2021年9月27日月曜日

元伊勢皇大神社、天の岩戸神社

  夕方、車検の見積もりを予約していたので、それまでの時間に、元伊勢皇大神社、天の岩戸神社にお参りしました。


 元伊勢皇大神社は、以前に何回かお参りしたことがあるのですが、天の岩戸神社はお参りしたことがなかったので、今回の目的はこちらでした。



 駐車場から約1km位ほど歩いた先に神社はありました。月曜日でしたが、数名の参拝者がありました。写真で見た感じでは、崖の上にあるのかと思っていましたが、実際には鎖をつたって神社まで登ることができました。意外と低いところにあることがわかりました。駐車場に自動車を止め手歩きましたが、車で来ることも可能なようでした。ただし、駐車ができないかも知れません。宮津への近道という表示もありました。その後、元伊勢皇大神社によって御朱印とお守りを買って帰りました。


2021年9月22日水曜日

小さな引揚者

【今日の1冊】「小さな引揚者」飯山達雄:写真・文 草土文化:刊


 ここに収録されている写真の中には、これまでに何度となく目にしたことのあるものがたくさん載っていました。非常に貴重な写真集である。文章はとばして、写真だけをながめていたわけだが、「一体この写真はどうやって撮ったのか」と不思議になった。引揚者がとることは不可能であろう。貴重品はロシアの兵隊に持って行かれたわけだから、カメラを隠し持つことはできないだろう。仮にカメラがあったとして、フィルムも準備できたとは思えない。2・3枚ならともかく。作者はどんな人なのだろう?などなど。

 そうして、改めて読み直してみて、大変驚いた。作者は、終戦直後に引き揚げてころられた方でした。しかし、引揚が全く進まない現状や現地の取り残された引揚者の現状を伝えるために、再度大陸に渡り、引揚者と共に船にのって撮影してきたのだった。すごい人がいるものです。

 ところで、カメラやフィルムはどうしたのか。それも大変でした。戦後の露天市を何日も歩きまわって集めたそうです。カメラは、ローライコード(6×6)1台とベビーイコンタ・カメラ(3×4)2台。ローライコードは、上からピントを合わせることができ、ベビーイコンタも片手で操作ができることから隠し撮りをするのに好都合だったからだそうです。フィルムは、ブルーニフィルム(6×6 12枚どり)26本、ベストフィルム(3×4 12枚どり)2本でしたが、 ブルーニフィルムをベストフィルムサイズに裁断して使ったどうです。そのほか、博多でもフィルムを手に入れ、500枚の写真が撮れる準備ができたそうです。これも、なみなみならぬ努力である。

 帰国後、引揚者の実態を撮影した写真をプリントし、50点ずつ3部作って、在外同胞引揚援護会に提出されたそうです。外務省とGHQにも渡されたはずです。きっとそのことが功を奏して、引揚事業が急ピッチで進められたに違いありません。一人の人間の勇気ある行動が世の中を動かしたと言えます。そして、この方の努力があったからこそ、引揚者の本当の姿を知ることができるわけです。よくぞ、撮ってくださいましたと感謝申しあげたい。中古品で少し高い買い物でしたが、値段以上の価値のある買い物でした。本当に素晴らしい仕事です。感謝!感謝!

2021年9月18日土曜日

「きみには関係ないことか」

 【今日の1冊】「きみには関係ないことか」京都家庭文庫地域文庫連絡会:編 かもがわ出版:刊


 戦争や平和に関する本や絵本を紹介したもの。今一度戦争について関心を持ってほしいという思いの強さが伝わってくる内容でした。恥ずかしながら知らない本が多く、このリストをもとに学習を進めていきたいと思う。図書館で借りてきた本ではあるが、是非購入して手元に置きたいと考えている。テーマごとにまとめてあるので、興味のあるところから読むことができるのもありがたい。早速、「引き揚げ」の章に紹介してある「中学生の満州引揚日記」と「小さな引揚者」をそれぞれ借りたり、購入したりした。本書に続けて、ここでも紹介できたらと考えている。リストは、「’03〜’10」となっているので、ほかにもあるのかも知れない。探してみよう。

2021年9月13日月曜日

パソコン温故知新

 【今日の1冊】

「パソコン温故知新 インターネット前夜編」 SuperWorke:編 河出書房新社:刊


 昨日、おおい町の図書館で見つけて、借りてきました。おもしろくて、すぐに読んでしまいました。副題にあるように「40代以上には面白く 30代以下には役に立つ」内容と言えます?役立つかなあ?歴史を知る上ではいいかなあ。「最強のDOSマシンとして愛されたPC-98シリーズ」、「国産パソコンの傍流の系譜」、「一太郎の蹉跌」、「QV-10がパッケージしていた未来」という章が特に気に入りました。読んで感じたことをだらだらと書いてみました。

「最強のDOSマシンとして愛されたPC-98シリーズ」

 PC-98は、当時個人でパソコンを使う人のほとんどが買っていた怪物パソコンであった。MS-DOSの普及と共に普及し、ほとんどのソフトがPC-98対応であった。ワープロの「一太郎」、表計算の「ロータス123」、データベースの「桐」、ほとんどの人が一緒に使っていた。我が家には、PCー98互換のエプソンのノートパソコンがあった。しかし、「ウィンドウズ95」の広まりと共に、その勢いは衰えていった。ソフトのウィンドウズ対応をとなったので、メーカーを選ぶ必要がなくなったからである。いつのまにか、ワード&エクセルが主流になった。でも、一部のマイナーな業界では、かなり長い間PC-98が主流であった。花火の打ち上げソフトなどがそうだった。

国産パソコンの傍流の系譜

 初めて買ったパソコンはX68000。いわゆる傍流?のパソコンである。PC-9800シリーズばかりのなかであえて購入したが、ソフトが少なく、仕事にははとんど使えずじまいであった。しかし、音楽や画像関係には強く、ながくDOSマシンやウィンドウズマシンと併用していた。とにかく、当時としては、とても独創的で革新的でした。「電脳倶楽部」や「おみこしかつぎ隊」など、なければ自分で作ってしまえという文化を持っていたパソコンでした。当時は、まだ各社ともに個性的な?というか独自のハードが多かった。FM-TOWNSなんてのもあり、教育現場では強かった。(内田洋行の力か?)今は、MACを使っている。「POWER BOOK G3」からのつきあいである。ふりかえると、X68000を買ったときも本当はMACがほしかったのですが、当時高すぎて、同じモトローラ製のCPU(日立製の互換でしたが)を使っているという理由で買ったのでした。 

一太郎の蹉跌

 ワープロというと、はじめは専用機。キャノンのキャノワード、富士通のオアシスを使っていた。富士通には、親指シフトや教科書体のフォントなどがあり、かなり個性的でした。パソコンソフトでは、まずは「一太郎」、当時はヴァージョン3。何といってもフロッピー一枚で動きました。十分不可欠な機能で、なによりユーザーの目線に立ったソフトでした。しかし、もう少し機能が欲しいということと、その後のVER4.3が使いにくかったことから、一時期「松」を使っていました。半角漢字が使えたこと、「桐」を作っている管理工学のソフトという点がよかったです。ただ、ウィンドウズへの対応が遅れたことにより、また一太郎に戻りましたが、VER5はトラブルが多く、VER8くらいから、やっと普通に使えるようになったと記憶しています。しかし、メモリーをくうため、Ⅰか月間研修に出る機会があったときに、一念発起して「ワード98」に移行しました。とにかく、当時は、まわりに誰も使っている人がいなくて、一太郎との発想と操作の違いに苦しみました。その後も機能につられて一太郎「承」?あたりまではユーザーでしたが、いまは購入していません。なんというか不必要な機能が多すぎます。でも、意外と教育現場ではユーザーが多くて、びっくりします。「縦書きは絶対一太郎だ!」とか「ワードの罫線に慣れない!」という声をよく聞きます。

QV-10がパッケージしていた未来

 初めて買ったデジカメは「カシオQV-10a」でした。25万画素だったかなあ?いまどき自動車のバックモニターでももう少しきれいな画像である。当時まだフィルムカメラが主流でしたが、撮ったその場で画像が見られて、家庭でも印刷ができる題名のとおり「パッケージされた」世界を持っていました。いまや、一眼レフカメラもすべてデジタルになってしまいました。一部残っているかな?携帯電話で撮る写真のきれいなこと。でも、カシオはデジカメから撤退してしまいましたね。先駆者だったのに残念です。

 この本を読んでいて、昔のことをいっぱい思い出しました。

2021年9月12日日曜日

今週のオオキンレイカ

【今週のオオキンレイカ】

 花も終わり、報告することも少なくなってきました。30本ほどの苗でしたが、半数近くは弱ってきている気がします。枯れてしまった苗も数本あります。夏場の水不足と土の条件が悪かったのでしょうか。植え替えたと言っても、人工的な花壇ですから。土を足すなどして、今後にそなえたいと計画しています。後は、種がどれくらい取れるか、見守りたいと思います。

 今年度、芽を出した苗は順調に育っていますが、秋になり、少しずつ葉が色づいてきました。これは、自然に枯れてきたのだと思います。



種がどれくらい取れるか?


 

今年の株です。少し色づいてきました。