【今週のオオキンレイカ】
残り6本のオオキンレイカを壇になっている花壇に植え替えをしました。これで、1昨年の苗はすべて植え替えたことになります。毎日の水やりからは解放されるかなあ?今年度、芽が出たオオキンレイカは、引き続き水やりが必要ですが。
植え替えしたオオキンレイカは、順調に育っているようです。2本ほど、あやしいものがありますが。今日は、花が咲きそうなものの花の部分を拡大してみました。
【今週のオオキンレイカ】
残り6本のオオキンレイカを壇になっている花壇に植え替えをしました。これで、1昨年の苗はすべて植え替えたことになります。毎日の水やりからは解放されるかなあ?今年度、芽が出たオオキンレイカは、引き続き水やりが必要ですが。
【今日の1冊】
「74歳、ないのはお金だけ。あとは全部そろってる」牧師 ミツコ:著 すばる舎:刊
・娘たちに「自立しなさい」といって育てたので、自分が自立しないわけにはいかない。そのために一人暮らしをし、健康にも気をつけている。そのための健康法も参考になりました。
・いつも笑顔で。笑顔でいると、人の免疫力がアップする。そのために、家のあちこちに鏡を置いているそうである。
・働くことが大事。また、勉強会などにも顔を出すようにしている。
・物には、寿命をまっとうしてもらう。写真の電卓は久しぶりに見ました。
・いつでも目の前のことを「最高のものにしよう」と向き合う。楽しくないと人生じゃない。
・いつになっても新しい挑戦。71歳からプール通い。
・「人のため」でなく「自分のため」で生きるのが楽になる。
・子育ても介護も、目標は相手の自立。下手でも、遅くても自分でやるほうがうれしいはず。子どもたちの問題に関わっていると、時々このように感じてしまう。それは、その子のためになっているのか、その子が望んでいるのかと考えてしまうことが多い。こちら側の思いだけなのではないかと。
年を取ると、いつ、どんなことがあるかわからない。一日一日を大切にし、一日一日が最高のものになるように努力していきたい。いけるといいなあと思う。
【今日の1冊】
「歴史のIF」本郷和人:著 扶桑社新書:刊
「もしも、鳥居元忠が、島津義弘に『かたじけない』と頭を下げていたら…」は、おもしろいと思う。どっちつかずの薩摩は結果的に西軍についてしまうわけだが、もし、東軍についていたら、明治維新はどうなっていただろう。まあ、少ない軍勢でありましたから、討ち死にしていたと思いますが。でも?
「本物のおとな論」外山滋比古:著 海竜社:刊
「学校では『みんな仲良く』と教えるけれど、合わない人間同士を無理やり仲良くさせて長時間一緒にしたらイジメが起きるのは当然。『苦手な人との距離の取り方』を教えてもいいのでは」
ツィッターで見つけた書き込みです。昨日紹介した「みんなに好かれなくてもいい」と同じような内容でした。
大人だって仲良くなれないことがある。でも、大人はうまく距離を取って、やり過ごすことができる。表現が悪いか?でも、表面だけではだめ、心から…なんてことを先生って言いがちです。こういうふうに教えることで、生徒が仲良くなれない自分を責めたり、無理して自分も好かれようとしたりして、結果として孤独を感じてしまったりすることがあるのではないか。もちろん、クラス全体に指導するかは別ですが、このように悩んでいる子には、こう指導することも大事だと思う。こういうことって、意外と人権教育を取り組んでいる人に多い気もする。言っていることとやっていることにギャップがあるのでは。
本の紹介の時と同じように感じました。
【今週のオオキンレイカ】
植え替え後も、元気に育っています。2年目になり、何本かは茎が伸びてきました。これらは、7月頃には花を咲かせることでしょう。と、期待しています。他に何本茎が出てくるでしょうか。楽しみです。
【今日の1冊】「みんなに好かれなくていい」和田秀樹:著 小学館:刊
「仲良くすることはいいこと」「友だちは多い方がいい」と教えることは、「仲良くできないとダメ」、「友だちが多くないといけない」と思い込ませることにつながっている。実際、みんなに好かれるためには何をどうすればいいのか?テストの点数なら勉強すればよい、スポーツなら練習すればよい。でもみんなに好かれるためには?そうすると、「まわりと話を合わせる」「違うことを言わない」「空気をよむ」ということがおこり、結果として、人間関係に自信が持てなくなってしまう。
仲間はずれを禁止し、互いを傷つけない、仲良し教育が優先される教育が、調和を乱さない風潮をつくってきたという指摘から学ぶべき点はある。自分の言いたいことが言えずに我慢している子供は多いと思う。授業においても、わからないというとみんなや先生に迷惑をかけてしまうと考えている子供もいるように感じる。でも、本当に仲がよいとは、自分の言いたいことが受け入れられることであるのに。「わかりましたか?」といわれるものね。
多少、極端な?感じもしますが、ほかのシリーズも読んでみたい。さまざまな立場の意見を聞くことは大切です。10年後の世界なんて未知なんですから。その10年後をつくるのは子供たちなんだから。
【今週のオオキンレイカ】
先週に引き続き、1昨年芽を出したオオキンレイカを敷地内のコンクリートの段に植え替えました。16本植えたので、合計31本植え替えました。まだ残り6本はポットのままで残してあります。今年発芽したオオキンレイカは、1本枯れてしまい10本になりました。残念。
15日(土)、高島市の石造物を巡る講座に参加しました。高島市歴史民俗資料館から出発して、市内の石造物を散策しました。昔そのままの場所に立っているものもあれば、道路拡張工事等の理由で場所を移されたものもありましたが、やはり昔ながらの場所にあってほしいと思います。移した場合は、もとの位置を明記したり、写真等をつけるといいと思います。
「デンマークでは教室でティーチャーと言う言葉を使うことが禁止されている。」
プレジデントという雑誌にこんな一節がありました。言葉がどうというよりも、このことに代表される日本の学習形態に問題があるということなのでしょう。
つまり、「先」に「生」まれた人(教師)が答えを知っていて、知らない人(児童生徒)たちに教えるというのが前提になっているのではないか。予想させるといっても、すでに教師は答えを知っているわけだから、教師の知識以上にはいたらない。しかし、21世紀の学びは答えがない時代なので、こういう学習形態では21世紀に求められている学びにはいたらないのではないか。
「デジタル時代に、他人の真似をしたり改善したりしても先行者にはまず勝てない。デジタル大陸での競争を生き抜くのに必要なのは、進むべき方向を定め、0から1を作る能力である。」と指摘されている。明治以来の教育の主な目的は、欧米に追いつくために、西洋のやり方を覚え、素早く真似できる人材を育成し産業界に送り込むことだったと。
日本の教育制度は抜本的に改革しなければならない段階に来ているのかも知れない。
【今週のオオキンレイカ】
これまで、小さな鉢(ポット)で育ててきたオオキンレイカですが、そのうち、15本を庭の斜面にある棚に植えました。ななめになっているので、実際に山で育っているような感じになるかなあと思います。うまく根がついてくれるようなら残り全部を植え替えたいと思います。土が赤土っぽいことが若干気になりますが、どうなることやら。
【今日の1冊】
「女たちのシベリア抑留」小柳ちひろ:著 文藝春秋:刊
「シベリア抑留」について関心があって読み始めた本ですが、抑留者の中に女性の捕虜が存在していたことをはじめて知りました。従軍看護婦や軍属、電話交換手、開拓団の民間女性、そして受刑者の女性たちがシベリアに送られていたのでした。シベリア抑留や引揚を学習する際の新たな視点をいただいた気がします。大変参考になりました。
ディレクターとして、ご自分で取材されたことをもとにした内容なので、大変説得力があり、読み応えのあるものでした。取材に答えてくださった女性の皆様にも感謝したい。長文なのでやっと読むことができたわけですが、たくさんの番組を制作されているので、それらも是非見てみたいと思いました。
ゴールデンウィークですが、コロナ禍ということで県をまたいでの外出は控えています。しかし、家にばかりいても退屈なので、近場に出かけました。
3日は、図書館に本を返した帰りに、口名田地区にある「田縄の滝」に行ってきました。この道を通るたびに気になっていたので寄ってみました。熊野神社の駐車場に車を止めて、そこからは徒歩。昨日の雨で、道路がぬかるんでいました。反面、水の量は多くて、迫力?が少しありました。