先日のスーホの白馬の記事について補足します。
1 スーホという名前について
以前から、半分冗談でしたが、スーホという名前は、馬(ホース)を逆さまに読んだものではないかと勝手に考えていました。ところが、本を読んで、モンゴルの道具の名前であることがわかりました。モンゴル語で「スフ」、賽野版「馬頭琴」では「蘇和」とあるものを作者大塚さんが中国語読みに訳したものが「スーホ」です。「スーホ」という道具は、一方が斧、「もう一方がかなづちになっている道具です。ソ連や中国の国旗にあるマークがそれです。
2 馬頭琴の起源となった物語
モンゴルには、「スーホの白い馬」という話はない。モンゴルには「クフーナムジル」という起源伝説がある。「天女と恋に落ちた兵士が、兵役が終わるときに黒い駿馬をもらう。駿馬は足も速く、空も飛ぶことができ、兵士は天女に会いに行くことができた。しかし、そのことに嫉妬した地元の女性が翼を切ったために死んでしまう。悲しんだ兵士が木材で作ったものが馬頭琴である」という話である。
3 作者の思い
作者である大塚さんは、日本の子どもにモンゴルの草原の壮大な風景やそこに住む人々の生活を知らすことによって、日本の子どもたちの想像力をふくらませ、異文化への関心を促したいという願いを持っていた。また、絵を担当した赤羽さんは、当時、満州国の成吉思汗廟の壁画作成に関わっている。当時は、モンゴルにある成吉思汗崇拝の観念を日本武士道のなごりをとどめる思想と結びつけようとしていた感がある。1932年に満州国が建国され、内モンゴルの東部も満州国に編入していることも背景にあると考えられる。
4 賽野版「馬頭琴」の背景
貧しい羊飼い=無産階級、王様=搾取階級。支配者は搾取階級であり、悪であるので、絶対に倒さなければならないという階級闘争の思想のもとに創作された物語であるといえる。そういった、当時の中国の社会主義的発想にあおられて作られたものといえよう。馬頭琴を弾くたびに、スーホの中に王への憎しみが蘇る、搾取階級への憎しみを忘れてはならないという意図のある文学といえる。もちろん、日本語訳の話には、このような表現は軟らかくなっている。
どのような背景があろうとも、日本語版の「スーホの白馬」の価値に変わりはありません。しかし、同時に作品の背景を知ることで作品の理解が豊になると言えるのではないか。正直な話、今回初めてこの背景について知りました。
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