2024年6月6日木曜日

禅、夏目・西田

 本の紹介は久しぶりである。いろいろ読んではいますが、、、

 「禅の風 第53号 『太祖瑩山禅師の生涯 衆生とともに歩む』曹洞宗宗務部:編 水曜社:刊


 はずかしい話だが、曹洞宗に道元禅師と瑩山紹瑾禅師の二人の祖師がいることを知ったのは、2,3年前だったと思う。教科書にも、曹洞宗の本山は永平寺と書いてあったように記憶している?もう一つ総持寺という本山があることを知ったのは、旅行のパンフレットか何かを読んでいた時だったと思う。

 永平寺と總持寺は、ともに曹洞宗の両大本山である。一般的には、道元禅師は「宗旨の祖」、瑩山禅師は「教団の祖」とされる。曹洞宗が現在のような大教団に発展する基礎を築いたのが「瑩山禅師」だそうである。そういえば、管長さんは交代で務めておられることを聞いたことがある。この本は、瑩山禅師の生涯を紹介するもので、図書館で見つけて興味があったので書いたものである。

 薄い本なので、すぐに読むことができた。今は、横浜市鶴見区に移っているが、石川県輪島市の総持寺にも行ってみたいと思う。ただ、地震で被害にあっているので、今は大変なのかなあ?また、この本?は、第53号であるが、このような曹洞宗の書物が定期的に発行されていることも初めて知った。


「夏目漱石と西田幾多郎-共鳴する明治の精神- 」小林敏明:著 岩波書店:刊

 アマゾンの記録だと2018年に購入となっている。多分、当時は、夏目漱石に関心があって購入したのであるが、2人の関係に興味があり、改めて読んだみました。ちなみに、これまでも西田幾多郎さんについては興味がなかったわけではなく、昨年記念館を訪ねたこともありますが、「善の研究」は、難解で何度か挑戦するも読破したことはありません。難解という意味では、夏目漱石さんの後期の作品もなかなか読破できないものが少なからずあります。

 今回、興味あったのは、禅の話をきく際に、禅に打ち込んだ文化人ということで、2人が並んで紹介されることが多いことです。ただ、個人的には、西田さんは、頻繁に多くの寺で参禅されているし、禅を論文の中に生かそうとされているように思います。また、京都大学の教授ですから、禅宗特に臨済宗とのかかわりは強く感じます。しかし、夏目さんは、釈宗演に参禅したこともあり、その際の経験が作品に書かれたりして影響はないとはいいませんが、そんなに強いのだろうかと疑問に思っていました。余談ですが、夏目漱石の葬儀を釈宗演が取り仕切ったことがクローズアップされることも多いのですが、それほどの関係なのかなあと感じたりしていました。そこで、改めて、この2人について、書いてあるものを探していたら、本箱にこの書籍があったというわけです。

 「父母未生以前本来の面目」夏目漱石さんが釈宗演から受けた公案です。この公案に関する記述は多くの作品にみられるそうです。これらについて、夏目漱石さんは、「ただ禅に挑戦するというのではなく、禅であるかどうかにかかわらず、作品を書くことで、釈宗演から受けた公案と格闘していた」のだと思われます。それは、「自分とは何か」「自分はどこから来たのか」という問いになり、後期の作品につながっていくようです。

 本書では、夏目さんを「内省型の近代人」と読んでいますが、それは、西田さんの「絶対矛盾的自己同一」ともあい通じるものらしいです。また本書には、「2人が禅に関心をもったのは、たまたま宗教的興味をもっただけではなく、孤独な自己の思索を徹底することで出会った結果である」と書かれてあります。2人が追究した孤独な思索、内省、告白する自分と告白される自分など、2人には多くの接点や共通点が見いだされる」と。

 ここまで読んでも、「答えはこうだ」と納得できるところまでにはいかないのが正直なところです。夏目さんは「内省」を突き詰めることで結果として禅につうじていったように感じます。この本を読んだことで、夏目漱石さんの後期の作品や西田幾多郎さんの「善の研究」に再度挑戦したいと思うようになりました。夏目さんと禅については、さらに検討していきたいと思います。そんな大袈裟なものではありませんが。

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