2021年12月29日水曜日

今週のオオキンレイカ

 【今週のオオキンレイカ】

 今週のオオキンレイカ、というか今年のオオキンレイカについて。

 もうすぐ令和3年が終わろうとしています。今年芽を出したオオキンレイカは、もうすっかり枯れかけています。何とかすべて順調に育ってくれました。来年の春になったら、植え替えたいと思います。




 今年植え替えたオオキンレイカは、水やりをさぼったせいもあり、3分の1が枯れてしまいました。鉢ではないので、毎日水やりをする必要もないかと思ったことが失敗の原因でした。水道の蛇口から遠いことで、面倒だったこともあります。面倒と思ったのは、個人的なことなので、いいわけでしかないのですが。来年は、ホースを延長して、毎日欠かさず水やりを行いたいと思います。もしかすると、鉢のままのほうがよいのかも知れません。今年芽を出したオオキンレイカを植え替えるべきかも検討しなければなりません。

 今年度は、種の収穫が少なかったことも反省です。植え替えたオオキンレイカからは、種を取ることはできませんでした。この点は、来年度以降の大きな課題です。

 課題の多いオオキンレイカですが、次年度も継続して育成に取り組みたいと思います。

2021年12月23日木曜日

わたしはみたの―戦争と少女

【今日の1冊】「わたしはみたの―戦争と少女」篠原禮子:著 郁朋社:刊


 引揚関連の書籍には、総括的・概括的に引揚について述べた書籍と引揚てきた個人の手記がある。この本は、後者である。そして、手記を書いた引揚者がどこで終戦を迎えたかによってその内容は違うと感じる。篠原さんの場合は、終戦を「会寧」という町で迎えられ、イムジン河目前まで逃げてきたところで、「咸興」まで連れ戻された。途中、トロッコの中で弟が死に、お母さんがチフスに罹って死んだり、さらに、引揚げまであと一月のところでお父さんが病死したりという壮絶な人生を綴っておられる。死に際、3人の子どもに語りかけるお父さんの思いが非常に切ない。その、お父さんが教えた住所と名前を覚えていたことによって、祖父を出会うことができた。お父さんの願いが叶った瞬間でした。一方で、友だちや周囲の人々に引揚の体験を語っても、誰もとりあってもくれない現実があり、体験を語ることができなかったというのは悲しい事実です。引揚でも、帰国しても、辛い経験をしなければならない。こんな苦しみを2度と味わうことがないように、平和を守り抜いていきたいと思う。

 昭和11年生まれということは現在85歳。段々とご高齢になっていくわけですが、このような書籍を出版されていることで、引揚の体験を多くの方に伝えることができる。また、我々も知ることができる。同じような体験記をたくさん読んでみたい。

2021年12月12日日曜日

日引石

  12日(日)、午後、大坂から日引石を学びに来られた方々に同行して、青郷や内浦地区を巡りました。大坂の方で、高齢者大学で学んでおられる方々が、日引石のことを知り、そこに内浦出身の方がおられ、高齢者大学の先生と見学に行くことになったそうです。残念ながら、先生は都合により参加できなくなったようです。見学コースは、立石の地蔵さん、中山寺、日枝神社、西林寺、海見寺、そして、最後に、潮富荘で、日引区の上田さんや広野さんのお話しを伺いました。海見寺に行ったころに雨が降り出しましたが、それ以外は何とか天候にも恵まれました。旅行も目的なのかも知れませんが、こうやって高齢者の方が、現地に来て、学ぼうとしておられることに刺激を受けました。また、意外と地元のものが何も知らないという実態もあります。だから、余計にすごいなあと思います。



上の矢印の部分を拡大したものが下の写真です。
はっきりと日引の石工さんの名前がはいっています。
地蔵さんが日引石かどうかは諸説あるようです。
日引石にいくつかの種類があると考えるとどうなんでしょか。



日枝神社の宝篋印塔。上の部分がとれてころがっています。
なくならないといいですが。


小さい狛犬が前に立っているタイプ。
よく足で押さえているのはありますが。


熱心にお話を聞くみなさん。

2021年12月9日木曜日

三遊亭円丈さん

  11月30日、三遊亭円丈さんが亡くなられました。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。 

 師匠は、三遊亭圓生さん。著書に、「落語家の通信簿」があり、読んだことがあります。新作のイメージが強いですが、最近は、古典も演じておられたようです。個人的に、円丈さんで印象に残っているのは、パソコンマニアであったということ。確か、富士通のFM7かなにかのコマーシャルに出ておられたような記憶があります。パソコン雑誌『Oh!FM』に記事が掲載されたこともあったように記憶しています。パソコンやゲームをネタにした落語もあったように思います。

 また、狛犬マニアでも有名で、「日本本参道狛犬研究会」の会長を務めておられました。かなり以前に、テレビの番組で、神社に狛犬を奉納することが夢であるとおっしゃっておられました。実際にされていると思います。そして、その際、ブランド石と言うことで、笏谷石も紹介しておられました。そのことがきっかけで、笏谷石について調べるようになったことを思い出しました。

 そんなことをいろいろと思い出したので、「THE 狛犬!コレクション 参道狛犬大図鑑」(三遊亭円丈:著 立風書房:刊)を購入しました。アマゾンで中古品でした。あわせて、「狛犬さんぽ」(ミノシマタカコ:著 株式会社グラフィック社:刊)も購入しました。こちらは、最近の本です。改めて、たくさんの種類があることに驚いています。これを機会に、狛犬について、また調べてみようかなあ。実は、神社に行くと必ず狛犬の写真を撮るのが趣味でもあります。この2冊を持って、あちこち訪ねてみようかなあ。 


2021年12月5日日曜日

今週のオオキンレイカ

【今週のオオキンレイカ】

 大変久しぶりである。植え替えたオオキンレイカは、ほとんど枯れています。





 今年、芽を出した方も、かなり色づいてきました。

2021年12月4日土曜日

イーハトーブ農学校の賢治先生

【今日の1冊】「イーハトーブ農学校の賢治先生」 魚戸おさむ:漫画 佐藤成:原案・監修 細流舎:刊



 題名のとおり、宮沢賢治が県立花巻農学校で4年4か月、1580日、農業教師として教壇に立っていた間の物語を漫画にしたものである。

 賢治の授業は、あたたかく、たのしく、おもしろく、そして、あきさせないものであった。賢治先生は、生徒に「けっしてカマボコになるるな」といっていたそうである。カマボコ、つまり、机にへばりつくなということである。そして、教育とは、一種の創造活動であるといい、「わたしは、この仕事で疲れを覚えたことはない」といっていたそうである。授業に集中できない生徒をみると、叱ったり、チョークを投げたりせずに、ただチョークを、ガリガリとかんだそうである。生徒の行為は、自分の不徳のせいであると言っている。

 個人的に、感銘したことは、「議論は、相手を降参させようとするものではなく、言わんとすることがお互いにわかることである」という言葉である。

 教師としての宮沢賢治についてさらに深く調べてみたいものである。

2021年11月22日月曜日

40年、50年

 あれから40年、50年という企画ものが流行っている。

最近購入した「レット・イット・ビー スペシャル・エディション (スーパー・デラックス)」


 買ってしまいました!

 ビートルズ最後のアルバム「レット・イット・ビー 」がリリースされたのが1070年5月。その50周年を記念して発売されたアルバムである。当時、小学5年生。詳しくは知らなかったが、海の向こうで有名なバンドが解散したニュースを聞いた記憶があります。当時は、洋楽なんてほとんど知らなかった。そういえば、2年ほど前に「アビーロード」の50年記念版というのが発売され、購入した記憶がある。あれから?50年。あれからなんていうと、当時詳しかったみたいですが。年をとったものだ。特集記事を読むために「レコードコレクターズ11月号」も購入した。改めて、この曲順で聞いてみると(違う曲順のアルバムもありますよね、そちらの印象が強いのですが。)、なんとも「ゲットバック」の中途半端さが目立つ気がする。なんとも解散時の歯切れの悪さを感じてしまう。ほぼ同時期に録音され、発売がさきになった「アビーロード」はポールの努力?で後半うまくまとめた感じがするが。


 次は、「ギター・マガジン 2021年12月号」
こちらは、「特集 鈴木茂とはっぴいえんど」ということで、『風街ろまん』から50年。同時に、当時17才であった鈴木茂さんの特集。買ってしまいました!



 1970年 8月「はっぴーえんど」(通称ゆでめん)リリース
 1971年11月「風街ロマン」リリース
 1973年 2月「HAPPY END」リリース ※アメリカ録音
こちらも、50周年です。この年表に追加すると、
 1972年11月「大瀧詠一」リリース
 1973年 5月「HOSONO HOUSE」リリース
などがあります。すごいもので、ビートルズにしろはっぴーえんどにしろ、いまだに第1線で活躍していたり、影響力があったりする。最近特に動きが激しく、「SKYE」であったり、矢野顕子さんの45周年記念アルバムだったりと露出が多いのが、うれしい。

 続いて、40年ものは、「NIAGARA TRIANGLE Vol.2 40th Anniversary Edition」。こちらは、30周年版もあったので、10年ごとの記念盤という感じ。大瀧詠一、佐野元春、杉真理によるアルバムで、「A LONG VACATION 40th Anniversary Edition」に続く、大瀧さんもの。買うことはないと思うが・・・・。

 こういった特集がなつかしくなるというのは、ひとえに年ということなのでしょうか。

2021年11月21日日曜日

学びの共同体の創造〜探究と協同へ〜

 【今日の1冊】「学びの共同体の創造〜探究と協同へ〜」佐藤学:著 小学館:刊


 佐藤先生の新刊である。雑誌「総合教育技術」に2018年から2021年にかけて掲載された記事をまとめたものである。コロナ禍、さらにポストコロナの教育の道しるべといえる内容である。久しぶりの佐藤先生の本であるが、いつもながら明快である。いつものように、気になったところを書き留めておきたい。

1 学び合う教室の改革が進む条件
 ①1人も独りにしない親密なつながりと聴き合う関係が生まれ、誰もが安心して学べる、静
  かな教室環境が作られたこと。
 ②わからない子供たちがグループの仲間にわからない、ここどうするのと尋ねることができ
  るようになること。
 ③ジャンプの学びが、すべての授業において挑戦されること。
  ※ある学校における実践のまとめとして書かれていることではあるが、どこにもあてはまる
     と思えるので書き留めておく。

2 学びは、人権の中核であり、生きる希望の中心である。
  学びの共同体の改革は4つの規範を特徴としている。尊厳、信頼、互恵、共同体。

3 1人も独りにしない学び合う関係と、ひとり残らず、学びの主人公にする共同的学びが、
  学校文化のとして深く根づいている。
 ※1と同じような内容である。「学校文化として深く根づく」というところが重要であると実
    感する。人権の中核という指摘であるが、人権、人権教育といいながら、いや言えば言うほ
    ど逆のことになっている現状があるのではないか。一斉指導から抜けきれない現場がある。

4 算数・数学においては、子供たちに必ず量的関係の図(タイル図、テープ図、数直線図な
 ど)を書くことを習慣化させてほしい。
  これは、学校づくりとは少し外れますが、実際に授業に関わっていて、切実に感じていた
 ことだったので、思わず書き留めておきました。すぐに式を書いてしまうので。

5 場の理論ということ。行動主義の心理学において人の行動は、刺激と反応で説明され、行
 動主体においては動機と意図で説明されていた。レヴィンの場の理論はこの見方を根本的に
 転換することを要請したのであると。申し訳ありませんが、レヴァンの場の理論については
 まったくの不勉強です。本書には、以下のように説明がありました。

 例えば、教室から飛び出す子供の行動を考えてみよう。その子は動機と人によって飛び出し
たのだろうか。彼、彼女は、教室にいられない状況に陥り、いたたまれない気持ちで飛び出し
ている。その行動を理解するには場の理論の方が行動心理学の解釈よりもはるかに有効であ
る。
 教室から飛び出す子供の行動の背景には、彼・彼女の学びを誰からもケアされない状況があり、さらに言えば、あの子さえいなければいいのにという教師と子供たちの無意識の中に隠された眼差しと心情がある。この場の力学によって、彼・彼女の行動が生まれていると言えるだろう。その子の指導よりも、むしろその子を受け入れ、ケアすべき他の子供たちの指導が求められるのであり、その方が有効なのである。
 逆に、様々な困難を抱えた子供たちが夢中になって学びに専念している状況を想定してみよう。ここでも場の理論は有効である。その子を学びへと誘っている基盤には、彼・彼女の学びを飲み込んで受け入れる教師と他の子供たちのまなざしとケアの関わりがあり、その場の力学が彼彼女の学びの行動を生み出している。
 以上が引用である。十分に理解して説明できなかったので、長文ですが引用しました。
 クルト・レヴィンの図書については、是非読んでみたい。

6 「プラン」と「デザイン」について。「プラン」は実践に先立って決定されているが、
 「デザイン」は実践の過程で修正され変更される。「プラン」は対象を統制する指向性を持
 っている。しかし、「デザイン」は状況との対話であり、「プラン」とは異なる対象との関
 係を生み出している。「プラン」を先導しているのは目標であり、「プラン」は目標を達成
 するためのプランである。「デザイン」を先導しているのはビジョンである学びのあり方の
 ビジョンの実現を追求している。

7 学びの共同体における文学の授業
 ①テクストとの対話を中軸として、一人一人が学びの主人公として個と個のすり合わせによ
  る多様な深い学びを読みを実現してきた。
 ②テキストの言葉の多様性と象徴性を尊重し読解ではなく読み書きを追求した。
 ③テクストを教材とするのではなくご馳走として味わう学びを追求したしてきたこと。その
        ために、主題を追求しない、気持ちを問わない、なぜと問わないことを原則としてきた。

8 卓越した学校の特徴
 ①一人残らず子供の学びの権利が実現し、質の高い学びが教師と子供の双方において受給さ
  れていること。追求されていること。
 ②引き合う関係を基礎として探求と共同の学びがどの授業においても実現し子供たちが1人
  残らず授業の最初から最後まで学びの主人公として夢中になって学び合っていること。
 ③教師たちが教える専門家ではなく学びの専門家として成長し学びのデザインとコーディネ
  ーションとリフレクションにおいて卓越した専門性を発揮していること。
 ④学校と教師の文化が競争の文化から共同の文化えと転換し子供の間にも教師の間にも学び
  とケアの共同体が実現していること

9 テクノロジーは、貧弱な学びをより貧弱にし、豊かな学びをより豊かにする。
  ※そのとおり。

10 発達の最近接領域の3つの示唆
 ①学びは共同によって実現する。
 ②学びは最初に共同において実現しその次に共同の学びがないかされて個人の学びが実現す
  る。
 ③学びの課題は個人の発達レベルに合わせるのでなく共同の学びが到達できるレベルに合わ
  せるべきである

11 学びの共同体は、「協力的な学び」でなく「共同的な学び」を実現している。
 ①学びの目的を学力の向上ではなく、ひとり残らず学びの権利を実現することと質の高い学
  びを追求していること。
 ②一人一人が学びの主人公になる民主主義を追求していること。
 ③学びの共同体と共にケアの共同体を追求していること。
 ④真正の学びを追求していること。

12 通常の学校の授業研究の目的は、授業改善であり、有能な教師の育成、そして学力の向上
 である。それに対して、学びの共同体の授業研究の目的は、①ひとり残らず子供の学ぶ権利
 を実現すること。②質の高い学びを創造すること。③同僚生徒自律性を構築すること。④教
 室と学校を民主化することにある
  授業研究の対象は、通常の学校の授業研究の対象は指導案と教える活動の計画でありその
 検証である。それに対して、学びの共同体の授業研究の対象は、学びの事実の省察であり学
 び合う関係とケアの関係の省察である。すなわち学びの共同体の授業研究は、教え方の研究
 ではなく学びの研究であり、どこで学びが成立し、どこで学びがつまずき、どのような学び
 の可能性を潜んでいたかを事実に即して省察する研究である。

 長文になったので、誤字脱字等がある可能性があります。ご了承ください。こういう書き方は、全く自分のために書いているので、他の人が読んでも意味というか価値がないですね。
 大変久しぶりの投稿になりました、もう少しテンポよくしていきたいと思います。

2021年10月21日木曜日

PTAモヤモヤの正体

 【今日の1冊】「PTAモヤモヤの正体」堀内京子:著 筑摩書房:刊


 著者は、朝日新聞の記者。PTAについて取材してきた記者が、我が子の入学を機に実際のPTAに関わった体験談。同じように思っている人も多いことと思う。実際、私自身も同じことを考えてきた。しかし、この本にあるように、PTA会長という立場になっても、なかなか議論は高まらない。

 著者も述べているとおり、PTAへの入会は自由という原則を徹底することが重要です。そのためには、まず、そのことの周知が必要。入会は義務ではないし、入学と同時に入会というのは間違っています。本来ならば、入会申込書をとる必要があります。さらに、上位組織へと動員されたり、他団体の職に勝手に充てられたり、動員させられたりしないことも重要です。

 状況はずいぶん変わりつつあります。市の教育委員会が「入会は自由」でることを説明するように通知したという報道もありました。でも、なかなかうまくいかないようです。会員同士の対立を生んだりするようです。問題を指摘することで、自分たちを批判されていると感じたり、否定されたと感じたりもするようです。見直したり楽なことはわかっているのに。だから、「モヤモヤ」なんです。いい題だと思います。

 教育に関わってきたものとしては、なんとかしたいものです。多くのみなさんに読んでほしいと思います。まずは、保護者のみなさんから。

2021年10月17日日曜日

レット・イット・ビー スペシャル・エディション (スーパー・デラックス)

【レット・イット・ビー スペシャル・エディション】


 アマゾンで予約していたので、10月15日の発売日に届きました。説明は不要と思いますが、1970年5月に発売されたビートルズ最後のオリジナルアルバムのリミックス盤です。
これまでも数種類の「レット・イット・ビー」のCDが発売されましたが、今回は、かなり力が入っているようです。

 内容は、こんな感じです。アマゾンのホームページを参考にしました。
 CD1:オリジナル・アルバム ニュー・ステレオ・ミックス
 CD2&3:未発表アウトテイク、スタジオ・ジャム、リハーサル
 CD4:未発表の1969年『ゲット・バックLP』(グリン・ジョンズ・ミックス)新マスタリング
 CD5:『レット・イット・ビー』


 最後のアルバムになってしまったというのが本当?録音は、「アビーロード」のほうがあとです。アルバム完成までの紆余曲折やバンドとしての終焉を感じさせるエピソードたっぷりの作品です。今回は、映画も公開されるそうなので、このあたりのことを見ることもできるわけです。もう一度、バンドとしてがんばろうという意欲を感じる反面、複雑な人間関係も垣間見ることができ、複雑な感じです。ジョンの曲が少ないなど。YOUTUBEで公開されている「GET BACK」の先行映像でも、楽器の演奏をしないでオノヨーコさんと踊っている映像なんかも出ていますしね。こちらも楽しみ。
 同時に、「レコードコレクター11月号」も買いました。「レット・イット・ビー」の特集号で、曲の解説に加えて、当時の状況が詳しく書いてあります。実は、まだCDを聞いていないので、この本とあわせて聞くとおもしろいのかなあと思っています。聞いたら、また、ブログに書きます。

2021年10月14日木曜日

明通寺

【明通寺】

 棡山明通寺。大同元(806)年、征夷大将軍・坂上田村麻呂の創建。この山中に大きなゆずり木があり、その木をきって、薬師如来、降三世明王、深沙大将の3体を彫って安置したと伝えられている。境内には、ゆずり木がたくさんありました。

 国宝三重塔内陣特別公開ということでしたので、小浜にいったついでに、参拝してきました。プラスチック?ビニル?のカバー越しでしたので、光が写り込んでしっかりと見えなかったのが残念でした。







さすがに、県内唯一の国宝です。帰り道に、地蔵さんや五輪塔のようなものがたくさん積まれていました。不思議な感じでした。

2021年10月10日日曜日

天橋立

 天橋立までドライブをして、天橋立を歩いてきました。智恩寺側から元伊勢籠神社の方に向かって歩きました。いつもは籠神社や笠松公園側に行くことが多かったのですが、はじめてこちらから歩きました。というか、全部歩いたのは初めてでした。途中、さまざまな碑がありましたが、特に、お目当ては「岩見重太郎の仇討ち」に関するものでした。 さすがに疲れたので、帰りは遊覧船に乗って帰りました。今日は、1万歩近くになりました。


「三人寄れば文殊の智恵」で知られる智恩院。お参りをし、
御朱印ももらいました。





岩見重太郎に関する石碑3つ。



         与謝野鉄幹、与謝野晶子、そして、与謝野蕪村の句碑。

2021年10月9日土曜日

10代の君に伝えたい

【今日の1冊】「10代の君に伝えたい 学校で悩むぼくが見つけた未来を切りひらく方法」 山﨑聡一郎:著 朝日新聞社:刊



 図書館で借りて読んでみました。イジメや不登校で悩む子供たちへの読んでほしい1冊です。きっと気持ちが楽になるというか、すっきりすると思われます。例えば、「空気なんて読まなくていい」というところ。

 「空気を読もうというのは、その場の状況や雰囲気に照らし合わせて適切だと思われる言動を自分で判断しましょうと言うこと」「空気を読む」とは「言われなくてもさっしろ」と言う探り合いの世界。一方「意図を読む」は、相手が発した言葉やその文脈がベースにあります。人間関係で大切なのは、その言葉を通して、相手が伝えようとしている「意図」を汲み取ることだと考えています。

 ほかにも、「学校では、基本的に集団行動が求められます。仲良くする力良い、生きていく上で必要なのは、誰とでも共同作業ができる力」ですというところが、印象に残りました。

 自分自身も反省させられます。どうしても、集団生活では集団に同調することを求めてしまいます。強制しなくても、心の中ではそれを求めているような気がします。気にしなくていいよと、言い切れない自分がいます。知らず知らずのうちに、子供たちを追い詰めているのだなあと反省させられます。

 ちなみに、「こども六法」も買いました。

2021年10月8日金曜日

10月5日、7日

 10月5日は、スティーブ・ジョブズの命日でした。今年で、没後10年になりました。早いものです、あっという間の10年でした。APPLEはホームページで「STEVEを称えて」と題した追悼ビデオを公開していました。ティムクックや家族のメッセ時と共に。プレジデントの哲学特集にもジョブズが取り上げられていました。


  また、10月7日は「舞鶴引き揚げの日」でした。昭和20年10月7日、釜山から2,100人の陸軍軍人を乗せた雲仙丸が舞鶴西港に入港しました。舞鶴市は、引き揚げ者をあたたかく迎えた歴史を次世代に継承するとともに、平和に対する意識の高揚を図ることを目的に平成30年に制定されました。舞鶴港は、このあと昭和21年4月に中国から、そして、12月8日からソ連地域からの引き揚げ者を開始し、その後、昭和33年9月7日の白山丸入港まで33年間引揚港として引き揚げ者を受け入れ続けました。

2021年10月5日火曜日

娘の遺体は凍っていた

 【今日の1冊】「娘の遺体は凍っていた」文春オンライン特集班:著 文藝春秋:刊


 ショッキングな題名で、図書館ですぐに目に入った。旭川女子中学生イジメ凍死事件のことだと、すぐにわかった。興味があったことと、ページもそんなにたくさんではないことから、すぐに読むことができました。いじめた子供たちとその親たち、また、校長はじめ教頭や担任の対応、さらに、教育委員会の対応などが明らかになるにつれ、なんと腹立たしい事件である。それに対して、娘の名前だけでなく、たくさんの写真や絵なども公開しておられるお母さんの決意をうかがい知ることができる。「いじめられた者がイジメと感じたらそれがイジメ」こんな当たり前のことが、こうもゆがめられる、学校や教育委員会の隠蔽体質には改めて絶望を感じる。自分たちが追い詰められたときにこそ、その本質が見えるということだろうか。第三者委員会なるもののあり方にも課題がある。そう思って、改めて写真をみると、涙が出てきます。

2021年10月4日月曜日

今週のオオキンレイカ

 【今週のオオキンレイカ】

 最後の花もそろそろ終わりに近づきました。花は咲いたのですが、これまでのところ、種は全く取れませんでした。そこまでの生命力がなかったということでしょうか。水やりが十分でなかったことも関係するのでしょうか。今度の課題です。ということで、最後に残った花です。


スマホで撮ったことも関係あるかも知れませんが、
花が終わりに近づいて、白っぽくなっています。


               拡大するとこんな感じです。

2021年10月3日日曜日

氏神祭礼

 3日(日)は、気比神社氏神祭礼でした。コロナ禍ということで、神事だけになりました。幟等も立てませんでした。神社のブログと重なるので、ここでは神事について書き留めておきます。毎年、迷ってしまうので。

神事

1 祝詞(神官さんによるお祓いの祝詞)

2 お祓い(神官さんが玉串やお供え物、我々参加者のお祓いをされます。)

3 本殿へお供え(神官さんが本殿にのぼられたら、氏子総代と権守がお供え物を運びます)


4 本殿で祝詞(神官さんが本殿で祝詞をあげられます)


                 敷物の向きが逆です

5 玉串奉奠(区長、自治会長、漁業協同組合、農家組合、権守、氏子総代の順に玉串を奉奠)


  6 本殿のお供えをさげる(神官さんが再度本殿にのぼられたら、氏子総代と権守がお供え物をさげます) 

 以上

2021年9月27日月曜日

元伊勢皇大神社、天の岩戸神社

  夕方、車検の見積もりを予約していたので、それまでの時間に、元伊勢皇大神社、天の岩戸神社にお参りしました。


 元伊勢皇大神社は、以前に何回かお参りしたことがあるのですが、天の岩戸神社はお参りしたことがなかったので、今回の目的はこちらでした。



 駐車場から約1km位ほど歩いた先に神社はありました。月曜日でしたが、数名の参拝者がありました。写真で見た感じでは、崖の上にあるのかと思っていましたが、実際には鎖をつたって神社まで登ることができました。意外と低いところにあることがわかりました。駐車場に自動車を止め手歩きましたが、車で来ることも可能なようでした。ただし、駐車ができないかも知れません。宮津への近道という表示もありました。その後、元伊勢皇大神社によって御朱印とお守りを買って帰りました。