2013年7月26日金曜日

タブレット革命

【今日の本】「タブレット革命」松村太郎:著 アスキーメディアワークス:刊

「180度のコミュニケーション」という言葉が印象に残りました。ゲームのように2人が並んで同じ画面をみるのではなく、一つの画面を見ながら、相手と会話ができるようになる。やはり、コミュニケーションのツールとしてのタブレットという位置づけが明確になる言葉です。
 「iwork for ipad」に書かれていること、あまり知りませんでした。iworkはほとんどパソコンでしか使わないのですが、ipadでも使ってみる価値はありそうです。というか、せっかく入っているのだから使わないと損です。

2013年7月23日火曜日

脳を創る読書

【今日の本】「脳を創る読書」酒井邦嘉:著 実業之日本社:刊


 タイムリーな題名、内容であった。デジタル教科書の問題点について考えていたところだし、子どもたちの読書量をいかにふやすか、読書のよさとは何かについて考えていたところでもあったので、とにかく面白く読めた。副題の「紙の本」が必要なのかというところも改めて読書の大切さに気づかせくれた。ipadが普及しつつある今、改めて教師として考えなければならないことを示してくれた一冊であった。重要な文章とかきとめておく。

  読書は、足りない情報を想像力で補って、曖昧なところを解決しがら自分のものにしていく過程だから、常に言語能力が鍛えられることは間違いない。

  逆に読書量が少なければ、想像力で補おうとする機会が得られないため、読んでも深い理解が得られず、言葉に直接反応するだけに終っしまうだろう。その結果は、その人の書く文章に如実に表われてくる。他人の書いた文章を読むという経験が不足している結果、自分の文章を客観的に読むことができない。

  想像力で補うことが必要とされないものにばかり接していると、結局、想像力が身につかないことになる。電子書籍などの文明の利器は、残念ながらその地道なプロセスの代わりはしてくれない。

  電子教科書を使うようになったら、考えるための時間、そして、表現力を伸ばす時間をむしろ多くとらなければならない。実際に手を動かして文字を書いたり、絵を描いたり、ものを作るといった時間のことである。インターネットへの接続を断ち切り、授業時間は考えることだけに集中させるのである。自分で考え、そして表現するための教育の機会を失ったら、人間的な創造力が身につかないまま大人なるおそれがある。電子化のために子どもを教育の犠牲にしてはならない。

  電子化が悪いのではない。効率のみを追求する使い方が悪いだけだ。

  ※最後の文章は、特に、肝に命じておかなければならない。すばらしい本だ。

2013年7月21日日曜日

999ひきのきょうだい アップル帝国の正体

【今日の本】「999ひきのきょうだい」紀村研:著 ひさかたチャイルド:刊

 春、カエルのお母さんが999個のたまごを生みました。でも、1個だけ、いつまでもたまごのままでおたまじゃくしにならないたまごがありました。春の池で繰り広げられるユーモアたっぷりのお話です。
 じつは、この間ブログの更新をしていなかったので、ここに書くのが遅くなりましたが、ずいぶん前に買った絵本でした。ちょうど学校で田植えをしたころでした。田んぼから、かえるのたまごを持ち帰ったので、似たような話で面白いなあと思って、読んだ絵本でした。シリーズもあるようです。気が向いたら読んでみようかなあ。

 ほかにも、アップしていない本はたくさんあります。
「週間 新発見!日本の歴史01〜04」朝日新聞社:刊
「保存版 ふるさと舞鶴 舞鶴市制施行70周年記念写真集」郷土出版社:刊

「アップル帝国の正体」後藤真義・森川 潤:著 文藝春秋:刊

 帝国という言葉にインパクトを感じる。日本企業は植民地化されているのか?企業同士のビジネスなんだと思うけど。かつてのマイクロソフトのように。しかし、ipadやiphneには、本当にたくさんの日本メーカーの部品が使われている。そして、テレビ販売等で経営が不振となったソニーやSHARPにとって、いまやAPPLEとの取引が経営そのものを支えているという実態だ。しかし、APPLEだって1997年にジョブズが復帰する前は、もっと悲惨な状況だたはず。長い時間の単位で見れば、同じようなことの繰り返しともいえるのではないか。でも、今のAPPLEの成功はすごい。まったく独り勝ち状態である。小さい企業であるから、ハードとソフトを一体販売している企業だからこそ可能だったんだと思える部分もある。ソニーがipadのようなもをつくろうとしても、デジカメやビデオカメラ、それぞれに有名ブランドを抱えているので、一体化することはむずかしい。デジカメはデジカメで、ビデオはビデオで社内で競い合って売れるものをつくらないといけないから。何でも、徹底的にこだわって作り上げるところは見習うべきです。改めてすごい企業になったなあと感心しました。  なまこをとっている漁師さんがipadを使っているという話は衝撃でした。          

ほんとうにいいの?デジタル教科書

【今日の本】「ほんとうにいいの?デジタル教科書」新井紀子:著 岩波書店:刊

2015年までに「デジタル教科書」をすべての小中学校全生徒に配備する。前政権下での原口総務大臣の発言である。すべての生徒にということなのだから、当然教科書に取って代わるものなのだろうか、また、どうして総務大臣なのか、本当に実現するのかなど疑問も多い。そもそも「デジタル教科書」とは、どのようなものなのか?現在学校で購入しているものを指すのか?単に紙をデジタル化したものなのか?このあたりがよくわからない。そんな疑問から、この本を手に取った。印象に残った文から。

 「課題は、文章を論理的に読み取ったり、抽象的な概念を理解したりする部分であり、そこで学力格差が生じている。学力格差が具体と抽象の間の溝を跳び越える能力の差に由来するのだとしたら、アニメーションやドリル型デジタル教材は学力格差を埋める上であまり役に立たない。」
 「もともと読解力の乏しい人や抽象能力に課題がある人がハイパーリンクの存在によって読みを助けられるというケースは想像以上に少ない。」
 「明確な即時のフィードバックが得られることを常として育った場合、結論がすぐに出ない論議や、評価指標(ルール)が見えにくい課題に、違和感を覚えたとしても不思議ではない。あるいは、現在のゲーム機のような強い視覚的・聴覚的刺激に慣れすぎた脳が、文字で書かれた文章の読解や日常的なコミュニケーションから刺激を受けにくくなるというのは妥当な仮説だろう。」
「活用とは、基礎となる知識の仕組みを論理的に言語化して理解した上で初めて築ことができるものだからである。」
「小学生にとって、まず必要なのは、フェイス・トゥ・フェイスの指導のなかで、思考力や判断力の基礎となる学力や、学ぶ方法(ノートの取り方、予習復習の仕方、資料の探し方など)を身につけることだろう。また、先生の話や級友の意見をよく聞き、自分の意見をクラスの中で発表できるようになることだろう。そして、高学年に進むに従って、非言語的な表現を言語化できるように、また、バックグラウンドが異なる人々に自分の考えを伝えることができるようにトレーニングを積んでいく。顔を見たこともなく、言語も異なるインターネットの向こう側の人とコミュニケションするのは、このような基礎ができた上でのことである。」

 これらの意見を参考に活用を考える必要がある。