結婚式場! |
こちらが本殿! |
【今日の本】「生きるということ」黒井千次:著 河出書房新社:刊
バスの中で読みました。63の短編からなる新書です。おもしろいと思ったところを何編か紹介します。
①先生からの質問
著者の作品が教科書に載った際に、その解釈について、先生から手紙をもらうそうである。わからないことは作者に聞けばわかるということなのでしょう。それについて、黒井さんは「先生はどうして全力で考えて自分の責任で結論を出さないのか」といわれます。また、「作品は、作者の手を離れたら独立の命をもつ」とも。作者が死んでいたらどうするのかという文とともに、作者でなく一読者として考えをおくられたそうです。そうすると、一人の女の先生からは返事もなく、もう一人の男の先生からは「作者もわからないんと聞いて教室が大笑いになった」という返事をいただいたそうです。
大笑いとは、どういう意味なんでしょうか。「なんだ、結局書いた人もわからないんだった、なら僕たち真剣に考えてバカみたい」とでもいうのでしょうか。読むとは、答えを探すことなのでしょうか。私たちは、そのような授業をしていないでしょうか。そんな読み手に育てていないでしょうか。考えさせられました。
②秘密と無駄と
黒井さんは、読書の形が変わってきたいわれます。読書ってなんなんだろうと考えさせられました。 読書離れということがいわれますが、本当の読書の楽しみってなんだろうと。黒井さんは「一冊読み終えるごとに身長が1cm伸びるような気分で読み続けた」といわれます。読書とは「公明正大な営みではなく、限りなく個人的な営みである」と。そして、「秘密と無駄を失った暮らしは虚しいものになってしまう」と。
実は、①の次の短編です。2つが一番印象的でした。感想文を書くためにしか本を読まないなんて生徒もいるのでしょうね。作者もわからないことだから真剣に考えてみようと考えられるようになりたい。僕はこう思う、私は違うと思うというように。そんな読み手を育てたい。読むという行為についていろいろと考えさせられました。「曇った鏡」という短編では、本を買わないで読むことが多くなったといわれ、そんな読書はその程度のものであるといわれる。「本は自分を映し出す鏡である」といわれる。本が面白いか面白くないかの感想は鏡に映った自分であると。鏡には強い光があたらないと自分の姿ははっきりと見えない。強い光とは、本をしっかり読むということである。そういう意味から、借りた本は曇った鏡であるといわれる。厳しい意見である。
0 件のコメント:
コメントを投稿