2021年7月27日火曜日

ぼくは戦争は大きらい

【今日の1冊】「ぼくは戦争は大きらい」やませたかし:著 小学館:刊




 やなせたかしさんは、昭和15年に招集され、5年間日本陸軍の兵隊でした。しかし、運良く?激戦地には行かず、大きな戦闘も経験せずに、上海から日本に戻ってこられました。当時、90歳を超え、自身の戦争体験や軍隊体験を語ることで、戦争のことが少しでもみなさんの記憶に残ればと思い、この本を書かれました。

 印象に残ったところを紹介します。

 「アンパンマンはバイキンマンをやっつけるじゃないか、あれはどうなんだ。」と言われることがありますが、バイキンマンは「ばい菌」です。食料と菌の闘いです。でも、やられても、戻ってきて仲良くしてもらっては困るが、また戻ってきて共に生きていることが重要です。

 やませたかしさんは、戦争の原因は「飢え」と「欲」ではないかと考えておられます。氏が、アンパンマンの中で描こうとしたのは、「分け与えることで飢えはなくせる」ということ、「嫌な相手とでも一緒に暮らすことはできる」ということだそうです。「マンガだからできること、現実は無理だ。」といわずに、若い人たちに真剣に考えてほしいそうです。

 私たちも考えなければならないことだと思います。

2021年7月22日木曜日

横井庄一さん

【今日の1冊】「よこいしょういちさん」かめやまえいこ:文・絵

 横井さんも「引揚」である。敗戦後28年間もグアム島で生活していた横井さんが帰国したのは1972年のことでした。「はずかしながら、生きながらえて帰ってまいりました」という言葉は、当時中学生の私もよく覚えている。戦後75年以上が経過し、戦争を知らない世代が大半を占める今、戦争体験を伝えることは重要である。この本には、その橋渡しの役割を果たすことを期待する。

 作者の「かめやまえいこ」さんは、横井さん帰国後の1973年である。この方も橋渡しの役割を果たしていると思う。私たちもそうありたいと思う。

 「この次は 戦なき世に 生まれてきて 父母子等と 夕餉を囲むこと」これは辞世の言葉でしょうか。

2021年7月18日日曜日

今週のオオキンレイカ

【今週のオオキンレイカ】

 北陸地方の梅雨が明け、30度近い猛暑日が続いています。オオキンレイカは、濃い緑のもののあれば、葉が枯れかけているものなど、さまざまです。花をつけた株は引き続いてたくさんの花を咲かせていますが、それ以外の株は葉ばかりが元気で、花を咲かせる様子がありません。

 一方、今年芽を出したオオキンレイカは、 順調に育っています。葉の枚数も増えてきました。


これが一番茎が伸びています。上の段から下の段まであります。




葉ばかり元気ですが、花は咲かせません。



今年のオオキンレイカは、葉がふえています。

2021年7月13日火曜日

絵本3作

 【今日の3冊】

 絵本を3冊、まとめて読みました。時節柄、戦争関係が2冊、コロナ禍関連が1冊です。多分。

「あるひあるとき」あまんきみこ:著  のら書房


 あまんきみこさんは、戦争中、中国の大連に住んでおられたのですね。『終戦後、いろいろなことが起こり、危なくて外に出られなくなりました。やがて、治安が少しずつよくなりました。』と書いてありますが、そんなには大変な様子ではないように読めます。大連は満州の中でも南の方であり、コロ島にも近いからでしょうか?それとも、あえて書かなかったのか?そのあたり、もう少し知りたかったかなあ。


「ヒロシマ消えたかぞく」指田和:著  ポプラ社:刊

 作者の指田さんは、わたしより10才ほど年下か?一枚の写真との出会いが、このような本になる、それくらい写真に力があったのでしょう。そこに一つの家族が生きていた証ですから。こういう写真が語りかけるものは、限りなり。たくさんの人に読んでほしいです。


「会いたくて会いたくて」室井滋:作  長谷川義史:絵  小学館:刊

 コロナ禍、見舞いにも来てもらえず、一人でさびしく死んでいく人もいるんでしょうね。病院に行っても、「面会お断り」の貼り紙がありますし。なんとかして、思いを伝えたいという思い、やさしい気持ちが痛いほど伝わる絵本です。長谷川さんの絵も素敵です。

2021年7月12日月曜日

遙かなる満州

【今日の1冊】「遙かなる満州」町田典子:著 文芸社:刊


 町田さんは、1939(昭和13)年、3歳の時に満州に渡る。お父さんは、軍人であり、現役除隊となって前線を退いたタイミングで家族を呼び寄せたそうである。1945(昭和20)年、お父さんは、吉林市でソ連に拘束され、家族は離ればなれになるが、その後、1946(昭和21)年、錦州市で再会し、9月20日、軍人とその家族の引き揚げが再開されたことにより、葫蘆島から引き揚げ船「興安丸」に乗り、長崎県佐世保・浦頭港に引き揚げてこられた。

軍人としての引き揚げであり、生活もある程度守られていたのか、満州での混乱ぶりはあまり書かれていない。一方で、引き揚げ船が大型貨物船であったことから、約Ⅰか月に及ぶ船内の環境は劣悪だったようで、食料もほとんどなく、何人もの子供が栄養失調で亡くなったようだ。町田さんも、栄養失調のため脚気になり、心臓に障害が出て、口をきくことができない状態だったそうである。

この本の内容は、町田さんが45年ぶりに満州を訪問したときの記録である。お母さんは同行できなかったが、その代わり娘2人を同行させた。最初は、乗り気ではなかったようだが、この経験を通して、町田さんの思いは伝わったようであった。

なお、挿絵は、同じく満州からの引き揚げ者である森田拳次さんによるものである。

 戦後75年以上たち、人々の記憶も次第に薄れてきており、また、中国も近代化され町並みも様変わりしている。引き揚げの記憶を伝承する取り組みは今後も重要性がますと思うが、段々とむずかしくもなる。風化させずに、伝承させたい。

2021年7月11日日曜日

ホビーパソコン

【今日の1冊】

 「あの頃欲しかったホビーパソコンカタログ」前田尋之:著 ジー・ウォーク:刊


 本屋さんでたまたま見つけて衝動買いでした。今時(いや今だからか??)こんな本が出るなんて!よく企画がとおったなあと思います。といいつつ、こうやって買っているのだから、物好きとしか思えませんが。本の「帯」には「雑誌を眺めて憧れていた少年時代の思い出が蘇る」と書いてありますが、ボクの場合は少年時代というよりはもう少しあとで、もう大人になっていた頃のパソコンなので、憧れと同時に一部は購入していたり、使用していたものもあり、大変なつかしい思いがします。

 所有していたパソコンは、本の見出しを引用すると「当時、誰もが憧れた!!パーソナルワークステーション『X68000』」シリーズの『X68000ACE』です。1988年3月に発売されました。当時は、まさに夢を超えたバケモノマシンでした。同じくシャープの電気事業部が発売していたX1シリーズの後継機でしたが、X1シリーズとは互換性が全くなく、ソフト資産0の段階での発売でした。名前のとおり16ビットCPU68000(実際には日立製の互換CPU)が搭載されており、当時68000がワークステーションに搭載されていたことから個人で使えるワークステーションという意味で『パーソナルワークステーション』と呼ばれていました。(シャープが呼んでいた?)マウスが標準で付属していたり、フロッピーだ「オートロード・オートイジェクト」だったり、65000色、FM音源など、かなりMACを意識したパソコンでした。SX−WINDOWという国産のGUIも持っていました。自分は、2代目の『ACE』を購入しました。20Mのハードディスク内蔵でした。今では信じられませんが、20Mのハードディスクが20万円ほどした時代でした。資産0からの出発でしたので、ゲームソフトはたくさんありましたが、ワープロや表計算、グラフィックなどビジネス系のソフトはそれぞれ数本ずつしかなく、一応MS−DOSファイルは読めましたが、仕事には使えませんでした。ということで、高い買い物になりました。まあ、ある意味、いろんな面で勉強になったといえます。しかし、一部マニアは盛り上げっており、満開製作所のFDでの雑誌やおみこしかつぎ隊の活動(大坂まで集まりに行ったこともある)など、かなり後まで盛んでした。さらに、当時は、近畿放送で「パソコンサンデイ」というシャープが提供している番組があり、日曜の朝の楽しみでした。いやあ、どんどん出てくる出てくる。このあたりしないと終わらなくなる。今は、当時の念願だったMACユーザーとなり、X68000は本体だけが残っています。そういえば、X68000初代のカタログは残っています。

 この本は、こんなことをなつかしく思いださせてくれます。それだけでも、買う価値があったのでしょうか?このほかにも、我が家には『MX−80K』や『MZ−2000』などがあります。これは弟が残したものです。『80K』はインテリアとして飾ってあります。なつかしい。この1冊あれば、その他のパソコンについても、まだまだ話せそうです。『PC−9801VM』や『FM−TOWNS』などは、実際に仕事で使っていました。このあたりについては、いやな思い出や批判も含めて、いっぱい話せます。それは、またいつか。

2021年7月10日土曜日

今週のオオキンレイカ

 【今週のオオキンレイカ】

 1週間ぶりのオオキンレイカ。梅雨の雨の合間に草刈りをして撮影しました。雨がやんだ間に、急いで草刈りをしたので、地面あたりがあまりきれいではありませんが。また、今年芽が出たオオキンレイカも段々と大きくなりました。こちらは1本も枯れずに育っています。








2021年7月8日木曜日

 【最近購入したもの】

「ドウシシャ 電動ふわふわ とろ雪 かき氷器 製氷カップ3セット付き グリーン」


 テレビの番組を見て、「これはいい!」と思い、いわゆる衝動買いです。2021年モデルです。色はグリーン。この方が夏らしい。

 ということで、購入したのが木曜日だったので、帰りにいろいろ買って冷凍しておいたので、今日、早速試して見ました。まずは、プリン。問題なく削れました。もう一日くらい冷蔵庫においておいた方がもっとカチカチになってかき氷感が増したかも知れません。でも、問題なく削れました。次に、「フルーツゼリー」。こちらも問題なく削れ、おいしかったです。これ以上は、食べ過ぎになるのでやめました。


 感想としては、かき氷器は何の問題もなく使えました。問題があるとすれば、我が家の冷蔵庫かも知れません。もっと冷温になる冷凍庫がほしいです。あと、かき氷器にきちんと収まる容器がほしいかなあ。今後は、上の写真のように、バナナなど冷凍した果物などにも挑戦してみたいです。いい買い物でした。

2021年7月7日水曜日

44のレッスン

【今日の1冊】 

「明日死んでもいいための44のレッスン」下重暁子:著 幻冬舎:刊



 なんとなく、このタイプの内容の本を手に取ってしまいます。「明日死んでもいいための44のレッスン」としてあげてあるものから気になったものを書き留めておきます。

○毎朝、ベッドの中でその日やることを決め、一日一日、やるべきことをやる。

○睡眠は毎日たっぷりとる。

○ストレスを溜めない。

 この3つは、睡眠に関すること。やはり、睡眠は重要です。


○心を遊ばせるために散歩する。

○定期的に山にこもって自然に返る。

○ほんとうに好きなものに囲まれる。

 これらは、趣味や運動に関するものです。散歩は始めなければと思いつつ、実行に移せないものです。山にこもるなんていうのもいいです。


○社会や政治に対して、意見をきちんと表明する。

○いいわけをしない

○自己表現を最後までする。

 生き方の関するものです。意見を表明したり、自己表現をすることは特に重要と感じています。


○自分の死のイメージを作る。

○辞世の句をつくる。

 これは、死に関することです。まあ、気が早い話ですが。でも、辞世の句をつくるなんていいかも知れません。


2021年7月5日月曜日

今週のオオキンレイカ

 【今週のオオキンレイカ】

 今週のオオキンレイカは、今週はお休みです。

 理由ですが、土日に熱中症にかかってしまったこと、そして、予定では、伸び放題になっている雑草をきれいにしてから写真を撮る予定だったことがそのためにできなくなったことなどです。さらに、思ったよりもたくさんの雨が降ったことも原因です。また、来週、きれいにした様子を掲載させていただきます。

 さて、熱中症ですが、初めてかかりました。まさかと思いましたが、試しに飲んだ「経口補水液」が大変甘く感じたことで、間違いないと確信しました。病院に2度行き、点滴を2回し、やっと月曜日に体温が下がりました、湿度が多い中での草刈り等の作業が原因と考えられます。これくらい大丈夫と思っても、年なんですね。十分気をつけたいと思います。

 ということで、今回は和田公民館に咲いていたオオキンレイカを紹介します。これらは、高浜町にとっては、第1世代、一番最初に京都大学さんや植物園さんからいただいたもので、この1世代のものは順調に花を咲かせています。ちなみに、このブログで紹介しているものは、第2世代、第3世代のものということになります。その子、その孫という意味で。




勝手に紹介してすみません。


2021年7月1日木曜日

ボクの満州

 【今日の1冊】「ボクの満州」中国引揚げ漫画家の会:編 亜紀書房:刊


 戦後50年という節目に出版したマンガ家による満州、中国引揚げ体験記です。

 赤塚不二夫、古谷三敏、ちばてつや、森田拳次、北見けんいち、山内ジョージ、横山孝雄、高井研一郎が満州、中国生まれ。上田トシコは、韓国生まれとなります。(敬称なしですみません)それぞれ住んでいた場所、育った状況、体験は違っていますが、いつも死と隣り合わせにいたと思われます。

 いうまでもなく、満州国とは、昭和7年にできた国で、13年と5か月しか続かなかった国です。当時、日本軍は中国東北部で陰謀、謀略を繰り返し満州事変を起こし、清王朝皇帝溥儀を担ぎ出して満州国をつくります。当然、それは中国人から指示された国ではなく、日本人にとっても、王道楽土の理想郷ではなかったことはいうまでもありません。

 この本に書かれた体験は、今絵に描き、文章に書いておかないと消えてしまうという実感に基づいていて、戦後50年たって、やむにやまれない思いをまとめたものです。みなさん、ご高齢で、実際、赤塚不二夫さんはなくなっています。

 昭和21年5月から23年8月までに、新京、奉天に集結して葫蘆島を通過して日本に引き揚げた満州関係車は百万人以上いました。また、大連から引き揚げることができたものは22万5千人いました。このあと、満州に残った日本人は約6万人でした。終戦時、海外にいた日本人は約660万人でしたが、華北、華中、華南、台湾にいた約250万人の軍民は1年数が月の間に組織的、迅速に引揚げが行われ、人員の損失率は5%。満州からの引揚げは何年もかかり約10数万人が死亡した。こうした中で、大陸に残された子供は3000人から5000人、またそれ以上ともいわれ、残留孤児になったと思われます。

 9人のマンガ家の心の底には、この満州や中国での日々が心の底にこびりついていた。同じような体験をしたことのない人に、また、戦争も引揚げも知らない若い人たちに子供たちに、二度とこういう体験はさせたくないという思いを込めて書かれた作品と言えます。あまりしっかりとした紹介ができずに申し訳ありません。でも、わたしたちには、こういう思いを引き継ぐ責任があると思います。そのためにも、もっともっと学習しなければと思います。今後ともがんばります。