2011年12月30日金曜日

静岡へ

12月27日〜29日まで、静岡市に行ってきました。娘を迎えに行くというのが主たる目的ではありますが、下の娘が一度も行ったことがないということとあとは旅行と買い物を兼ねているというのが目的でもあります。私はというと、買い物には興味がないので、この機会に登呂遺跡や久能山などをたずねてみたいと思い、28日は別行動でした。

【登呂遺跡】

教科書や資料集等ではおなじみのところですが、はじめての訪問です。思ったよりも、狭いのでびっくりしました。発掘は終わっており、立派な資料館が建っていました。資料館は一階は体験コーナー、二階が展示室、屋上が展望台になっていました。公園内には、水田や竪穴式住居跡や高床式倉庫などがあり、当時の面影を演出していますが、なにぶんまわりは民家ばかりなので、それを入れないで、写真をとるのがむずかしいくらいです。もう少し木々に囲まれていると雰囲気モデルのでしょうが、残念です。せっかくなので資料を3冊購入しました。小学生の頃から一度は行きたいと思っていたところにいくことができ満足でした。

【久能山東照宮】
 着くと、業者の人が電球をつけておられました。「そうだ、ここは神社なんだ」と改めて認識しました。もともとは寺院、その後城、そして神社になったのですね。そう考えると、すごく歴史のあるところなんですね。
駐車場に車をおいて、15分ほど階段を登って頂上をめざします。年配の方もおられましたが、かなりきついです。足がパンパンです。思ったよりも、中国人など外国の方が多くて、驚きました。神社、そして家康のお墓を見た後、資料館にも行きました。神社仏閣に行って思うことなんですが、けっこうカップルが多いんですよ。ふもとを見ると、ビニルハウスばかり。イチゴを栽培しているのでしょうか。とにかくいい天気です。雪なんてまったくなし。こんなところで、一生過ごす人と、我々とは随分ちがった一生を送るのでしょうね。
 ちなみに、今回はデジカメを忘れたので、すべてiPhone4での撮影です。よくブレるのがたまにきず。どうも使い勝手がちがいます。

2011年12月25日日曜日

三つのお願い 授業記録1


「三つのお願い(4年国語)」授業記録1

 12月、2学期末の学級にとってとてもお忙しいときに、無理をお願いして、「三つのお願い」の授業をさせていただいた。今年初めてこの教材を知り、読むにつれて、その素敵さに引き込まれていったこと、そして、後でも書くが、日ごろ考えていた夢についての授業があわせてできるかなあと感じたことがその動機であった。今回は、実践記録の第1回目ということで、指導の全般についてまとめてみたい。

1 教材について
 一月一日に自分の生まれた年とおなじ年につくられた一セント玉を拾うと三つのお願いがかなうという言い伝えがある。偶然一セント玉を見つけたゼノビアとビクター。ふたりは仲のいい友達どおし。あまり信じていないゼノビアは、一つ目のお願いを無駄にしてしまう。そして、真剣に考えようというビクターを二つ目のお願いで帰らせてしまう。友達を失ってしまったゼノビアはビクターを呼び戻すために三つ目のお願いを使う。母の言葉から、一番大切なものは友達ということに気づいたのである。
 お願いを三つかなえるという話は多い。その多くは、二つは無駄にしてしまい。三つ目に本当に大切なものに気づくという内容が多い。それは、「もの」ではなくもっと「精神的なもの」、友達や家族の「幸せ」などが多い。
 この作品をとおして、展開のおもしろさや友達のすばらしさなどを読み取らせるとともに、願いや夢についても考えさせたいと考えた。

2 指導について
 本単元のゴールは、感想文を書くことにある。児童は、感想文に対して苦手意識をもっているため、書き方のひな形を示し、それぞれの指導の段階で考えたり、書かせたりしたものをつなぐことで感想文が完成するように計画を立てた。
 一人称で書かれた文章なので、読み取りは比較的容易と考える。三つのお願いを比べて読むことをとおして、友達のすばらしさや本当の願いや夢とはどのようなものかを考えさせたい。そして、それをもとに感想文を書かせたい。

3 初発の感想
 まず、児童に話の内容を予想させ、一文程度の簡単な文章に書かせてみた。文は、「主人公であるゼノビア、または、二人が○○することによって、どうなる」話と言う形で書かせた。さらに、もしもお願いを三つ叶えてもらえるとしたら、どんなお願いをするかを書かせた。
 そして、範読後に、初めの感想を書かせた。三つ目のお願いで二人が仲直りした場面が印象に残ったようで、そのことを書いている児童がほとんどであった。もっとさまざまな場面について書くかと思っていたが意外であった。しかしそのことで、自分のかなえてほしいお願いとゼノビアの三つ目のお願いを比べさせることによって、本当の願いや夢とはどのようなものかを考えさせることにつなげやすくなった。

4  三つのお願いのくらべ読み
 それぞれのお願いついては、お願いの内容とそれがかなったときのゼノビアの見方と読者である児童の見方を比べながら読んで行った。たとえば、一つ目のお願いなら、ゼノビアの見方では、「おや、本当にかなうのかなあ」ということになるが、児童から見れば、「たまたま雲が切れ間から日光がさしただけ」ということになる。

5 ビクターの存在
 しかし、二つ目と三つ目のお願いはどうしてかなったのか。二つ目は、確かに大声で言われたから怒って帰えることはあるでしょうし、三つ目もたまたまビクターも同じ思いだったからタイミングよくかなったといえます。しかし、そのタイミングは絶妙です。もしかすると、ゼノビアの願いをかなえるために、わざとやっているのかと思えるくらいです。そもそもビクター、一セント玉を見つけたときも、先に見つけたのはゼノビアなのに、何だろうと声をかけたのはビクターです。二つは大の仲良し、ビクターはゼノビアの目線を追っており、ゼノビアが何を見て、何を考えているかがすぐにわかってしまうのである。このビクターの存在があってこそ、この話は展開するのである。この二人の関係に是非注目させた。

6 夢とは
 児童に夢について菅あげさせるために、まずワンピースの話を取り上げた。ルフィーの夢は「海賊王」になること。しかし、その「海賊王」とは何か。改めて尋ねられると、児童も戸惑ったようであった。「そうだ、何でもかんでも盗んだりしないしね。」「乱暴でもないし?」ルフィーは、人々の財産を巻き上げたり、むやみに命を奪ったりはしないことをおさえ、そんなルフィーになぜ仲間たちはついていくのかについて考えさせた。
 さらに、渡邉美樹著「14歳からの商い」を紹介し、「自分のためだけの夢はつまらない」こと、人の笑顔や喜びが自分の幸せと考えられるような生き方をすることが大切であること、そのために今何をするかを考えることが大切であることについて考えさせた。
 その上で、最初に書いたかなえてほしい願い事や夢を読み返し、再度、将来の夢について考えさせた。さらに、その夢でまわりの人を喜ばせたり、感動させたりしている場面を具体的にかかせた。世の中のため、まわりの人の役に立つ夢に変わった児童もいれば、夢は変わらないが、目的が変わったり明確になった児童もいた。

7 振り返り
 夢を再度考えさせることをとおして、自分の夢に対する考え方がはっきりした、変わったという児童も少なくなかった。なによりも、夢について考え直し、再度夢について考えているとき、多くの児童が集中して真剣に感想文を書いていたことが印象的であった。自分の夢がはっきりした、夢が変わったという感想も見られ、大変うれしかった。この夢もまたいつか変わると思う。でも、その時も、今回のように真剣に考えてくれたらありがたい。そうやって、つねに夢を持ち続けてほしいと願っている。

8 お礼
これは、絵本版の表紙です。
同じ作者なのに、ゼノビアの顔、
こんなにちがいます。
最後に、こんなわがままな実践を許してくれた担任の先生と児童のみんなに感謝します。児童にとっては、どうして担任の先生が授業しないのかなどと疑問もあったことと思うが、まるで関係ないように普通につきあってくれた。担任の先生のフォローあってのことと思うが、改めて先生や児童のみなさんに感謝します。本当にありがとうございました。実は、当初数時間だけの約束だったのですが、やりだしたら切りがつけられなくなり、最後まで授業をとってしまいました。しかし、最後の感想文の仕上げについては、学期末の忙しいときに、担任の先生にお手数をかけてしまいました。申し訳ありませんでした。何度の言いますが、夢を書いているときの児童の真剣な様子が忘れられません。
 次回は、実際に児童が書いた感想文をもとに授業の分析を行いたいと思います。いつになるかわかりませんが。

子どもたちの遺言

【今日の本】「子どもたちの遺言」谷川俊太郎:詩 田淵章三:写真 佼成出版社


 12月の朗読と対談の会のときに紹介された本である。題名にドッキッとして買ってみたくなりました。わたしたちは子どもたちに遺言を書かせるような、そんなあやうい世の中に生きているのか。遺言というよりは、これから生きていく世の中をこうしてほしいという願いのようなものを感じる。個人的には、「いや」がいいかな。「いやだと言わせてください」って、切実な感じがする。詩は苦手である。でも、谷川さんの詩集は文庫本が2冊ある。読み直してみるかなあ。

2011年12月12日月曜日

仕事をしたつもり

【今日の本】「仕事をしたつもり」海老原嗣生:著 星海社新書:刊

「けっこう一生懸命、仕事をしている」「まわりもそれを認めていて、避難する人はいない」「本人はその行為にまったく疑問を持っていない」「しかし、成果はほとんど出ていない」中身の薄い仕事に追われているだけなのに、つい「バタバタとしていて…」といってしまう。仕事をしたつもりとは、このような状態を指すそうです。
「何十枚も資料を作って、それで仕事をしたつもり」会議ではその資料を読み上げるだけ。
「中身より形にこだわる「ハコモノ志向」、「横並び意識」…耳の痛い話ばかり。そうそうやってるなあと思うことばかりです。考えることを止めているのかも知れない。そうして、安易に走っているのに、まわりからはほめられるちうような状況に陥っていないか点検しないといけない。まずは、まずは、真剣に考えることから始めるということかなあ。

「新明解国語辞典」PART2
【今日の本】「新解さんの謎」赤瀬川源平:著 文春文庫:刊
7版の購入を記念して、購入。本当にこの辞書のファンは多いなあと感心する。言葉の意味がおもしろい、例文がおもしろい、そして、例文に出てくる言葉の順序がおもしろいと、おもしろいこといっぱいの辞書である。
 例えば、「ごきぶり」…台所を初め、住宅のあらゆる部分にすむ、油色の平たい害虫。さわると臭い。あぶらむし。きっとさわったんでしょうね。新解さんは?
「死体」…命がなくなって、そこに横たわっているからだ。そこって、どこ?
もちろん、この本は第4版の内容をもとに書いているので、現在の辞書を使っている人にアーわからないかも知れないが、ファンにはたまらない話ばかりです。一気に読んでしまいました。

2011年12月6日火曜日

谷川俊太郎 新明解国語辞典



12月5日(日)谷川俊太郎さんの講演会(朗読と対談)に参加しました。

当日は大変な盛会で、520名ほどの参加があると聞きました。遠くは、福井市の方から参加された方もあったようでした。つい先日もテレビでお元気な姿を拝見したばかりのなのですが、もう80才になられたのですね。いつまでもお元気で、そして、自由に生きておられる姿に憧れます。
僕が高校生か大学生のころに、小室等さんが谷川さんの詩に曲をつけて、レコード(当時はLP版)を3枚出されました。そのことが、詩人谷川俊太郎さんを知ったきっかけだったと記憶しています。鉄腕アトムやスイミーなども知っていたと思うのですが、作者を意識することはなかったので。その後、今の職業についたころ、「ことばあそびうた」を知り、また、「にほんご」の教科書を知り、そして、スイミー」や「生きる」を教えるようになり、「朗読のテープ」を購読したりして、その存在の大きさを認識することになりました。
今回の講演会に参加して、改めてそのファンの多さにびっくりしました。このような機会を与えてくださった「風夢」の方々に感謝申し上げます。詩集でも読み返してみるかなあ。

「新明解国語辞典 第7版」

 第7版が出たので、こりずに購入。思い起こせば、第3版からの長いおつきあい。毎回改訂のたびに購入している。本日届いたので、「早速帰って読もう」というと「辞書を読む?」との驚きの声も聞かれたが、まさに読む、読んで楽しい辞書なのである。とりあえず、「はじめに」を読み、中身もぱらぱらと読んでみた。今回は文法にも力がはいているようである。「はじめに」にあるように、「…かもしれない」を「フィフティーフィフティー」と外国の方に教えている例が紹介されているが、とんでもないことであると思う。そういった、微妙は言葉の使い方を知る上で、また、日本語の的確な理解と適切な表現を守り続ける辞書として、これ以上のものはないと思っている。国語の授業には欠かせない。しかし、カバーはちょと派手です。これは第6版の方が好きです。そして、若干大きくなりました?