「三つのお願い」ルシール・クリフトン:作 金原瑞人:訳 はたこうしろう:絵
改めて読んでみて、おもしろさにはまってしまった。全く勝手な読みで申し訳ないが、わたしなりに読んでみた。
まずは、疑問点の整理。
①1セントをみつけるところ
ここが不思議で面白い。本文はこうなっている。
・・・・わたしは、雪の中にぴかぴか光っている物を見つけた。
「レナ。あれ、なんだろう。」ビクターがきいた。
「お金みたいよ。」
不思議です。だって、ゼノビア(レナ)が見つけたのに、「あれ、なんだろう。」と聞くのはビクターなのです。普通は見つけた人(レナ)が聞くでしょう。なのに、ここではビクターなのか。
②2つ目の願い
1つ目の願いは偶然。では、2つ目の願いはどうしてかなったのか。本文は、こうなっている。
・・・・そのとたん、ビクターも飛び上がって、キッチンから飛び出したかと思うと、コートをつかんで、表へかけ出した。
③3つ目の願い
2つ目に続いて、この願いもどうしてかなったのか。
ほかにもいろいろあるが、この点を考えるだけでも、想像するのが楽しくなってします。
①の疑問。つまりは、ビクターはレナの目線を追っているのである。いつもレナの顔を見ているといった方がいいかも。だから、レナが見つけたと同時にビクターも見つけていて、さきに声に出してしまう。そして、なんで見ているの?何で知っているの?とも思わないで、「お金見たいよ。」と自然に答えている。ビクターはレナのことをいつも気にしている、気になって気になって仕方がない、多分好きなのでしょう。レナもどこまで意識しているかはわからないが、そうやって見てくれるビクターが当たり前になっている。2人はそんな関係である。
そうなると、②、③の疑問も簡単に理解できる。つまり、1セントの力を信じないレナに信じさせようとして、わざとしたのである。3つ目も、レナの思いこそは真剣であるが、それがかなったというより、ビクターがかなえたという点では同じである。
でも、これを、ビクターがだましたなんて言うと夢のない話になる。ビクターは一生懸命なのである。このあたりを子どもがどう読むか、興味津々である。今日はこの辺で、終わりにします。ところで、「どんぴしゃり。お願いがかなった。」って、だれの言葉でしょうか。この続きはまた。
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