2020年11月27日金曜日

潮汲峠から青葉登山道へ

 天気がよかったので、潮汲峠から青葉登山道を山中付近まで歩いてみました。以前には、鎌倉区から潮汲峠までを歩いたので、今回は、一旦峠で分断された続きの登山道を歩きました。尾根づたいに青葉山まで行く道ですが、尾根づたいと言っても、木が多くて景色を眺めるところはほとんどなかったので、途中、山中区へ降りる道があったので、そこまでとしました。当初は、元に戻るつもりだったのですが、どこに降りるのか興味がわいたので、そこから降りてみました。歩いていくと、内浦小中学校の体育館横の道に出てきました。潮汲峠に隧道があったころには、鎌倉区までつながっていたわけです。この道で青葉登山に挑戦してみたい。

この矢印だとそこから曲がるように思ってしまいます。
実際には、数メートル登って、左に曲がります。
登って右側は、鎌倉側です。
まっすぐ行くと落ちてしまいます。
青葉登山道。落葉の絨毯です。
登山道に、竹が生えています。
狸に2回会いました。同じ狸かな?
このようにところどころに石が残っています。
青葉石のようです。
木が倒れています。
ブロアーをつかって落ち葉を飛ばすと
石列路の様子がもっとわかるはずです。
紅葉などはほとんどありませんでした。
三叉路。左に曲がると山中区につながります。
石列路と書いてあります。
道しるべもしっかりと立っています。
山中白井という文字が見えます。
真っ直ぐ進むと青葉登山道。
左に曲がると、軽トラック1台なら通ることができる
くらいの道が山中区まで続きます。林道かな?
このあたりまで来ると、見慣れた光景です。

2020年11月21日土曜日

紅葉〜滋賀へ

  3連休初日、明日以降天気がくずれる予報だったので、滋賀県湖北にドライブに行きました。

 はじめに、「メタセコイア並木」。今が見ごろという情報がありました。大型バスが何台も入っており、乗用車の駐車場もいっぱいでした。


 次に、木之本、鶏足寺に向かいましたが、今年度は、公開してないということで入ることはできませんでした。コロナの関係でしょうか。親切に周辺の紅葉スポットを紹介してくださいましたので、「近江孤篷庵庭園」に行きました。小堀遠州の菩提寺だそうでした。紅葉がきれいなのでしょうが、もう時期が遅すぎました。もう少し早く来ればよかったと思いました。



 ということで、予定が狂ったこともあり、どこかいいところがないかと思い、「伊吹山」に登ってきました。時間が遅かったので、景色を堪能することはできませんでしたが、夜景を少しだけ撮ることができました。こちらは、もう少し早い時間帯に来たいと思いました。また、関ヶ原が近いので、そのあたりも見て回れたと思いました。



         ※湖の中に見えるのは、竹生島です。


2020年11月15日日曜日

紅葉ライトアップ

 11月15日(日)、「雪舟天橋立図になぞらえた朱の光 成相寺紅葉ライトアップ 」イベントに行ってきました。

 はじめに、「ふるさとミュージアム丹後(京都府立郷土資料館)」に行きました。成相寺のイベントとタイアップして入館料は無料でした。そして、あわせて「天橋立と丹後国分寺」という特別展が開催されていました。雪舟天橋立図になぞらえた朱の光とあるように、雪舟の天橋立図が展示してありました。さずがに、見応えのある墨絵です。実際には、このように見えることはないようですが、どっしりとした構図で、本当に素晴らしいものでした。

 成相寺はライトアップをめざして行きました。何度か行ってことはありましたが、夜に行くのは初めてでした。LEDを使っているので、さまざまな色に変わり、大変美しいものでした。18時30分からは、「紫燈護摩祈祷」が境内五重塔前広場で行われました。天候もよく、思ったほど寒くはなかったので、快適な紅葉狩り?になりました。

 20日〜23日には、「光と映像のデジタルアート」なるイベントも予定されています。

護摩焚き前の広場、太鼓が見えます

いたるところにこんな紅葉が。

赤くライトアップされた瞬間の山門(裏側)



五重の塔、あれこれ。

パノラマ展望台からみた天橋立

反対側の夕日

鐘楼。青?紫?のライトアップ

赤くライトアップされた本堂


護摩焚きの準備



護摩焚き、そして、護摩を焚く参加者たち

※撮影は、FUJI X100F。三脚を持っていけばよかったなあ。

2020年11月14日土曜日

道端の石造物を見て歩くⅣ

  14日(土)、美浜町歴史文化館主催の「道端の石造物を見て歩くⅣ」に先週に引き続き参加しました。高浜町での開催ということと日頃の運動不足解消に役立つと思い参加しました。

 若狭高浜駅に集合し、今寺、高野、中町、薗部、岩神、和田地区に残る石造物・道標を見て回りました。道しるべはよく知っているものばかりでしたが、久々に歩くと町の様子がずいぶんと変わっていることに驚かされました。帰りは、これまた和田駅から久しぶりに電車に乗り、高浜駅まで帰りました。

 多くの石造物が元々あった場所とはちがう場所に移設されています。移設の経過をしっかりと書き残したり、伝えたりしないと何十年後にはここにあったと思われてしまう危険がある。これは怖いことです。とにかく、このような企画をしてくださった方々と遠く高浜までおいでくださった方々に感謝します。ありがとうございました。

 ちなみに、本日8000歩以上でした。歩いた!

   横に寝かせてあります。何とか立てられないものでしょうか。

なぜここに?なぜこの向きに?不思議です。






2020年11月12日木曜日

国吉城

 遅くなりましたが、NHK大河ドラマ「麒麟がくる」第31話に国吉城が登場しました。なにはともあれ、おめでとうございます。第31話は「金ヶ崎退き口」の場面ですので、その関係で国吉城も出るといいなあと思っていたのですが、信長軍が軍議をひらいた場所として登場しました。これで、訪れる人が増えることと思います。落ちない城として有名で、受験生に人気でしたが、一層有名になるでしょう。個人的には、資料館には何度も行ったことはありますが、城跡に登ったことがないので、近いうちに登りたいと思います。さらに、はじめの部分をしっかり聴くことができなかったのですが、若狭国衆が出迎えたシーンがありましたが、逸見氏の名前が出ていなかったように思うのですが、信長の当初の目的が武藤氏討伐ということで、武藤氏は名前が出ていたの、少し残念です。再放送で確認したいです。

 「金ヶ崎退き口」というと、従来のドラマ等では、秀吉が志願して単独で任に当たった、または、秀吉の窮地を見かねて光秀も加わったという話が多かったのですが、今回は少しちがいました。秀吉の大手柄として語られることが多かったわけですが、事実は違うのだと思われます。実際には、池田勝正や明智光秀などが参戦し、秀吉も加わった。秀吉が最後尾にいたのは、織田家の中の序列のためです。

 でも、細かいことはよくわからないのが事実です。たとえば、ドラマでは、光秀に浅井謀反の情報が入っていましたが、本当なのでしょうか。光秀主役のドラマなのでそうなったのでしょうか。また、信長の窮地と言われますが、織田軍は、真っ直ぐに京都まで引き返したのでしょうか?軍議を行ったのが国吉城なら、まずそこに引き返すのが本当ではないのか。若狭の国衆がいるのですから、土地勘はあったはずです。そもそも、浅井軍はその時点でどこまで迫っていたのか?朝倉軍はどの程度追撃してきたのか?難攻不落の国吉城ですから、そこまで退けば、軍を立て直して、京をめざすことができたのではないか?「3万の兵は無傷で」と語っていますし?これらは、不勉強でよくわかりません。

 いずれにしても、この若狭の地域が歴史の表舞台に出て、注目されている時期なので、なんとなくうれしいものです。もうしばらく続くといいですが。この後は、京都北部ですね。 

2020年11月7日土曜日

道端の石造物を見て歩くⅢ

  本日、みはま土曜歴文講座「道端の石造物を見て歩くⅢ〜文化遺産カードの地を巡る〜」に参加しました。関心なく何気なく通ると見落としてしまいそうな石造物を巡る講座でした。いろいろな発見があり、楽しかったです。巡ったところを写真で紹介します。














竹波石製九重層塔。約6メートル。 


竹波石製九重層塔のそばにあった「宝篋印塔」。幕末のものでした。


丹生の磨崖仏。



乙見古墳。標識がなければ見つけられませんね。


宮代の六体地蔵石仏。


裏面には、宝篋印塔が掘ってありました。


新庄地区の隧道。雰囲気のいい隧道です。














記念碑。