そうして、お寺でお祭りの行事をするのか映画を見たときから不思議でした。そんな疑問もあり、是非みたいと思っていました。少し早く着いたので、ロケ地となった一本桜などを見学しました。
少しすると、まず山車がやってきました。思っていた以上に大きなものでびっくりしました。しかし、考えればその上で歌舞伎をするのですからそれくらいの大きさは当たり前かと納得。神社の前に止まると、太鼓の披露に引き続き、早速三番叟の上演です。三味線やつづらの演奏や拍子木もあり、本格的なものでした。これらを伝承していくのも大変でしょう。4・5年生が舞うようですが、とてもよいものを見させていただきました。内容は、五穀豊穣を願うものでしょうか?籾を巻く仕草が何度も出てきます。詳しくはわかりませんが、歌舞伎というよりも狂言に近い雰囲気がありました。
このあたりは、廻船を多く備えた水産物の集散地であり、また稲扱機の生産地として、商家や旅館、料亭が立ち並ぶ港町として繁栄していたので、そういった財力が背景にあると思われます。あまり関係ないが、早瀬浦の三宅酒造も近くにあります。
ところで、どうして寺でするのか。調べてみました。江戸時代、早瀬にコレラが流行し、多数の死者が出たそうです。その時、区内のお寺の住職が「これは神仏の祟りである。寺社に子供歌舞伎を奉納せよ。」との託宣を受けたそうで、そこで子供歌舞伎を奉納したところ、コレラの流行はおさまったと言い伝えられているそうです。
聞くところによると、男児の減少と費用の負担の大きさから一時期中断したそうですが、昭和56年の再開されたそうです。現在は「寿式三番叟」のみ奉納していますが、昔は「鎌倉三代記」「太閤記」「三勝半七」「梅忠」などを上演していたそうです。
正面から見る瑞林寺 |
道路すれすれ。軒先すれすれの山車。 |
たくさんのギャラリー、奥の方が三味線です。 |
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