【今日の1冊】「農学と戦争 知られざる満洲報国農業」安達太郎他:著 岩波書店:刊
報国農場、特に福井県の報国農場について知る手がかりがないかと思い読みました。
福井県の報国農場について、書かれている内容。
1943年 龍興省甘南県平陽村に建設中の興亜開拓団に派遣された興亜女子勤労奉仕隊の実
践成果が高く評価される。
1944年 興亜報国農場の設置が計画され、福井県農民道場の男子生徒17名が先遣隊とし
1944年 興亜報国農場の設置が計画され、福井県農民道場の男子生徒17名が先遣隊とし
て派遣される。その後、嶺南四郡から募集した105名の第1次女子隊員が渡
満。
1945年 3月と4月、西隊長以下5名の幹部と嶺南4郡からなる女子青年団より69名、
1945年 3月と4月、西隊長以下5名の幹部と嶺南4郡からなる女子青年団より69名、
農兵隊隊員3名を含む77名の女子挺身隊が興亜報国農場に旅立つ。途中、気比
神社に参拝している。
1945年 6月、西隊長はじめ3名が応召し、幹部が半減する。
1945年 8月、敗戦を知らされた女子隊員は国民学校に集められ、自決か生き延びるかの
選択を迫られるが、全員再起を選択する。校長先生一家は、ピストルで自
決する。
ソ連侵攻後は、匪賊による襲撃にあい、熊本県出身者の東洋開拓団に避難する
も、その後、興亜開拓団に分散して越冬し、くじ引きで4グループに別れ、最終
的にはチチハルに出て、葫蘆島に南下し、1946年10月5日、日本に帰国。
2名の役員と24名の隊員が犠牲になり、日本に帰国できなかった。
1945年 6月、西隊長はじめ3名が応召し、幹部が半減する。
1945年 8月、敗戦を知らされた女子隊員は国民学校に集められ、自決か生き延びるかの
選択を迫られるが、全員再起を選択する。校長先生一家は、ピストルで自
決する。
ソ連侵攻後は、匪賊による襲撃にあい、熊本県出身者の東洋開拓団に避難する
も、その後、興亜開拓団に分散して越冬し、くじ引きで4グループに別れ、最終
的にはチチハルに出て、葫蘆島に南下し、1946年10月5日、日本に帰国。
2名の役員と24名の隊員が犠牲になり、日本に帰国できなかった。
改めてわかったこと。
①1945年に派遣されたものは、農兵隊隊員と女子挺身隊であること。
②ソ連侵攻後に他県の報国農場と合流したと聞いていたが、それは、熊本県の東洋開拓団で
あること。
③敗戦の知らせを聞いて、自決か生き延びるかという選択を突きつけられていたこと。自決の
場合は、毒(青酸カリ?)入りの味噌汁を飲むことになっていたこと。
④帰路のルートは、チチハル→葫蘆島であったこと。
0 件のコメント:
コメントを投稿