとも指導者は理解しておくことが重要です。

【解釈】
 しかし、今日の授業では、これまでより指導者の教材研究がスッキリとしていた感じがありました。授業の前提として、教師は教材を自分なりに解釈しなければなりません。自分で解釈しないで、人のつくった解釈をもとに授業をしても(発問しても)実践としては深いものにならない気がします。子どもたちを読み手に育てるためには、まず教師がよき読者(読み手)になる必要があります。もちろん、それだけで、よりよい学習ができるわけではありませんが。(授業論も必要になるです。)あとから話していてわかったことですが、何度も何度も教材を読む中で、自分なりの解釈の方法を思いついたようでした。これが、すごい。いつも思うのですが、この先生の場合、ある種とても頑固な人なので、「一つの花」の解釈本や私などの意見は一応参考にしつつも、物まねは嫌いで、なにか自分なりのもの(納得できるもの)をつくらないと気が済まないようなところがあり、そこがいいところなのでしょう。(当たっていないかも知れませんが。)もちろん、まだ悩んでいるところもあるようですが、それはさておき。

【作品の意味づけ】
 とりあえず、明日の吹き出しとお父さんの思いについて考えるところまでは、なんとなくめどが立ったわけですが、この物語が内包する意味やテーマについて深く読み取るための手立てがまだ見えません。文脈にそって心情をおさえるだけの発問では不十分です。3場面を読み終えた段階で、「一つの花が意味することは何か?」「コスモスの花は何を表しているのか」「作者が伝えたかったことは何か」というような課題について考えさせ、それを話し合わせることが必要と考えます。これは例ですが、学級の子どもたちにあった、子どもたちが考えやい課題の作成をお願いします。これは担任にしかできません。それが、帯の中核になるはずです。

2011年7月3日日曜日

吉越式クラウド仕事術


【今日の本】「吉越式 クラウド仕事術」吉越浩一郎:著 アスキーメディアワークス:刊
 夕方、本屋に立ち寄って衝動買いした本。これくらいの時間で読めるなら、2日ほど立ち読みすれば読めるか。なら、買うこともないような気もするが、まあ、吉越さんのファンなので。そして、きっとEVENOTEやG-mailの新しい使い方の参考になるかなあと思って。とりあえず、気になったところを書き留めておくと。
①G-mailやMacは仕事に使えないという人について、『「使えない」と言っている人のほとんどは「使えない」のではなく「知らない」だけだ。』 → そうなんだと思う。いまだにMacは使いにくいと信じている人やPCならAndroidだと思い込んでいる人も多いように思う。
②いただいたメールの末尾が@gmail.comになっていると、「おお、やるなあ」と思うことが多い。 → Gメールのよさはもっともっとみんなに知ってほしいと思う。
③EVENOTEでは「ウェブクリッパー」が便利。 → ウェブのアドレスをコピーしても、新聞記事などは更新されていて読めないこともあるが、これならスクラップブックと同じに使えて便利。スマートフォンの人は、いやパソコンを使っている人は是非導入しましょう。ほかにも、便利は機能があります。

最後はお得意の仕事術の話。
④部下をやたらに飲みに誘う上司で仕事のできる人間はいない。できる上司は部下を「子分」にしたりしないものだ。自信のない人ほど、人を誘いたがり、誘われるとついていきたがる。会社の中で一匹狼として、生きていく強さを持つべきである。
⑤「ホウレンソウ」で出世した人はいない。報告のための作業は仕事ではない。本来やるべきはその仕事を高いクオリティで早く完成することなのだ。
⑥社内で「パワポ」を使う会社はじきにつぶれる。「報告」の準備は「何の報告か」と「結果」、企画書なら「問題点はなにか」「解決するために、いつまでに何をするか」の2点のみ。これならA41枚で足りる。本来2ページですむものをごていねいにパワポで作ったりすると、その報告書の問題点をカバーしてしまい、問題点が見えにくくなる。「パワポでごまかすことになり」、「ぼんやりと責任を分け合ったような気分になる」これが危険。
⑦会議で「報告」と「議論」をしてはならない。会議は仕事上でもっとも大切な「判断」の場である。 → ううん、頭が痛い指摘。
⑧「ブレスト」なんか今すぐ止めろ。やたりに「ブレスト」をしたがる人に優秀な人はいない。本来ならひとりで判断できるからだ。 → 最近のこの点を強く感じることがあったので、長々と引用しておく。
『当たり前である「決定権」を持った人がいないからである。あるいは、実は「決定しなければならない立場」にあるにもかかわらず、自信と能力がないために「みんなの意見を聞きたい」と言って関係者らしきメンバーを招集してしまうのだ。そこで、繰り広げられるのは、いったいいつ終わるのかもわからないような「ワイワイガヤガヤ」である。』 → そもそも「ブレーンストーミング」は結論を出さないことが鉄則ですよね。最終的な判断はトップが行う。そのトップからおまえに任せると言われた人は自分判断しなければならない。複数担当制の問題も同じである。みんなでみんなでといいつつ、要は、後で自分だけ責められたり、自分だけで責任を取るのがいやなだけのように思える。遅くまで会議や打ち合わせをして、身体をこわしたのではどうしようもない。おっと、このあたりにしておこう。ところで、この本の帯もよくできているなあ。

2011年7月2日土曜日

一つの花「第1場面」

 授業を見たら、きちんと思ったことを全部言わないといけないということで、第1場面の感想です。
 今日、授業の記録(ボイスレコーダー)を編集していて感じたこと。まずは、子どもたちの声が大きくて、盛り上げていたところという観点から。①最初の音読の場面。全員が声を出していたので当たり前ですが。ただ、研究会では言わなかったのですが、読む早さに感心しました。よくしつけ?られていると。たぶん速すぎるという声も聞こえてきそうですが、妙にゆっくりとして一本調子なのよりはよいと。個人的にはいいと思いました。②高い高いの話題になったとき。このときが一番つぶやきがたくさん聞こえました。一人一人が自分の経験をもとに、高い高いについて語っていてとてもおもしろい。指導者は、「ことば」をおさえることに必死でしたが、一人一人の経験に基づく「高い高い」の話を発表させながら、動作化などを交えて書かせたらと思うと、少し残念です。再度書かせてはと思います。例えば、お父さん役とお母さん役に分かれて、会話文を読ませるなども有効です。事前の指導案の段階で「お父さんになりきって」という部分を削除させたのが悪かったかなあとも思うところです。意味合いが違うのですが。このあたりは、最後の詰めが甘かったところですが。人の話をきかいないようできくという、むずかしいとこでもあります。
 研究会でも話したように、「一つだけちょうだいといえば、なんでももらえると思っている。」ことを、どうしてかわいそうというのか。授業の中では、教師のおさえはできていると感じますが、初発の感想でこのあたりが理解できていない子どもが本時でどう変わったかをおさえておく必要があります。また、ゆみ子を不憫に思う気持ちも再度おさえておいた方がいいかと。
 放課後話していたことは本当です。普通の授業のこと。教師の声の大きさや調子は授業に大きな影響を与えます。普段と変わらない声の調子で授業が進められたので、子どもたちとのやりとりが非常に自然でした。なかなか研究授業というとこうはいかないものです。普通すぎる部分もあってはらはらしますが、そのへんは録音を聞くと面白いです。度胸があると言うか、物怖じしないというか。でも、学び合いの授業では、このあたりがよく話題になります。
 しかし、細部をつめられなかったのが残念かな。というか、信じられない?帰るかなあ。あの状況で当然相談にも乗ろうと待っていると想像できると思うのですが。まあいいか。ということで、月曜日以降の第2場面がかなり不安です。準備しているとは思いますが。

2011年7月1日金曜日

一つの花・戦争

【時代背景】
 時代背景を理解するのは、むずかしいのかも知れません。でも、社会科ではないので、子どもたちの発言でOKかと思いました。あとは、教師の方でさっと説明することかと。写真などもあるしね。そういえば、持っていった写真集は手に取られることもなかったようだ。
 「お米がないのに、どうしていもはとれたの?」→「つくりやすい」、「おまんじゅうやチョコレートは、どうしてないのか。」→「作っていない」、「材料がない」、「工場が爆弾でなくなった」、「そのころはなかった」。このあたりはあやふやな感じ。米は基本的に軍や兵隊が消費するので、国民の口には入らない。米がないのではない。国家総動員法。その代わりに育てやすいいもを育てて食べさせる。当時、学校のグラウンドでも育てていました。それくらい簡単に育ちます。
 「爆弾?」「次々に焼かれる?」「灰になる?」→もう少しイメージできていない感じ。写真などでさっとイメージできたら。ただし、小浜が焼かれて、おおい町が焼かれて、高浜が焼かれて。舞鶴が焼かれるというようなことは起こりません。そんな意味のことを言っているのではありません。

【ひとつだけちょうだい】
 そこで、最後に『ゆみ子が「一つだけちょうだい」を覚えた理由』を考えさせたわけですが、「お母さんの口癖がうつった」という意見が大半でした。そこで、時代背景を意識した発言はなかったようです。どうして、お母さんはひとつだけを言わざるを得なかったのか。ここでは、子どもたちの思いが聞きたかったと思います。そうならざるを得ない状況についての意見や感想を。
 ちなみに「はじめてはっきりと覚えたことば」と「はじめて話したことば」とは別です。教科書を読むだけでも、ゆみ子は「もっと、もっと」をしゃべっています。

【発表】
 子どもたちは、手をあげて発表するのは苦手?なようです。形式ばった雰囲気での発言が苦手?口々に発言するのは得意で、そのなかにとても面白い発言があるようです?はっきりと聞き取れないのでわかりませんが。ならば、そういう発言を教師がつなぐことも大切ではないか。読みを深めることが目的なのですから。また、何のために書かせてから発表させるのか?理由はいくつかあるのですが、書いているのですから、指名して何人もに読ませることも必要ではないかと感じます。でも、うちの子どもたちは本当に発表しないなあ。