11月9日(土)高浜公民館にて、「高浜の禅僧 釈宗演」講演会「遺墨にみる釈宗演」に参加。事前に配布されたチラシでは「墨蹟にみる釈宗演」となっていた。意味は同じか。講師は、花園大学の研究員の志水一行さん。参加するまで気がつかなかったが、花園大学の企画展の際に一度お目にかかっている方であった。講演では、はじめに掛け軸などの墨蹟の見方について説明があり、続いて、若狭地域に残る墨蹟の紹介があった。この若狭地域では、釈宗演さんの掛け軸や額などの墨蹟が、一般のお宅にたくさんあることが特徴であり、探せばもっとあるのではないかと話された。
疑問点、今後さらに知りたい内容。
年表などを読むと、何度か高浜を訪ねておられる記録があるが、もっと多く訪ねておらるとも想像できる。当地区にも記録(「釈 宗演伝」 井上禅定:著 禅文化研究所:刊 平成12年発行)には、以下の二回が掲載されている。
・明治40年(49歳) 4月 若州大飯郡○○村に般若会を修し・・・
・明治42年(51歳)10月 若狭○○洞昌寺北溟像賛。
「般若会を修し」とあるが、管長職を辞任した後とはいえ、なぜ、このような小さな地区に来られたのか?誰が依頼したのかなど、疑問はつきない。
③ひとりで来られることはないと思われる。何人で来られているのか。同じ時期にほかの寺院の和尚さんも来られているような気もするが、同行する他の寺院の和尚(管長)さんなどがおられたのか?
疑問はつきない。わからないことばかり。資料もないようだが、何か取りかかりがないか?と思っている。
話は変わり、11月1日は、釈宗演氏の命日でした。講演を聴いて、改めて釈宗演氏の功績や偉大さについて考えてみた。よく聞かれる話の内容は、本当に氏の偉大さを伝えているのか?また、今の時代、氏から学ぶべき点は何か?
よく聞かれる話とは、次のようなものである。例えば、今、手元に「釈宗演 ZEN」という漫画がある。本の帯を見ると次のように書いてある。「福沢諭吉、夏目漱石からスティーブ・ジョブズまで なぜ彼らは禅『ZEN』に魅了されたのか!」これは、釈宗演氏について語られるときに、よく耳にする表現であり、氏がさまざま人たちに影響を与えたことを述べるものである。その際、夏目漱石やスティーブ・ジョブズの名前はよく出てくる。中学生などが、調べ学習をし、まとめたものにもよく出てくる。これには、少し違和感がある。釈宗演氏の影響を受けたというより、帯に書いてあるように、禅の影響を受けた人々である。禅=釈宗演なのか?
これらは、釈宗演氏がまだ多くの人に知られていないときに、夏目漱石など有名な方を引き合いに出して、その師匠であるから釈宗演氏もすごいというように聞こえてしまう(私だけかも知れないが)。もちろん、それは話の一部であり、氏の功績や偉業についても語られるわけだが、そうであるならば、あえてふれなくてもいいのではないかも思う。なんとなく違和感があるのである。自分の思いをまとめると。(勢いで書いているかな?)
①夏目漱石さんは、釈宗演氏の弟子と言えるのか?夏目漱石は何度参禅し。その参禅は成果をあげたのか?たとえば、同時代の西田幾多郎さんなどは大変熱心に参禅しておられる。漱石の自我や文学の確立において、禅というものが関わっていると思うが。
②葬儀の件についても、これはある意味、夏目漱石のわがままであり、一方、釈宗演にとっては仕事の一部といっていいのではないか。夏目家は浄土真宗であるが、娘さんの葬儀の件でお寺との関係が悪かった。釈宗演も夏目漱石が参禅したことは覚えていたかも知れないし、当時売れっ子の夏目漱石を知っていたと想像できるが、それほど深い関係は感じられない気がする。
③スティーブ・ジョブズ氏の件は、何も知らない中学生などが聞くと勘違いをしてしまわないか。本の帯の文章に間違いはない。禅に魅了されたことを書いているだけで、釈宗演氏に魅了されたとは書いていない。でも、小中学生が聞くと、釈宗演氏とスティーブ・ジョブズ氏を安易に結びつけてしまわないかと。回り回ってというくらいの話である。確かに、スティーブ・ジョブズ氏が禅に関心が強かったことは有名である。ネクスト社の宗教顧問を務めていたのは、日本人の禅僧であり、彼の結婚式も執り行っている。
④上の話は「世界に禅(ZEN)を広めた釈宗演氏」という話からつながってくるわけだが、そもそも世界に禅(ZEN)を広めた功労者は、鈴木大拙氏であると言われており、釈宗演氏はそのきっかけを作ったといえるのではないか。世界宗教会議の席上でも、釈宗演氏は禅(ZEN)について語ったというより、仏教、日本の大乗仏教について語ったというべきではないか。
④さらに、余計なことかもしれないが、今、アメリカやフランスで禅が流行しているが、それは、曹洞宗(永平寺)の禅であり、ジョブズの師匠も曹洞宗のお坊さんである。細かい話をすると、釈宗演氏は臨済宗であり、スティーブ・ジョブズ氏の禅(ZEN)とは少し違うように思う。
⑤さらに、釈宗演氏のすばらしさや偉業の例として、慶應義塾大学入学、セイロン留学があげられる。これらは、その行動力を賞賛すべきである。渡米、大学の学長などとあわせて、とにかくその行動力には、目を見張るものがある。反面、大きな成果があったのかというと、英語が書けたり、流ちょうにしゃべられたわけではなく、セイロンで仏教について学べたわけでもない。決してケチをつけているわけではないが、実際に、世界宗教会議でも、英訳したり、演説したのは釈宗演氏ご本人ではなかったはずである。宗演氏は、壇上に座っていたのであろう。したがって、逆に、その内容が聴衆の心を打ったといえる。セイロンでも仏教について学べたわけではなかった。悟りをひらくことにつながる体験やそこでの経験、たとえば、同じお金を払っても、アジア人、日本人というだけで、不当な扱いを受ける。また、列強の植民地化している国々の悲惨な状況を見たことが、世界宗教会議での二つ目の講演(戦争や平和について)につながっていったといえる。
ということで、今、注目しているのは、世界宗教会議における2回の演説内容。伝記等で、概略的に読んだことはあったが、もっときちんと読みたい。まずは、正確な講演内容の記録。内容が省略されたものがある。さらに、釈宗演の全集10巻にご本人がまとめられた記録がある。こちらは、旧字体なので読みにくい。時間がかかりそう。