2011年12月30日金曜日

静岡へ

12月27日〜29日まで、静岡市に行ってきました。娘を迎えに行くというのが主たる目的ではありますが、下の娘が一度も行ったことがないということとあとは旅行と買い物を兼ねているというのが目的でもあります。私はというと、買い物には興味がないので、この機会に登呂遺跡や久能山などをたずねてみたいと思い、28日は別行動でした。

【登呂遺跡】

教科書や資料集等ではおなじみのところですが、はじめての訪問です。思ったよりも、狭いのでびっくりしました。発掘は終わっており、立派な資料館が建っていました。資料館は一階は体験コーナー、二階が展示室、屋上が展望台になっていました。公園内には、水田や竪穴式住居跡や高床式倉庫などがあり、当時の面影を演出していますが、なにぶんまわりは民家ばかりなので、それを入れないで、写真をとるのがむずかしいくらいです。もう少し木々に囲まれていると雰囲気モデルのでしょうが、残念です。せっかくなので資料を3冊購入しました。小学生の頃から一度は行きたいと思っていたところにいくことができ満足でした。

【久能山東照宮】
 着くと、業者の人が電球をつけておられました。「そうだ、ここは神社なんだ」と改めて認識しました。もともとは寺院、その後城、そして神社になったのですね。そう考えると、すごく歴史のあるところなんですね。
駐車場に車をおいて、15分ほど階段を登って頂上をめざします。年配の方もおられましたが、かなりきついです。足がパンパンです。思ったよりも、中国人など外国の方が多くて、驚きました。神社、そして家康のお墓を見た後、資料館にも行きました。神社仏閣に行って思うことなんですが、けっこうカップルが多いんですよ。ふもとを見ると、ビニルハウスばかり。イチゴを栽培しているのでしょうか。とにかくいい天気です。雪なんてまったくなし。こんなところで、一生過ごす人と、我々とは随分ちがった一生を送るのでしょうね。
 ちなみに、今回はデジカメを忘れたので、すべてiPhone4での撮影です。よくブレるのがたまにきず。どうも使い勝手がちがいます。

2011年12月25日日曜日

三つのお願い 授業記録1


「三つのお願い(4年国語)」授業記録1

 12月、2学期末の学級にとってとてもお忙しいときに、無理をお願いして、「三つのお願い」の授業をさせていただいた。今年初めてこの教材を知り、読むにつれて、その素敵さに引き込まれていったこと、そして、後でも書くが、日ごろ考えていた夢についての授業があわせてできるかなあと感じたことがその動機であった。今回は、実践記録の第1回目ということで、指導の全般についてまとめてみたい。

1 教材について
 一月一日に自分の生まれた年とおなじ年につくられた一セント玉を拾うと三つのお願いがかなうという言い伝えがある。偶然一セント玉を見つけたゼノビアとビクター。ふたりは仲のいい友達どおし。あまり信じていないゼノビアは、一つ目のお願いを無駄にしてしまう。そして、真剣に考えようというビクターを二つ目のお願いで帰らせてしまう。友達を失ってしまったゼノビアはビクターを呼び戻すために三つ目のお願いを使う。母の言葉から、一番大切なものは友達ということに気づいたのである。
 お願いを三つかなえるという話は多い。その多くは、二つは無駄にしてしまい。三つ目に本当に大切なものに気づくという内容が多い。それは、「もの」ではなくもっと「精神的なもの」、友達や家族の「幸せ」などが多い。
 この作品をとおして、展開のおもしろさや友達のすばらしさなどを読み取らせるとともに、願いや夢についても考えさせたいと考えた。

2 指導について
 本単元のゴールは、感想文を書くことにある。児童は、感想文に対して苦手意識をもっているため、書き方のひな形を示し、それぞれの指導の段階で考えたり、書かせたりしたものをつなぐことで感想文が完成するように計画を立てた。
 一人称で書かれた文章なので、読み取りは比較的容易と考える。三つのお願いを比べて読むことをとおして、友達のすばらしさや本当の願いや夢とはどのようなものかを考えさせたい。そして、それをもとに感想文を書かせたい。

3 初発の感想
 まず、児童に話の内容を予想させ、一文程度の簡単な文章に書かせてみた。文は、「主人公であるゼノビア、または、二人が○○することによって、どうなる」話と言う形で書かせた。さらに、もしもお願いを三つ叶えてもらえるとしたら、どんなお願いをするかを書かせた。
 そして、範読後に、初めの感想を書かせた。三つ目のお願いで二人が仲直りした場面が印象に残ったようで、そのことを書いている児童がほとんどであった。もっとさまざまな場面について書くかと思っていたが意外であった。しかしそのことで、自分のかなえてほしいお願いとゼノビアの三つ目のお願いを比べさせることによって、本当の願いや夢とはどのようなものかを考えさせることにつなげやすくなった。

4  三つのお願いのくらべ読み
 それぞれのお願いついては、お願いの内容とそれがかなったときのゼノビアの見方と読者である児童の見方を比べながら読んで行った。たとえば、一つ目のお願いなら、ゼノビアの見方では、「おや、本当にかなうのかなあ」ということになるが、児童から見れば、「たまたま雲が切れ間から日光がさしただけ」ということになる。

5 ビクターの存在
 しかし、二つ目と三つ目のお願いはどうしてかなったのか。二つ目は、確かに大声で言われたから怒って帰えることはあるでしょうし、三つ目もたまたまビクターも同じ思いだったからタイミングよくかなったといえます。しかし、そのタイミングは絶妙です。もしかすると、ゼノビアの願いをかなえるために、わざとやっているのかと思えるくらいです。そもそもビクター、一セント玉を見つけたときも、先に見つけたのはゼノビアなのに、何だろうと声をかけたのはビクターです。二つは大の仲良し、ビクターはゼノビアの目線を追っており、ゼノビアが何を見て、何を考えているかがすぐにわかってしまうのである。このビクターの存在があってこそ、この話は展開するのである。この二人の関係に是非注目させた。

6 夢とは
 児童に夢について菅あげさせるために、まずワンピースの話を取り上げた。ルフィーの夢は「海賊王」になること。しかし、その「海賊王」とは何か。改めて尋ねられると、児童も戸惑ったようであった。「そうだ、何でもかんでも盗んだりしないしね。」「乱暴でもないし?」ルフィーは、人々の財産を巻き上げたり、むやみに命を奪ったりはしないことをおさえ、そんなルフィーになぜ仲間たちはついていくのかについて考えさせた。
 さらに、渡邉美樹著「14歳からの商い」を紹介し、「自分のためだけの夢はつまらない」こと、人の笑顔や喜びが自分の幸せと考えられるような生き方をすることが大切であること、そのために今何をするかを考えることが大切であることについて考えさせた。
 その上で、最初に書いたかなえてほしい願い事や夢を読み返し、再度、将来の夢について考えさせた。さらに、その夢でまわりの人を喜ばせたり、感動させたりしている場面を具体的にかかせた。世の中のため、まわりの人の役に立つ夢に変わった児童もいれば、夢は変わらないが、目的が変わったり明確になった児童もいた。

7 振り返り
 夢を再度考えさせることをとおして、自分の夢に対する考え方がはっきりした、変わったという児童も少なくなかった。なによりも、夢について考え直し、再度夢について考えているとき、多くの児童が集中して真剣に感想文を書いていたことが印象的であった。自分の夢がはっきりした、夢が変わったという感想も見られ、大変うれしかった。この夢もまたいつか変わると思う。でも、その時も、今回のように真剣に考えてくれたらありがたい。そうやって、つねに夢を持ち続けてほしいと願っている。

8 お礼
これは、絵本版の表紙です。
同じ作者なのに、ゼノビアの顔、
こんなにちがいます。
最後に、こんなわがままな実践を許してくれた担任の先生と児童のみんなに感謝します。児童にとっては、どうして担任の先生が授業しないのかなどと疑問もあったことと思うが、まるで関係ないように普通につきあってくれた。担任の先生のフォローあってのことと思うが、改めて先生や児童のみなさんに感謝します。本当にありがとうございました。実は、当初数時間だけの約束だったのですが、やりだしたら切りがつけられなくなり、最後まで授業をとってしまいました。しかし、最後の感想文の仕上げについては、学期末の忙しいときに、担任の先生にお手数をかけてしまいました。申し訳ありませんでした。何度の言いますが、夢を書いているときの児童の真剣な様子が忘れられません。
 次回は、実際に児童が書いた感想文をもとに授業の分析を行いたいと思います。いつになるかわかりませんが。

子どもたちの遺言

【今日の本】「子どもたちの遺言」谷川俊太郎:詩 田淵章三:写真 佼成出版社


 12月の朗読と対談の会のときに紹介された本である。題名にドッキッとして買ってみたくなりました。わたしたちは子どもたちに遺言を書かせるような、そんなあやうい世の中に生きているのか。遺言というよりは、これから生きていく世の中をこうしてほしいという願いのようなものを感じる。個人的には、「いや」がいいかな。「いやだと言わせてください」って、切実な感じがする。詩は苦手である。でも、谷川さんの詩集は文庫本が2冊ある。読み直してみるかなあ。

2011年12月12日月曜日

仕事をしたつもり

【今日の本】「仕事をしたつもり」海老原嗣生:著 星海社新書:刊

「けっこう一生懸命、仕事をしている」「まわりもそれを認めていて、避難する人はいない」「本人はその行為にまったく疑問を持っていない」「しかし、成果はほとんど出ていない」中身の薄い仕事に追われているだけなのに、つい「バタバタとしていて…」といってしまう。仕事をしたつもりとは、このような状態を指すそうです。
「何十枚も資料を作って、それで仕事をしたつもり」会議ではその資料を読み上げるだけ。
「中身より形にこだわる「ハコモノ志向」、「横並び意識」…耳の痛い話ばかり。そうそうやってるなあと思うことばかりです。考えることを止めているのかも知れない。そうして、安易に走っているのに、まわりからはほめられるちうような状況に陥っていないか点検しないといけない。まずは、まずは、真剣に考えることから始めるということかなあ。

「新明解国語辞典」PART2
【今日の本】「新解さんの謎」赤瀬川源平:著 文春文庫:刊
7版の購入を記念して、購入。本当にこの辞書のファンは多いなあと感心する。言葉の意味がおもしろい、例文がおもしろい、そして、例文に出てくる言葉の順序がおもしろいと、おもしろいこといっぱいの辞書である。
 例えば、「ごきぶり」…台所を初め、住宅のあらゆる部分にすむ、油色の平たい害虫。さわると臭い。あぶらむし。きっとさわったんでしょうね。新解さんは?
「死体」…命がなくなって、そこに横たわっているからだ。そこって、どこ?
もちろん、この本は第4版の内容をもとに書いているので、現在の辞書を使っている人にアーわからないかも知れないが、ファンにはたまらない話ばかりです。一気に読んでしまいました。

2011年12月6日火曜日

谷川俊太郎 新明解国語辞典



12月5日(日)谷川俊太郎さんの講演会(朗読と対談)に参加しました。

当日は大変な盛会で、520名ほどの参加があると聞きました。遠くは、福井市の方から参加された方もあったようでした。つい先日もテレビでお元気な姿を拝見したばかりのなのですが、もう80才になられたのですね。いつまでもお元気で、そして、自由に生きておられる姿に憧れます。
僕が高校生か大学生のころに、小室等さんが谷川さんの詩に曲をつけて、レコード(当時はLP版)を3枚出されました。そのことが、詩人谷川俊太郎さんを知ったきっかけだったと記憶しています。鉄腕アトムやスイミーなども知っていたと思うのですが、作者を意識することはなかったので。その後、今の職業についたころ、「ことばあそびうた」を知り、また、「にほんご」の教科書を知り、そして、スイミー」や「生きる」を教えるようになり、「朗読のテープ」を購読したりして、その存在の大きさを認識することになりました。
今回の講演会に参加して、改めてそのファンの多さにびっくりしました。このような機会を与えてくださった「風夢」の方々に感謝申し上げます。詩集でも読み返してみるかなあ。

「新明解国語辞典 第7版」

 第7版が出たので、こりずに購入。思い起こせば、第3版からの長いおつきあい。毎回改訂のたびに購入している。本日届いたので、「早速帰って読もう」というと「辞書を読む?」との驚きの声も聞かれたが、まさに読む、読んで楽しい辞書なのである。とりあえず、「はじめに」を読み、中身もぱらぱらと読んでみた。今回は文法にも力がはいているようである。「はじめに」にあるように、「…かもしれない」を「フィフティーフィフティー」と外国の方に教えている例が紹介されているが、とんでもないことであると思う。そういった、微妙は言葉の使い方を知る上で、また、日本語の的確な理解と適切な表現を守り続ける辞書として、これ以上のものはないと思っている。国語の授業には欠かせない。しかし、カバーはちょと派手です。これは第6版の方が好きです。そして、若干大きくなりました?



2011年11月27日日曜日

ワンピースの言葉

【今日の本】「ワンピースの言葉」遠越 段:著 総合法令出版:刊
ルフィーたちの名言、その背景にある哲学や思想について紹介。ワンピースはおもしろい。でも、全部見ているかというとそうではなかった。特に最近は。なかには毎週「ジャンプ」を買って読んでいる大人もいるようだが。
実はこの本には発売当時から興味をもっており、書店でも何度も手に取っていたのだが、一通り見直してから読んだ方がいいと思い買うのをためらっていたのだが、DVDにしろ、マンガにしろ、多すぎて全部見るのは無理と断念し、購入した。期待通りとてもおもしろかった。ルフィーたちの人間の自由と尊重を実践している姿・生き方を巧みに引き出している。「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」「賢い者は他人の失敗にも学び、愚かな者は自分の失敗にも学ぼうとしない」などの引用も参考になる。

11月27日(日)「第9回名田庄食まつり」に行ってきました。お目当ては、「高石ともや 唄とトーク」。目の前で歌う姿を見るのは久しぶりである。少し早かったので、そばやへしこのおにぎり・からあげ等で軽い昼食を取る。12時からのステージでしたが、音合わせをやっており、実際には2時間30分くらいのステージを見た感じで、少し得した気分でした。他のアーティストの曲も交えて懐かしいフォークソングたくさん聞かせてもらい、いっしょにくちずさんでいました。ドラムと2名の簡単な編成。スピーカー等PAの環境が最悪でしたが、それをもろともしない演奏でした。「我が大地のうた」「春を待つ少女」など、学生時代によく歌った歌ばかりで、とても懐かしかったです。「自分をほめてあげたい」という言葉のもともとは高石さんの歌だったと、初めて知りました。いいなあ。ギター弾かないとなあ?指の手術、しないとなあ。懐かしい人にもたくさん会えました。
 しかし、さすが名田庄。寒かったです。3時頃になると、すごく冷えてきました。一部ですが、きれいな紅葉もありました。

2011年11月20日日曜日

いのちの食べかた

【今日の本】「いのちの食べかた」森達也:著 理論社:刊


 現在、食と命をテーマに学習をしています。先日は、子どもたちと「ブタがいた教室」を視聴しました。その関連でこの本を購入しました。アマゾンで、中古品です。前半は、食と命に関することですが、後半はそこから発展して穢れや差別のことにまで発展していきます。中高生を対象にした本なのでしょうが、そう考えると、すこし性急な感じもします。
内容的には、子どもたちとの学習に使えることもたくさんあるので活用したい。
「肉だけじゃない。僕たちはいろんなものから、気づかぬうちに無意識に目をそらしている。見つめよう。そして知ろう。」そう、むずかしいことじゃない、目をそらさなければいいのです。こういうことを伝えたかったのでしょうね。

 昨日、19日、三方青年の家に行ってきました。講演と歴史環境講座に参加するためです。講演会は、梅原猛文化講演会、演題は「法然と親鸞」でした。大乗仏教を第一の仏教革命とすると、法然・親鸞の仏教は第二の仏教革命と評価すべきであると言われた。仏教には男女差別があった。男女差別を廃する思想ははやり結婚の肯定になるのでしょうね。
 講座は、鳥浜貝塚発見50周年記念パネルディスカッション「トリハマが縄文研究にもたらした成果と課題」。発掘にかかわった6名のパネラーによる話はとてもおもしろかった。そして、ためになりました。おもしろかったというのは、研究者の学問的な立場で見方やとらえ方が違うところであり、それをはっきりと出し合い、ときにはパネラー同士が批判し合いながら話が進むところでした。そして、それを町民のみなさんに公開するところもおもしろい。トリハマの成果として、空間保存、環境考古学の確立、季節性、定住性をあげられましたが、改めて縄文研究に果たした役割を認識しました。縄文の集落は、多くても30名程度、集落は20kmくらい離れていたということ、それはアボリジニーなどの各国の先住民族と共通していることなど、参考になりました。
 

2011年11月15日火曜日

せかいいちのおっぽ

【今日の本】「せかいいちのおっぽ」ほんまわか:著 自由国民社:刊
絵がとてもきれいだったので買いました。作者が文も絵もかいているのでしょうね。
にわとりのピコにはおっぽがありません。みんなにつつかれるからです。せまいとりごやの中でいじめられているのです。
 「みんないじわるばかり。ぼくはいつもひとりぼっちなんだ」ピコは夜になると、いつもないていました。そんなある夜、ふくろうがやってきて、とりごやのそとにはもっとおおきくて、すばらしいものがいっぱいあること」を教えてくれます。初めて見る世界、そして、そこでたくさんのやさしい友だちに出会います。鳥たちから友だちのしるしに羽をもらい、気がつくと、どんな鳥よりも立派なおっぽになっていました。
 ある日、きつねにおそわれているにわとりの親子に出会います。夢中で助けに入るピコでしたが、たくさんの羽のおかげで助かりました。おっぽが守ってくれたのです。
 そんなピコのまわりに、みんなが集まってきました。もうおっぽがなくても、ひとりじゃないのです。
 ピコの旅は今も続いています。そして、小さいにわとりをみつけては、「せかいはここだけじゃないよ。」「じぶんでひろげることができるんだ」って話ながら。

 せまい世界のなかだけではだめ。もっともっと自分の知らない世界があるのです。本当にそう思います。そして、それは自分で広げることができるのです。

2011年11月9日水曜日

いのちをいただく

【今日の本】「いのちをいただく」内田美智子:著 西日本新聞社:刊
 牛を殺す人がいなければ、牛の肉はだれも食べられません。でも、殺される牛と目が合うたびに仕事がいやになるのです。坂本さんは、「いつかやめよう、いつかよめよう」と思いながら仕事をしているのです。
 そんなある日、1台のトラックが食肉加工センターにやってきました。明日、殺される予定の牛が積まれて。そこには、女の子がいて、牛に謝りながら、原をさすっているのでした。坂本さんは、「見なきゃよかった」と思います。そして、坂本さんは「この仕事はやめよう」と決心し、明日は休むことにしました。
 家に帰って、そのことを息子のしのぶ君に話すと、しのぶ君はこう言いました。「お父さん、やっぱりお父さんがしてやったほうがいいよ。心がない人がしたら、牛が苦しむけん。お父さんがしてやんな。」と。参観日にお父さんの仕事は「普通の肉屋」ですと、ごまかしたしのぶ君がです。
 「牛を殺す人がいなければ、牛の肉はだれも食べられません。」命に関する絵本を読み聞かせしているうちに、食の問題は避けて通ることがでいないと感じています。このテーマで学習ができないかと今考えています。
 

2011年10月31日月曜日

三つのお願い 2

「三つのお願い」ルシール・クリフトン:作 金原瑞人:訳 はたこうしろう:絵

改めて読んでみて、おもしろさにはまってしまった。全く勝手な読みで申し訳ないが、わたしなりに読んでみた。

まずは、疑問点の整理。

①1セントをみつけるところ
ここが不思議で面白い。本文はこうなっている。
 ・・・・わたしは、雪の中にぴかぴか光っている物を見つけた。
 「レナ。あれ、なんだろう。」ビクターがきいた。
 「お金みたいよ。」
 不思議です。だって、ゼノビア(レナ)が見つけたのに、「あれ、なんだろう。」と聞くのはビクターなのです。普通は見つけた人(レナ)が聞くでしょう。なのに、ここではビクターなのか。

②2つ目の願い
 1つ目の願いは偶然。では、2つ目の願いはどうしてかなったのか。本文は、こうなっている。
 ・・・・そのとたん、ビクターも飛び上がって、キッチンから飛び出したかと思うと、コートをつかんで、表へかけ出した。
③3つ目の願い
 2つ目に続いて、この願いもどうしてかなったのか。

 ほかにもいろいろあるが、この点を考えるだけでも、想像するのが楽しくなってします。
 ①の疑問。つまりは、ビクターはレナの目線を追っているのである。いつもレナの顔を見ているといった方がいいかも。だから、レナが見つけたと同時にビクターも見つけていて、さきに声に出してしまう。そして、なんで見ているの?何で知っているの?とも思わないで、「お金見たいよ。」と自然に答えている。ビクターはレナのことをいつも気にしている、気になって気になって仕方がない、多分好きなのでしょう。レナもどこまで意識しているかはわからないが、そうやって見てくれるビクターが当たり前になっている。2人はそんな関係である。
 そうなると、②、③の疑問も簡単に理解できる。つまり、1セントの力を信じないレナに信じさせようとして、わざとしたのである。3つ目も、レナの思いこそは真剣であるが、それがかなったというより、ビクターがかなえたという点では同じである。
 でも、これを、ビクターがだましたなんて言うと夢のない話になる。ビクターは一生懸命なのである。このあたりを子どもがどう読むか、興味津々である。今日はこの辺で、終わりにします。ところで、「どんぴしゃり。お願いがかなった。」って、だれの言葉でしょうか。この続きはまた。




2011年10月23日日曜日

パパ、どうしてお仕事いかないの?


【今日の本】「パパ、どうしてお仕事いかないの?」望月 昭:著 幻冬舎:刊

「ツレがうつになりまして。」の「ツレ」である望月昭さんの専業主夫エッセイ。奥さんが細川貂々さんで、本(マンガ)の方の著者。
 もう少し「うつ」について書いているのかなあと思って読んだのですが、そういった内容はあまり書いてありませんでした。本当に主夫としての奮闘ぶりが書いている本です。正直、映画の方に関心があって、そちらほうをぜひ見てみたいと思っていて、それで読んだという感じです。
 本の中に、以前NHKで番組が放映された書いてあったので、そういえば見たような気もすると思いつつ、NHKアーカイブで三編まとめて購入(レンタル)して、昨日(今朝)見終わりました。早く見ないと消えてしまうので、深夜に眠い目をこすりながら、頑張って見ました。どうして頑張らないといけないのか若干不合理な感じです。もう少し画質を落として、購入できるにはできないのかなあ。まあ、著作権で守られているからなあ。
 番組は、ちょっとイメージが違うと言うか、原田泰造さんと藤原紀香さんがなんとも生活感があるような、ないような感じでちょっと残念。わざとらしい感じもする。堺雅人さんと宮崎あおいさんに期待が多いいいからでしょうか。やはり映画を見たい。
 以前、小学生で12人に1人、中学生で4人に1人が「うつ」になっているという調査報告があったけど、実際はどうなんだろう。うちの学校なら20人ほどいることになるんだけどなあ。

 

2011年10月17日月曜日

動物モノのDVD、雑誌

【DVD】
久しぶりに舞鶴に行ったので(大げさ?)、これまた久しぶりにDVDをレンタル。
1作目は「死にゆく妻との旅路」レンタル後、職場で仕事をしながら視聴。さえない夫役を三浦友和、11歳若くガンを患っている妻を石田ゆり子。地味な2人の地味な感じの映画でした。石川県の七尾が舞台で、400万円?という借金をつくった夫とともに、日本中の温泉街等をなけなしの50万円をもって仕事を探しながら旅をする話。なんと最期に妻が東尋坊を見たいといい、そこに向かう途中でなくなってしまう話。切ない話ですが、それだけかな。こういう映画は決して2人では見られない。
2作目から4作目までは、動物モノ。「犬とあなたの物語」「ウルルの森の物語」そして、「きな子〜見習い警察犬の物語〜」。犬とオオカミの話。劣等生の犬「きな子」が、新米調教師(夏帆)と共に成長する話。ダメ犬が、ベテラン調教師(寺脇康文)の娘さんの危機を救うときに才能を発揮するという「モチモチの木」みたいな話。警察犬のテストに不合格したときに、ベテラン調教師が、「試験に落ちたことをきな子のせいにしていないか?」としかり、もう一人前の警察犬でジャンプをさせてみる場面がある。当然新米調教師ではジャンプできない。このあたりは我々の仕事や現状と似ているなあと考えさせられた。誰かのせいにしているうちは本物にはなれないのです。

【雑誌】
「NEWSWEEK 2011.10.19号 ジョブズ、天才の奇跡」
これは一応買っておかないと。

「仕事で差がつく『超』手帳術」GAKKEN
立ち読みで十分なのに買ってしまった。ワタミ会長 渡邉美樹氏の文章を久しぶりに読んだ。
渡邉さんによると、すべての物事は以下の4つに分類できるという。
①緊急で大切なこと。
②緊急だが大切でないこと。
③緊急ではないが大切なこと。
④緊急でもなく大切でもないこと。
多くの人は「緊急で大切なこと」がもっとも重要だと考え、優先しますが。実は最も重要なことは「緊急ではないが大切なこと」です。「緊急で大切なこと」だけに追われるばかりでは、現状を維持することしかできない。せいぜい、マイナスからゼロにもっていくのがやっと。そこからプラスに転じるためには「緊急ではないが大切なこと」をいかに
積み重ねていくかにかかっているという。なるほど、耳が痛い。

【伊弉諾神社祭礼】
 本日16日(あっ、もう17日?)は小和田区伊弉諾神社の祭礼。ということで、久しぶりにF100を肩にかけて撮影に出かけました。龍舞と田楽舞を主に撮影。以前、撮影に行った時とは撮影の向き(角度)を変えて撮影。青葉山をバックに撮影できました。普段デジカメばかりなのですが、久しぶりのフィルムはなんとも味がありました。色の出方が違う?失敗もあるけど、それも面白い。

2011年10月10日月曜日

「おいしいから売れるのではない 売れているのがおいしい料理だ」

【今日の本】
「おいしいから売れるのではない 売れているのがおいしい料理だ」正垣泰彦:著 日経BP社:刊

サイゼリヤ創業者である正垣泰彦氏の著書である。野菜がおいしいので有名なサイゼリヤ、デザートもおいしいサイゼリヤ、そして安い。そんなイメージのあるサイゼリヤ。その創業者の本といわれれば是非読んでみたい。
 まず、題名がおもしろい。ここに著者の経営哲学が詰め込まれている感じがする。常に目の前の現実を謙虚に受け入れ、本当にお客が満足されていることは何かを見極めようという思いがつまった言葉である。これがなんといっても印象の残った言葉である。
印象に残った言葉があと2つある。
一つ目は、「人は自分が絶対正しいといえるほど、たいした存在ではない。どうしたらもっとお客さんに喜ばれるのかと、試行錯誤を繰り返すことでしか、自分本位からお客様本位に考え方を変えることはできない」という言葉。
二つ目は、「何かに取り組み、どうしても上手くいかないときに、自分が悪かったと考えるのは、最も建設的な考え方だ。世の中のすべての結果には、当然ながら原因がある。原因は自分の中にあるという前提で実験を行う方が成功する可能性は高くなるはずだ。」である。
お客様とは、子どもであり、保護者であろう。子どもたちが本当に喜んでいるのか、子どもたちの目線で教材や授業を見直すことが必要なんであろう。そして、うまくいかないときにこそ、自分の原因や責任がないだろうかと考えること、それは更に必要である。子どもや親の愚痴をこぼしているだけ?訳にはいかないのである。今本当に必要な考え方ではないだろうか。私も大いに反省し、改善していきたい。

2011年10月9日日曜日

スティーブ・ジョブズ2

 今日の本にしようかと思ったのですが、もう少しジョブズについて書きます。
前回はiphoneからの投稿だったのですが、今日は自宅からです。
訃報を聞いて、そして、それを伝えるニュースの特集などを聞いて、改めて彼の偉大さを認識しています。「がっちりマンデーのジョブズ特集のビデオやYouTubeでの様々映像、PODCASTでのプレゼン映像などを懐かしく見ていました。とりわけ、ニュースでもたびたび流れているスタンフォード大学でのスピーチは何度見ても感動的です。有名な言葉過ぎて、紹介することもないと思いますが、改めて好きな言葉を載せたいと思います。


「If today were the last day of my life,would I want to do what I am about to do today?」
「Stay hungry,Stay foolish.」
 あえて、英語のままです。どう訳します?


 話は変わって、今日は映画に行って来ました。見たのは「神様のカルテ」と「アンフェア」。「神様のカルテ」の方は、医者である夫と写真家である妻の関係や御嶽旅館に住む住人同士の交流と見ながら、人と人が互いに支えあうということ、人と人がつながりあうということについて考えていました。逆に、「アンフェア」は人って怖いなあ、誰を信じたらいいのっていう感じで、ある意味正反対でした。しかし、宮崎あおいさんはそこにいるだけでまわりを幸せな雰囲気にしてくれる、そんな存在感のある女優さんです。不思議です。
明日は【今日の本】に戻ります。



2011年10月6日木曜日

スティーブ・ジョブス死去のニュースを聞いて

出張先のホテルのロビーにあった夕刊の一面から、目を疑うような記事が飛び込んできた。 スティーブ・ジョブスの死去のニュースである。CEOを交代した時点で、いずれは、と思ってはいたが、そうはいっても驚きである。 56才、若いなあ。ご冥福を。 彼が全世界に与えた影響力については、いまさら語る必要はないと思うが、我々が失ったものは計り知れない。 私たちが恩恵を受けているパソコンなどの技術の多くは、彼の発明といってよく、このあたりをこの機会に再認識してほしい。 個人的には、彼の独裁者と呼ばれようがおかまいなしの完璧主義なところが、好きでした。自分の理想に向かって突き進む姿勢から、学ぶことは多い。 頑固であること、妥協しないこと、むずかしいことだが、目標としたい。 今後もアップルが私たちをわくわくさせてくれる企業であってくれることを願ってやまない。ジョブス、本当にありがとう。 ゆっくり休んでください。

2011年9月20日火曜日

一つの花 まとめ5 N先生へ

【一つの花 まとめ5】
 7月から続く実践は、先生がまとめを書き上げることによって、一応の区切りがつきました。課題をおしつけた格好になった実践記録ですが、書き上げることによって、先生自身のまとめとなることを期待していました。これが書き上がってから最終のまとめを行う予定であったことと、その他の事情に、もっと遅れて今日になりました。今さらという感じがあるので、少し別の視点からまとめをします。
 学ぶ活動は、対象世界にはたらきかける活動であり、それをつうじて、自己をかたちづくる活動であり、他者との関係を築き上げる活動です。したがって、学びの実践は、①学習者と対象との関係、②学習者と自己との関係、③学習者と他者との関係を再編成する活動であるといえます。学びがそのようなものであるならば、教師の学びも同様である必要があります。①は、教材研究であるといえます。②は、実践の振り返り、振り返りをつうじた振り返り、③は、実践についての協議、対話といえます。学びには、自分自身を反省的に考察し、自己と対話する活動が必要であり、それが実践記録でした。そして、これが実践記録にこだわった理由です。実践を豊かにすることは、自己を豊かにすることにつながるのです。
 また、旧ソビエトの教育学者であるヴィゴツキーの代表的な理論に「発達の最近接領域」というものがあります。簡単に説明すると(簡単に説明した結果、かなり誤解されているともいえますが)、「子どもがひとりで問題を解決できる発達のレベルと、その問題解決の過程に教師や仲間の援助が介在したときに達成される発達のレベルとの間に存在する『発達の可能性』の領域」を意味します。この「子どもが」を「教師が」と読み替えると、我々教師の指導者としての「可能性の領域」、『成長の可能性』といえるのではないかと思います。一つの実践で成長する、したということはないと思いますが、今回のやりとりから、その可能性を感じることができました。(というと、すごくえらそうですが、すみません。)しかし、努力した分、つぎつぎと「最近接領域」は広がるわけで、立ち止まっていては、次の成長はありません。したがって、次々に、自分に課される課題に取り組まなければなりません。なんてね。(たとえ話に使うような理論でもないのですが。)
 最後に、ひとつ。先生の認識では、次は「まず本からですね。」なのですが、私の発想では、例えば、あの本を読むことは先生にとっての、今回の「実践のまとめ」の1部、「まとめのまとめ」「総まとめ」だと思っています。「異動するまでに読めるかなあ」なんて言ってないで、今「まとめとして」読まないと、例えば、次の「ごんぎつね」の実践は「ない」と思います。それは、③の一部?なのです。休みが続くのですから、是非読んでみてください。そんなむずかしいものではありませんし。「餞別」にするつもりはありませんから。
 追伸 ごんぎつね」といえば、なんとなく「ごん」の気持ちがわかるようなこのごろです。今読んでいる本が分厚いので、本の紹介は休みです。



2011年9月19日月曜日

ゴールデンスランバー、Dropbox

【ゴールデンスランバー】
 数日前に貸していたDVDが戻ってきたので、それからずっと、何度も何度もみています。
 話の内容はというと、首相暗殺の濡れ衣を着せられた男の2日間にわたる逃亡劇を描いた作品なのですが、一つ一つのなにげない会話や出来事がとても印象的で、それらがすべて伏線となって絡み合っていく展開にいつのまにかのめり込んでしまう作品です。見るたびに、新しい発見があり、何度みても面白いです。また、主人公の昔の彼女や大学のサークル仲間たちとの関係、絆の深さがこの作品のなかで大きな役割を果たしていきますが、このあたりの人間関係も見所です。
 ところで、タイトルである「ゴールデン・スランバー(Golden Slumbers)」は、1969年に発表されたビートルズのアルバム『アビイ・ロード』に収録されたポール・マッカートニーの曲で「キャリー・ザット・ ウェイト」→「ジ・エンド」、「ハー・マジェスティー」と続くメドレーのオープニングを飾る曲です。映画の中にも、この作品について語っている場面について語っている場面がありますが、当時僕は10歳なので、原体験としては知らないのですが、中学生のころ、ビートルズを聴きはじめ、解散前後のメンバー間の確執などを聞いて、あれこれ考えていたことを思い出してしまいます。なんとか昔みたいなバンドのスタイルで演奏しようと持ちかけていたポールの思いと、バラバラになっていた昔のサークルの仲間がこの事件によって、その絆を取り戻すところがオーバーラップして、なんとも切ない感じがします。もちろん、ポールの思いは実現せず、ビートルズは解散しますが。他にもビートルズの曲が何曲かかかるのですが、すごく懐かしい。やはり世代なのかなあ。
 とにかく何度みても面白い。今日も見ていたので、この1週間で3度ほど見ている。原作も読んでみようかなあ。こんなに面白いのに、貸した相手は見ずに返すなんて、それも自分から見たいと言ったくせに。もったいない。是非見てほしいものです。

【Dropbox】
 iphoneを使うようになって、クラウドと言えば、Evernoteを使ってきた。写真や音声メモ、簡単なメモなどを同期するときには、とても便利で使ってきたのですが、ワードで作成した文書などを同期するには、適さず、その場合はGmailで本人宛に送信していたのですが、ダウンロードの必要があり、面倒でした。そこで、前からインストールはしていたのですが、使っていなかった、Dropboxを試してみたところ、これがとても便利でした。ドライブと同じようにそこに保存し、職場のパソコンやiphoneからも自由に見ることができる。無料で2Gなので、普段使う分にはなんの問題もありません。ネット環境さえ整えば、メディアもいらなくなりそうです。EvernoteとDropbox、そして、Gmail、それぞれの良さをいかしつつ利用するのがいいのでしょうね。

【キットカット】
 昨日、久しぶりに「キットカット」に行ってきました。液晶が不良のため使っていなかったPOWERBOOK G4を処分するためでした。買い取りという話もありましたが、まともなものでも1000円と言うことなので、無料で引き取りということにしました。店内を見てまわって、目に止まったのはMacbook Airの11インチモデル。これはいい。メモリーを4Gする必要はありますが。あと、もう少し安くならないかなあ。円高なんだし。
モバイルには最適なも知れない。ここはいいなあ、ホッとします。お客さんもたくさんいるし、iphoneやipadのおかげで、MACを購入する人が増えているのでしょうね。いいことです。

2011年9月10日土曜日

はんぶんずつ すこしずつ

【今日の本】「はんぶんずつ すこしずつ」岡本一郎:著 塩田守男:絵 チャイルド本社:刊(ことばのえほん №10から)

 くまじいさんは、さかなとりの名人。ある日、とても大きなサケをとりました。くまじいさんは半分をフライにして、もう半分はきつねにあげます。きつねは半分をにて食べて、もう半分はうさぎにあげます。うさぎは半分をバター焼きにして、もう半分をねずみにあげます。ねずみの一家は16ひき。ねずみのお母さんはさけ入りのおにぎりを16個つくりました。そして、おいしいといってみんなで食べました。次の日、ねずみのお母さんはうさぎにお礼をいいましたが、うさぎがきつねに、きつねはくまじいさんにもらったことがわかり、みんなでくまじいさんにお礼を言いに行きます。すると、くまじいさんは風邪をひいて、うんうんうなっていました。そこで、みんなでお礼にマフラーを編んで送るという、なんとなくあったかなお話です。
 教科書に載ったときは、マフラーの色がまばらだったということですが、この本ではそうではありませんでした。ばらばらだとみんなが少しずつあんだ感じが出るかなあと思いますが、いい話です。

2011年9月5日月曜日

教師のプライド

【今日の本】「教師のプライド」井上一郎:著 東洋館出版社:刊
 井上さんといえば、読者論などの国語科の先生というイメージもあるのですが、国語科の教科調査官としてのイメージが強くて、少しお堅い方というイメージがあったのですが、エッセイ集ということもあり、この本はかなり気楽に読むことができました。「先生と呼ばれることが楽しくて、この職業を営んでいることが嬉しくて、つい隣の人に伝えたいような気持ちにもう一度なってほしい」「教師と呼ばれる人たちを応援したい」そんな気持ちが伝わってきます。印象に残るところがたくさんありましたが、そんな中で一つだけ紹介すると、先生方に取り組んでほしいこととしてあげられている2つのことです。
 1つは、自主学習力の育成。2つめは、基礎・基本の確実な定着と個性の充実の関連、連動。基礎・基本を指導することと個性を発揮することを連動するように学習指導を展開できないかということ。教師主導の授業について真剣に見直す時期に来ているのかも知れないと感じました。
 ざっと読んだのですが、もう一度じっくりと読んでみたいと思える本でした。

2011年8月28日日曜日

名前をうばわれたなかまたち ちいさな死神くん


【今日の本】
「名前をうばわれた なかまたち」タシエス:著 横湯園子:訳 さらえ書房:刊
 題名から想像できるように「いじめ」をテーマにした絵本である。ボクは、ボクの名前で呼ばれない。挿絵のなかまたちには顔はなく、すべてりんご?になっている。先生も。みんな意思のない人間として描かれている?
 勉強ができるから「ガリ勉」、やり返さないから「弱虫」・・・・、いじめるみんなは、それはボクの思い込み、ひがんだ見方だという。(なぜか更衣室でこう説明する場面だけ顔が出ている。)なぜか、ボクの顔を出てきて、笑っている。思いつめたボクは、鏡にうつった自分の顔を見て、階段をのぼり手すりからのりだす。自殺をしようとするのだ。しかし、最後のページをめくると、笑った顔が出てくる。最後のページは、こう結んでいる。
 「ボクに何が起きていたのか ずっと気にかけていてくれたあなた
  鳥だけが飛ぶことができるのだと ちゃんと知っていたんだね
  思い出させてくれて ありがとう 
  あなたの本当の名前は?」
 自殺を思いとどめさせたものは何だったのでしょう。ボクのことを心配していてくれた誰か?内なる声?神様?いずれにしても、最後の最後で自分の尊さを取り戻すことができたわけです。いじめで死んでしまった子どもたちにも、このように自分を取り戻すきっかけがあればなあと思います。

「ちいさな死神くん」キティ・クローザー:著 ときありえ:訳 講談社:刊
 死神は死の王国の入り口まで連れて行くのですね。これはどうでもいいことですが。ある日、エルスウィーズを迎えにいくと、いつも違い、彼女は笑っています。そんなことは、死神くんにとってはじめての経験でした。当然のことながら、いつもは、こわがられてばかりですから。そして、自分も子どもであることを思いだし、2人は楽しく遊びます。そして、死の王国から別の国に旅立たなければならない日がやってきます。(つまり、ここで天国と地獄に分かれるということかなあ。)悲しんでいる死神くんのところに、天使になったエルスウィーズが姿をあらわします。そして、それからは、2人で死にゆく人を迎えに行くのです。こうすると、死ぬのが怖くなくなるのです。死神は本当は死ぬことは怖くないんだと思ってほしかったのでしょうか。

 余談ですが、死ぬ話といえば、今日も「最後の忠臣蔵」をみてしまいました。花嫁行列から最後に孫左?が切腹するまでのところは、何回みても泣いてしまう。たぶん何度みてもいいものはいいのです。

 絵本の中には、ビニルカバーがかけてあり中身が読めないものがある。こんなときにも、iPhoneが役に立つ。「ItemShelfLT」というソフトを使えば、絵本の裏表紙にあるバーコードを読み取り、検索すれば、アマゾンのホームページを表示することができ、うまくいくと書評を見ることができ、購入の参考にできる。なんと便利な世の中です。

2011年8月27日土曜日

スーザン・バーレイの絵本



【今日の本】スーザン・バーレイの絵本2冊
「アナグマさんのもちよりパーティー」ハーウィン・オラム:著 スーザン・バーレイ:絵 小川仁央:訳 評論社:刊 ※第2弾
「アナグマさんはごきげんななめ」ハ
ーウィン・オラム:著 スーザン・バーレイ:絵 小川
仁央:訳 評論社:刊 ※第3弾
 「わすれないおくりもの」に続く、シリーズ第2弾と第3弾。実は、スーザン・バーレイの絵本と思い込んでいましたが、スーザン・バーレイは絵をかいたのであって、作者は別の人でした。勘違いをしていました。今ごろ気づくのって、遅いですよね。
 内容ですが、もちよりパー
ティーの招待状が届いたのですが、モグラは、もっていくものが何もありません。そう話すと、アナグマは「それじゃあ、きみだけで、きてくれよ」といいます。でも、他の動物から「なにももってこないなんて、信じられない」といわれ、モグラはいじけて,かなしそうです。そんなモグラにアナグマはこう言います。「いつもどおりのきみ、いつものゆかいなきみ」のことだったんだ。これを聞いたモグラが、その場で新しいダンスをつくり踊り出すと、みんなおおよろこび。帰るとき、アナグマとモグラはだきあってよろこびます。
 また、「ごきげんななめ」では、いつもみんなを助け、はげましてくれるアナグマがつかれてうんざりしています。心配したモグラは、表彰式をすることを考え、アナグマを誘います。そして、表彰式の最後に「たくさんの栄誉をたたえて」アナグマを表彰します。アナグマは、自分がみんなからどんなに好かれているか、必要とされているかを知って、元気を取り戻します。そして、この表彰式を企画してくれたモグラに感謝し、また、二人はだきあいます。
 という、とてもあたたかいお話です。「わすれられないおくりもの」とあわせて3冊読むとあることに気づきます。というか、疑問が解決しました。というのは、「わすれられないおくりもの」の最後の場面にモグラが出てくるわけがわからなかったのですが、3冊読むと、この2人の関係がよくわかります。互いにとって互いがとても欠くことができない大切な友だちなのです。とても深い絆で結ばれているのでした。なるほどなあ。


2011年8月21日日曜日

教育の方法


【今日の本】「教育の方法」佐藤学:著 左右社:刊
 「放送大学叢書 011」叢叢と書いてあるということは、当然放送大学の講義に使われたテキストを本にしたということなのでしょうね。そう考えると、レベルの高い講義といえます。簡潔にまとめてある分、各自がさらにくわしく調べなさいということなのでしょう。
 簡潔にまとめてある部分から気になった文章を書き留めておきたい。

「学びの3つの次元の対話的実践」
  ①対象世界との対話的実践 ②教師や仲間との対話的実践 ③自分自身との対話的実践
  学びは、「世界づくり」と「仲間づくり」と「自分づくり」を三位一体で追求する対話的  実践である。
  「対話的コミュニケーションが成立している授業を参観すると、題材との対話、仲間との  対話、自分自身との対話という3つの対話的実践が組織されている。」

「発達の最近最近接領域」
  協同学習においては、多元的で重層的な発達の最近最近接領域を構成します。

「教室に生起するジレンマ」
  ①認知的・文化的領域のジレンマ ②対人的社会関係のジレンマ ③自己内的実在的ジレ  ンマ

「言語と学力」
  学力格差が拡大し固定する要因の一つとして、教室で規範化されている言語と子どもの日  常生活の言語との差異にあるあるのではないか。

「学びの共同体としての学校」
  子どもたちが学び育ち合う場であるだけでなく、教師たちが教育の専門家として学び育ち  合う場所であり、親や市民が教育活動に参加して学び育ち合う場所である。
  ①授業の改革 「作業活動」と「小グループの協同」と「表現の共有」の3つの要素があ   る。これらが定着した後は、すべての教室の机の配置をコの字かグループ別のテーブル   型へと変更し、聴き合い学び合う教室づくりへと進展する。
  ②同僚性の構築
   どの教室でも教師の声のテンションが下がって柔らかくなり、それと並行して生徒一人   一人が柔らかく真摯に学ぶ姿が見られるようになりました。
  ③親と市民の教育活動への参加

「課題と展望」
  ①より少なく学ぶことがより多く学ぶこと
  ②カリキュラムと組織の単純化
  ③小さな共同体で繊細な関係を基本とすること

「よい学校」
  よい学校とは、決して問題のない学校ではないはずです。よい学校とは、絶えず問題が子  どもと教師と親によって共有され、その解決に向かって協力し連帯し合っている学校だと  思います。

2011年8月20日土曜日

授業づくりをささえる

【今日の本】
「授業づくりをささえる ー指導主事として 校長としてー」石井順治:著 評論社:刊
 第13回授業づくり学級づくりセミナーの会場で購入した本、やっと読み終えました。石井先生が指導主事として、また、担任をはずれ研究会のリーダーや校長として、どのように現場の先生方とかかわっておられたのかなどをを知ることから。担任を離れた私(たち)がどのように先生方とかかわるとよいかということについてのヒントを与えていただけると思いながら読みました。そこで、印象に残ったことを書いておきます。
「授業を変えたいと言う教師は多い。けれどもそれには、子どもや教材のとらえ方、ひいては自らの生き方の転換までを必要とする営みとなる。それだからこそ、その営みに寄り添い、具体的に問題点を指摘し考え、その悶えの痛みを分かち合ってくれる仲間が必要なのだ。」大げさな感じもするが、実際にはそうなんだろう。こんな指摘も。「○○先生にとって、子どもの考えを信じてそれに寄り添ってともに作品を読もうとする立場に立てるようになったことが、言葉の柔らかさと子どもへの対応の温かさを生み出したのではないだろうか。」と。
 話は変わって、土佐いく子先生は、子ども観の転換を強く訴えられた。でも、よくわかってない方もいるようで、それは、生き方も転換する営みなのに、小手先の技術として片づけようとしているような感じがして、ゾッとしました。しかし、人のことは言わない、自分はどうかと問わなければ。


2011年8月18日木曜日

たんぽぽのこと


【今日の本】「たんぽぽのこと」竹内敏晴:文 長谷川集平:文・絵 温羅書房:刊

 小学校低学年向けの絵本?絵がとても素敵です。短い文と絵が想像力をかき立ててくれます。

「よしくんと話したのは きょうがはじめてです。」思い出しながら走るわたしのことがいろいろと想像できる絵です。いかにも絵本らしい。風にゆられて、あいさつするタンポポの場面もいいです。タンポポは朝はひらいていなくて、昼になるとひらくのですよね。それが、わたしにとってはものすごい発見でした。そのことをよしくんに教えてあげようと思いながら、走る絵もいいです。

 公園に着くと、よしくんがいじめられて泣いています。どんな風に声をかけようかと悩むわたし。だいぶたってから(多分夕方になって)、いった言葉がかわいい。「たなかさんのうらにさ たんぽぽがさいてるんだよ。」「あした、みにいくんだ。よしくんもいかない?ちょっとよりみちしない?」この「ちょっとよりみちしない?」がいいなあ。二人のほほは少し赤くなっています。それは、夕日のせいだけじゃないんです。たぶん。

 これって、でも、読むのむずかしいなあ。こんなお話がうまく間を取って読めるようになりたいなあと思わせてくれる絵本です。


2011年8月11日木曜日

RAY OF HOPE


【今日のCD】「RAY OF HOPE」山下達郎

 山下達郎さんの6年ぶりの新作。1月以上前に予約していたので、8月9日に届きました。6年ぶりと言うことで、知っている曲(もうすでに持っている曲)が多い気もしますが、改めて聞くといいものです。タイトルにもあるように、「希望という名の光」が中心的な存在なのでしょう。アカペラを含めて3回出てきます。この間、3月11日の大震災などを受けての構成ということなのでしょうね。達郎さんの願いが前面に押し出されている感じがします。そんな中、「俺の空」なんて曲は面白い。でも、できれば、全作新曲なんていうのも聞いてみたい気もする。

 ボーナストラックとして、【JOY1.5】がついています。これもいい。「JOY2」が実現しそうで楽しみです。PRO TOOLの音源等は違う。厚みと荒さがあり、それはそれで楽しい。30年ほど前に、はじめてLPレコード(多分ムーングロウ)を買ってからのファンですが、そのころはFMでライブを聴くことが多かったので、達郎さんのライブ音源は楽しみです。気長に待ちましょう。待つことには慣れましたから。

 久しぶりにCDを買いました。大滝さんのCDボックス以来です。

 





2011年8月6日土曜日

3つのお願い いちばん大切なもの その1

【今日の本】「3つのお願い いちばん大切なもの」ルシール・クリフトン:著 金原瑞人:訳 あかね書房:刊

 教科書に載っているというので買ってみました。さっと読んでみて、とても面白い内容でした。で、内容について感想を書こうと思ったのですが、内容よりも、登場人物に関心があり、少し調べてみました。以下、ほとんどが引用です。

 一人目「レナ・ホーン」親友のビクターはセノビアをこう呼ぶ。セノビアは、将来ハリウッドに行って、女優になり、映画に出て歌を歌うのが夢である。そのモデルということか?でも、でもである。あえてこの名前を出すには理由があるはず。何でもなしに名前を出すのはおかしい。
 では、どんな人なのか。レナ・ホーンは、1917年6月30日生まれ、昨年(2010年)5月9日になくなっている。女優であり、ジャズシンガーでもある。アフリカ系のアメリカ人ということで、当時の時代背景から限られた役しか演じることができなかったらしく、同時に色白であったことから顔にドーランを塗って出演することのあったらしい。ということもあり、公民権運動にも参加するなど政治意識が高かったようである。その後、ブラックリストに載り、アメリカでの活動が困難となり、フランスに渡り、その後、アメリカに復帰し、活躍したようである。
 作者も、登場人物も黒人ということから、公民権運動に参加する政治意識の高いこの人への興味関心が高かったものと推測できる。いまのところは、これ以上はわからない。とりあえず、レナ・ホーンの曲を聴きたくて、iTunesで検索するとたくさんのヒットしたので、「The Lady and Her Music」をダウンロードした。「Stormy Weather」は聞いたことがあるようだ。

2人目は「ゼノビア」主人公の名前。聖書に出てくると書いている。聖書は苦手。早速調べてみる。
 ゼノビアはパルミラ(現シリア)の王妃、女王で、「戦士なる美の女王」と謳われているらしく、旧約聖書のダニエル書11章の預言に出てくる王の一人でもあるらしい。自信をもってクレオパトラの後裔と称し、また非常に美人であったといわれている。肌は浅黒く、歯は真珠のように光っていたと歴史書には残っているらしい。

 こんな風に調べてみると、作品の背景の一部にふれた気になる。こういうことも、本を読む楽しみの一つであり、教材分析の重要な一部と考えている。何でもいいようで、あえて選んでいるものにはわけがあるはずだから。

2011年7月30日土曜日

子ども・ことば・授業 第20号 ひろい読み1

「第13回授業づくり・学級づくりセミナー」のテキストである「子ども・ことば・授業 第20号」から学んだことを書いてみます。

【5 どうしていますか、授業の振り返り】から

 石井先生は、教師の専門性開発につながる経験、それは振り返りの経験だと言われます。私もそう思います。授業をやりっぱなしにするのではなく、しっかりと振り返りることが重要だと思います。 「自分を見つめない経験では何も生まれない。」きびしい指摘です。
 振り返りをしっかりしたものにするために、「文字」にすることが必要であると言われます。ここで、「文章」としないのは、文章というと大げさになり、続かないからだそうです。でも、時にはしっかりと文章で残すべきだと思います。さらに、事実から学ぶという点から、いまではビデオやボイスレコーダーといった便利なものがあるので、それらを活用することも効果的であるといえます。

 振り返りの結果、さまざまなことに気づきますが、そこから学ぶことが重要です。そのための心がまえなどについて以下のような点が指摘されていました。

 ○授業がうまくいかなくても、結果から逃げずに、そこから学んだことを次につなげていくこと。
 ○事実に出会わない限り教師は変われません。授業は、授業がよく見える人にビデオ撮影をしてもらうとよい。
 ○テキストをしっかりと読み込むこと。
 ○実践者としての課題が見えることは幸運なこと。次の挑戦課題が見つかるから。
 ○教師が教師として成長するには、実践するしかない。
 ○教師は、事実に謙虚であること。うぬぼれと自己弁護、安易な模倣、そして、徹底的にやらないうちのあきらめは何ももたらさないということ。

 この最後の「徹底的にやらないうちのあきらめ」という言葉が印象的です。これは案外多いぞと思います。事実から謙虚に学ぶこと。ボイスレコーダーくらいはいつも持っていないといけないなあと思いました。
 
 
 
 

2011年7月29日金曜日

第13回授業づくり・学校づくりセミナー

 7月28日(木)「第13回授業づくり・学校づくりセミナー」に参加しました。昨年は2日とも参加したのですが、今年度は都合により1日のみの参加となりました。(残念!考えてみると29日の午前中は参加できた?町内の研修はパスしてもよかったかな、結果的に。なんていうと叱られるかなあ。でも、実践聞きたかったなあ。)
 毎年、このセミナーに参加して、力をもらっています。これで、1年、がんばれるぞって感じです。佐藤先生や秋田先生の話は明確・的確で、また、石井先生の話は人柄がにじみ出るようで。参加の先生方も大変熱心で、この心地よい空間にいつまでもいたいと思わせてくれます。全国から800名の参加がありますが、席が前の方から埋まっていくのもこのセミナーの特徴です。

 セミナーで印象に残ったことを書きます。
○言語活動ということばはかたいなあ。言語活動っていう人は、キャッチボールのように言葉をずばっと 投げて、ずばっと返すもの、そんなイメージで使っている。しかし、ことばは、「のりしろ」のようにつな
 がっていくもの。やわらかいことばでつながろう。
○「じゃあ」「ねえ」を子どもが使う教室に。でも、先生は使わない。「じゃあ」を使う先生は、教師主導でま
 とめる先生。
○一人一人のことばをしっかり聴くと、子どもの名前が出てくる。(教育実践に、実践記録に)
○言語活動は、PISA型読解力に対応したものであろうが、短絡的で、根本を見ない発想である。な
 ぜ、日本の子どもたちが本を読まなくなったのか、なぜ、追求ができなくなったのかを考えることが重
 要。
○学び合いの授業では、グループ(ペア)を基本に、ときどき全体(一斉)を入れるくらいでよい。
○文学は、読み取るのではなく、味わうものである。
○発言する子どもが偏っている授業の原因は、教師の教材分析の甘さに原因がある。
○グループは4人が基本。4人は1人になれる。1人になって、自分と対話できる。
○一人でやらせない。学校中で、一人でやらせていいのは「テスト」だけ。
○学級の関係づくりができないと、学び合いの授業はつくれないというのはうそ。むしろ逆である。
○学び合いと話し合いは別物。グループでは、まず、分からない人から発言してもらう。
○つぶやき、もやもや、たどたどしいことば、あいまいな言葉に敏感にこたえること。

 これでは、断片過ぎてなんのことかわかりませんが、もう少しくわしく知りたい方は、佐藤学さんや秋田喜代美さんの本を読んでみてください。わたしとしては、こういう視点で授業をみることが課題だと思っています。
 「単元構成を作成し、言語活動を明確にして、そこに向けて1時間1時間をつなげていく」というような取り組みを進めているわけですが、これもある程度やってくると、形式的になってくるのは目に見えています。そうすると、1時間1時間の授業で、本当に力がついたのか、子どもたちは学び合っているのか、こういう視点が結局今後重要になってくると思います。

 「一つの花」もとりあえず発表に向けて全体的な評価(意味づけ)をしたのですが、実は1時間1時間の授業の分析が残っています。あまりに達成感が低かったので、とりあえず授業の中身にはふれずに全体的な分析をしたのですが。ただ、今日いただいた文章にはそのあたりがまだなかったので、さきにやるわけにはいかず。それはまたいつか。いつになるのでしょうか?とりあえず、テープ?おこしをしておこうかなあ。

2011年7月25日月曜日

一つの花 まとめ4

【学習活動の感想から】
 今回の活動、とりわけ本の帯づくりに取り組んだ子どもたちの感想をまとめてみると、
①全体として、工夫して取り組めたという感想が多かったと思います。内容だけでなく、色や 文字と絵の配置などにも気を配って書けていたようです。また、半数以上の子どもが印象に 残った場面を帯に書くことができたと書いています。今回はうまくできなかったけれど、次 に書くときにはもっとがんばりたいというような感想を書いている子どももおり、今回の活 動に興味をもって取り組んでいたことがわかります。
②帯を作るという活動をとおして、一つの花という作品の内容がより深くわかったと書いてい る子どもがいた。印象に残った場面を再確認したり、あらすじを書くことをつうじて、話  の内容を再確認したいるすることができたからでしょう。この活動を取り上げてよかったと いうことなのでしょう。
③課題としては、1/3程度の子どもが、帯に印象に残った部分を書けなかったと答えていま す。また、数人ではありますが、あらすじを書くことがむずかしかったと答えています。あ らすじについては、授業中、書き方がわからないと質問してくる子どもが多かったように思 います。あらすじの書き方についての指導が必要であったといえます。「書きなさい」とい われても書 けないということですから、これについて、要約の指導と考えた場合、どの学 年の、どの単元で指導すべきことなのかを明らかにしたいと思います。

【教師の総括】
 授業記録、子どもたちの感想、帯づくりの感想などのデータがそろったら、いよいよ教師の総括、反省やまとめ、課題等をまとめる段階です。ここには、他の人の意見は参考にせず、是非、指導者でまとめていただきたいと思います。それを報告の、あれこれと説明したあとの最後にふれていただけるとすばらしいと思います。また、文章にまとめていただいて、読ませていただきたいです。(こんな風に言うと、試されていると思わせてしまうのが常のようですが、決してそうではありません。それはいつもそうです。授業の話をするときは対等だと思っていますので。読んで、コメントもしませんので。)

【私の総括】
 是非、自分でまとめてくださいと書いているので、今書くのは止めようかな。29日までに はまとめられるだろうと思いますので、それ読んでから、これは書きます。

【今日の本】
「『ぬすみ聞き 運命に耳をすまして』グロリア・ウィーラン:文 ももうちすみこ:訳 光村教育図書:刊」
 奴隷の子どもたちには、一日の仕事が終わった後に、大切な仕事が残っていました。それは「ぬすみ聞き」。だんなさまもおくさんも、肝心なことは、何一つ奴隷に教えてくれないのです。ある夜、新しい大統領にエイブラハム・リンカーンが選ばれたという知らせが届きます。「おれたちも自由になるんだ。よろこびの日がやってくるんだ。」お父さんは叫びます。みんなもう大喜び。「もうぬすみ聞きはしなくていいの?」そう私が聞くと、お父さんは・・?
 帯風に書くと、今感じですかね。

2011年7月22日金曜日

一つの花 まとめ3

 実践のまとめをする、実践記録を書く、実践記録にまとめるとはどういうことなんだろう。

「教育実践記録論 坂元忠芳:著 あゆみ出版:刊」たとえば、こんな本があります。1980年に買った本です。当時でも教育実践には、第三者が写真やテープなどを使ってまとめるものもありましたが、この本が問題にしている実践記録とは、『教師自身が書きことばを使って自己の実践を対象化したもの。「教師の生活記録」としての実践記録』です。当たり前ですが、当時はまだ教師をめざしてはいたものの教師ではありませんでしたので、教育実践とは何かというようなことを学ぶために読んだのだと記憶しています。学生ですので偉そうな感じですが。
 この本で取り上げる実践の特徴は、教師自身が、記録をとおして自己の教師としてのあり方をも対象としてるところです。教師自身の気づき、教師の学び、教師自身の変容、子どもにはたらきかける教師自身の思いとそのはたらきかけとその結果の事実を記述するのだそうです。
 こうした実践を書くためには、記録の「素材」が必要です。例えば、それは先生のノートなんだと思います。これは、あえて見なかったのですが、多分授業の前に書く部分が多かったのではないかと思います。そこに、子どもの動きや感想も書いておくといいのだと思います。その他、感想などをまとめたものや授業記録のデータなどもあります。授業中のワークシートなどもよいものは一部残しておくと参考になります。今回のまとめには、ほとんど役に立たない内容かも知れませんが、いずれにしても、教師自身や教師自身の指導を対象にしない実践のまとめ・記録はないということが重要です。是非、業務的な報告とは別に個人的にまとめておかれることをお勧めします。なお、子どもや保護者の感想、帯のデータなどは印刷物しか渡してないので、データも送っておきます。といっても、学校のパソコンに入っているので、明日学校から送信となります。

【学習活動の感想】
 こういうことを先に書いたのは、ネタがなかったからでして、子どもたちに書かせた「学習活動の感想」をどのようなものだったかわからないからです。まとめてあれば(まとめてなくても)見せてください。本の帯づくりの感想はまとめをする上で重要です。



2011年7月18日月曜日

一つの花 まとめ2

【感想を読んで】
 初めの感想と終わりの感想を並べてまとめてみました。そして、帯に書いたあらすじと印象に残ったところ(キャッチフレーズと呼ばれているもの)を比べて読むためです。感想文は個人的に修正した部分もあるのですが、よくないかなあとも思います。両方ともおいておきます。データは修正したものですが。
 初めの感想は、よくこんな短い感想を書いたもの(失礼?)だと思いましたが、終わりの感想ではかなり長文になっていいます。それだけでも指導が入ったことがわかるわけですが。もっともっと書けるだろうと思うわけですが、それは今後の課題かなあ。本の帯に書いている内容と感想とはリンクしているようで、そのあたりもしっかりできたかなあと。
 あと、細かいことですが、感想文については、いくつか課題もあります。文章表現上の間違いです。例えば、文末表現。「一番心に残ったところは、・・・・・が、心に残りました。」、「理由は・・・・・が理由です。」「・・・だからです。」と書いていない文章があったり、書き言葉で書いていない文章や「〜たり・・・〜たり」が使っていない文章などがあります。これらは、今直さないとしっかり覚えることができません。
 帯にも常体と敬体の混在など間違いがあります。マジックで書いており直すのはむずかしいのですが、これも必ず訂正させましょう。あと、レイアウトの指導も必要でしたね。このあたりも何気なく書かせるのではなく、文章をどこまで書くのか、どこで改行するのかということは読みやすさにもつながってくるので重要です。センスのある書き方というのがあるはずです。内容がよかっただけに残念でもあります。直すといいのでしょうが、もう無理かな。

【学習の感想を】
 ここまで書いてくると、学習活動として、少しやり残した感があります。例えば、感想文や帯の直し。時間がとれない気がしますが、やらないと同じ間違いを繰り返してしまう気がする。せめて、説明して自覚させる必要があるのでは。そう考えると、学習活動として取り組んだことに対する感想(自覚・気づき)が必要ではないかと思います。つまり、終わりの感想として、物語についての感想は書けましたが、帯に取り組んだ感想(自己評価、できばえについての評価、やってみてどうだったか、よかったのか、楽しかったのか、ためになったのか など)、そもそも今回のような学習に対する感想、一つの花の学習で先生が意識して取り組んだことに対する感想、児童の成長への自覚の感想(初めの感想と終わりの感想を読んで、どう思ったか、疑問に思っていたことが解決したのか など)です。これはもしかすると以前にも書いたのではないかと思う気もするのですが、読み返していないのでわかりませんが。このあたりをつかまないと、実践をまとめる上での、教師自身の評価ができないのではないか。(教師はこうやった→子どもはこう思っている→成果や課題)。このあたりはもしかすると意識的に外しているのかも知れませんが、是非必要です。項目を指定してでいいので、ぜひ書かせてほしいものです。眠くなってきて、文章にまとまりがなくなりつつあるので、このあたりで終わりです。
 





 

2011年7月15日金曜日

一つの花 まとめ1

【親子読書ー保護者の感想】
 これはほんとうによかった。たくさんの方に書いていただいた。そして、内容もよかった。保護者の意見を受け止めて感想を書いている児童が少なからずいたこともよかった。なかには、家庭で親子での会話が生まれていたかも知れない。そんなことを考えるとワクワクしてしまう。
 これが可能なら、できたなら、たとえば、授業参観日などに保護者も参加して授業ができるかも知れない。以前、少人数の学校で1度だけやったことがあるが、グループに入ってもらって話し合えたらきっと読みは深まるだろうなあ。保護者にとっても、ただ見ているだけより楽しいのではないか。子どもたち同士よりも「聴きたい」という気持ちも増し、より意欲的なものになるのではないか。その可能性を探ってみたのですが、思ったより反応がよくてうれしかったです。
 こういうのを子どもたちに読ませることも大切だと思いました。

【本の帯】
 終わりの感想とどの程度リンクしているかを検証する必要がありますが、ほぼ完成したようで全部読むのが楽しみです。これは、「引用」と「要約」の学習と思うのですが、「引用」ではいまのところ、「一つだけちょうだい」の口ぐせ、お父さんの最後の言葉のあたりが多いようです。ここは比較的うまくできました。「要約」には、少し苦戦していたようです。授業に入って子どもと話していると、「要約」や「あらすじ」の書き方がわからないようでした。それだけではないかも知れませんが。このあたりは、やはり指導が必要ではないでしょうか。どうやってあらすじを書くのか、あらすじって何?と。自分自身もくわしくは説明できませんが、自分なりに教えておきました。同じようなことは、今回授業を見ていて、何度か感じました、教えるべきことはきちんと教えることの大切さとでも言いましょうか。考えてごらんだけではできないことが多いと。はじめー中ー終わりを簡単に書くとか、初めのゆみ子と後のゆみ子の成長ぶりを書くとか。具体的に教えないと書けないと。
 そんなことを考えていたら、ふと昔聴いた「大村はま」さんの講演を思い出しました。「戦後の国語教育の最大の失敗は、教えない先生が増えたということです。」2002年の講演ですが、大村さんの口から戦後の・・・という指摘があるところが大変意外だったと覚えています。大村さんが言うからとても説得力があるといえます。説教みたいと思わずにきいてみると参考になるかなあ。データどこにあったかな。本にもなっていますが。講演の一部なので10分くらいです。

 感想文や帯をデータ化して、実践をまとめておくと、今後の参考になると思います。実践を報告しなければならないようですが、それまでにいろいろとしなければならないことがあるようです。これについては、また今度。とにかく何日ぶりかなあ?少し余裕ができつつあります。
 

2011年7月10日日曜日

感想文

【親子読書】
 これについては、指導計画を検討する段階から是非やりたい(やってほしい)ものでした。
 1つは、単純に親子で作品を読むことで、子どもたちの読みが深まったり、保護者の学習内容への関心と理解を深めることがねらいです。
 2つめには、実は保護者の世代はこの作品を学習しているはずです。したがって、お父さんはこう読んだ、お母さんはこう読んだという会話ができるのではないかといいうことを期待したことです。
 3つめは、戦争中という時代背景に少しでも近い世代の保護者の意見を聞くことで、より作品の世界に近づけるのではないかとうことです。
 4つめには、保護者の児童一人一人に対する思いを聞くことで、ゆみ子のお父さんやお母さんの思いと重ね合わせることができ、さらに、いつの時代も親の願いや思いは同じだなあと思うことができるのでないかと期待したからです。
 明日の朝が本当に待ち遠しいです。ただ言っておきますが、書いてくれない親もあると思いますよ。そこはくさらないように。間違っても悪く言わない(思わない)ように。お願いします。

【感想文】
 少なくとも、これまでに書いたことにないくらいの量を書かせたいと思います。そのためには、いくつかの観点を与える必要があります。できれば、原稿用紙に書かせたいものです。
 さて観点ですが、思いつくままにあげてみます。
①一番に印象に残ったところを抜き出し、その理由を書かせる。2つ以上あれば、それも   書かせる。→ これは、帯に直結する。
②不思議に思ったことや疑問に思ったことがあれば、そこを抜き出して、その理由も書かせ  る。
③お父さん、お母さん、そして、ゆみ子にひとことを書かせる。
 ・はじめとあとのゆみ子をみて、どう思うか。また、励ましの言葉。
 ・天国のお父さんが今のゆみ子を見たら、どう思うか。
 ・もし、お母さんがゆみ子にお父さんのことを話すとしたら、どんなふうに話すか。
④親子読書の話し合い?や保護者の感想を見て思ったことを書かせる。
⑤戦争について思ったことを書かせる。
⑥授業、吹き出しを書いたり、詳しく読んだりしたことへの感想を書かせる。

 本当は、少し欲張って、「わすれられないおくりもの」を読み聞かせ、おとうさんが亡くなっても、その思いはいつまでもお母さんやゆみ子の記憶の中に生きつづけるということにもふれてから書かせてはとも思ったのですが、時間がないので「ヒューマン」で読み聞かせします。授業とは関係なく。本当、最後の感想のところは自分でやってみようかなと、ふっと思ったりしたのですが、4時間目はプール監視も入っているのであきらめます。やっぱり締めはあなたでないと。ということで、優秀な助手の面倒をよろしくお願いします。金曜日の授業を聞いていて、話し方など、多少意識されている(いやがっている)感じも伝わってくるのですが、すみません。

【帯】
 帯は、本を貸しますので、それにあわせた方がプレゼンがしやすいと思います。一つ一つ本につけた状態で写真を撮ることもできます。子どもたちが、待ち望んでいる活動だと思うので、盛り上がっ(け)て、素敵なものができますように。期待しています。字数を決めるのはいいことだと思います。


2011年7月8日金曜日

一つの花 3場面

 今日の2時間は昨日と一転して、大変自信に満ちあふれた?授業となりました。高い高いのあたりのふりかえりなど、語る語る。曖昧だと子どもがぶれるというようなことを書いた気もしますが。しかしあまりに自信にあふれているため、若干間違いもあったようです。例えば、ミシン。これは足で踏むタイプのものです。内職の話。戦後10年、母と子が親戚もない中、トントンぶきの家に住んで、2人で食べて行くに当たっては、相当な苦労があったことと思います。平和になり、やっとなんとか2人が食べていけるだけの仕事にありついた。それが縫い物の仕事。決して裕福ではありませんが、そこまでたどり着いたと言うことなのでしょう。今から見れば、内職程度の収入の仕事と思うのにも無理もありませんが。逆にその程度の仕事でくいつないでいるのでしょう。

【3場面には一つだけという言葉がない】
 これはいい指摘であったと思います。「どうして一つだけがないのか。」と問うことは、明るく平和なイメージを印象づけたと思います。

【まとめ読み】
 そこで明日のまとめ読みです。指導案はあると思うので、こんなことに触れてもいいかなあと思うことを何点か書きます。
 ①「もしお父さんが今のゆみ子を見たら、どう思うだろうか?」と問うてみる。
 ②「一つの花が何を象徴しているか?」を考えさせるために、この作品に他の題名をつけて  みて、比べてみる。
   例:「コスモスの花」でもこれは誤解というか混乱しそう。「お父さんの出兵」、「ゆ     み子とお母さん」、「ゆみ子とおにぎり」、「10年後のゆみ子」、「ひとつだけ     ちょうだい」など。どれもよくない、混乱しそう。邪道ですが、あの子たちに漠然     と考えさせてもむずかしいので、こんな方法のありなのではないかなあ。

【親子読書】
 今日は金曜日、是非親子読書の宿題を出してください。できれば、2組も。
 ①家庭で保護者に音読して聞かせる。
 ②いつくかの質問をさせる。
 ③最後に親子で感想を書かせる。
  

 追伸 
   「親子読書」の文書は、Gmailで朝までに送付します。適当に直して使ってください。
   実は突然のハプニングがあり、明日の午前中年休をいただきたいので、午前中打ち合わ   せはできないので、参考になればどうぞ。

2011年7月7日木曜日

解釈の修正

 文章の意味を正しく読むことを「理解」とするなら、その理解ののち、自分の内面から意味を補充し、自分なりの読みを構成することは「解釈」と言えます。この解釈の要素には「体験」と「経験」があります。子どもたちがぐずったときに親がどのようにあやしたかというような経験の差が解釈には大きく関わると言うことです。
 同時に、今の子どもたちは自分に固執する傾向があります。いったんある方向で読むと、なかなかそれを修正しようとしない。

【解釈の修正】
 自分の読みを修正することが苦手、自分の思いが跳ね返されたり、見直しを迫られありすることがほとんどない子どもたち。それゆえに、友達の読みと自分の読みを比較して、よりよい読みに修正する体験は重要です。自分よりも価値のある読みに出会えたときにそれを素直に受け入れたり、そこから学ぶべき内容を学び、自分の読みが高まってくることを実感したりすることは重要です。

 昨日の授業をみていて、そんなことをぼんやり考えていました。「友だちの意見から学ぶことがあったら本当におもしろいんだよ。」って、子どもたちにつたえてあげたかった。
 で、どうするかなのですが、作品の世界に入り込めるように場の設定や教師の多少の誘導(その気にさせる)もありかなあと思います。子どもたちを引きつけるような話術も必要だし。また、担任でもなく、クラスの誰かでもない、第三の話者の意見として、模範解答的な意見、考えさせる意見を紹介する方法もあります。たとえば、先生がまえに指導したときの児童という設定で。先生はこう思うというのを出して、話し合うこともできるなあ。
 しかし、児童の経験や体験の差は埋められない気もするし、そういうものにもとづいたものは現時点で尊重しなければならないのも事実ですが。あまり強引にはできないのでしょうが。

 とにかく、先生の思いや願いは必ず伝わると思いますので、くさらずにもう少しがんばりましょう。子どもたちにとっても、いまううんと考えたことがあとでわかることもあるので。このううんと考えたという経験が先生にとっても子どもたちにとってもよかったなあと思えるように支援したいと思います。迷う場面のあるのですが、なにごとも前向きに明るくが信条ですから自信をもってやりましょう。先生が迷った顔をすると、子どもたちも不安になります。「さあ、考えるよ。」って感じでやりましょう。わあ、もう7時だ。

2011年7月6日水曜日

一つの花 2場面後半−2

【混乱】
 ゆみ子を一生懸命あやすお母さんの気持ちを吹き出しに書いたわけですが、うまくいかないようです。授業を見ていたわけではないので、そこにどのようにして至ったのかはわかりませんが、吹き出しだけを読むと、約半数は「おとうさんに泣き顔を見せたくない気持ち」を書いているのですが、「あとで何かあげるから泣き止んで」といった吹き出しやお母さんの「バンザイ」や「かっこいい」といった言葉を真に受けているかのような吹き出しもあり、これまでの学習とつながっていないと感じるものが少なからず見られました。このあたりは、早々に修正が必要です。

【戦争】
 子どもたちに戦争や戦時下の生活などについて理解させることは大変むずかしいと改めて思います。この原稿用紙7枚程度の短い作品は非常に精選された文章であると思う一方で、文章に即して読むために書いておいてほしいことがあまり書いていないのではないか。だから、子どもたちは勝手に想像してしまう。その想像を許して(認めて)しまうと、この時代を理解できない子どもたちは、どんどんとわけのわからない方向に行ってしまう。「見送りが終わって帰ったら、何でも好きなものを買ったげる」というように。文章にも戻って考えようと言いたいところですが、そのあたりはしっかり書いていない。そうすると、ある程度先生の方で軌道修正が必要になる、これは仕方がないことなのでしょう。「これが最後になるかも知れない別れ」の場面でも。

【お父さんの行動】
 ということで、昨日の吹き出しについては修正し、もう一度書くことにして、問題はそのあとの、お父さんの行動や言葉の読みです。昨日の吹き出しのことを考えると、先生が引っ張る部分がかなり必要と考えます。「どうして、コスモスなのか」「どうして一つだけなのか」「なぜそんな偶然見つけたような?コスモスを大事にするんだようと言ったのか」などなど。
最後の場面のコスモス畑が印象に残っている子どもは、ダッシュの続きに、「花を増やして遅おくれ」なんて書きそうです。ここでも、この場面でのお父さんの切迫した気持ちに思いをはせないと、いや「はせる」ように持っていくことが重要です。そうすると、「コスモス」にはあまり意味はない、「一つ」と「花」に意味がある。ただし、一つはゆみ子の口癖をまねしたという部分もあるかも知れない。そうすると、「花」なのでしょうか。「花」=「ゆみ子」=「命」。そうすると、コスモスを見つけて渡すという行為はたまたまかも知れないが、それをあげるときには、ずっと思っていた「命を大切にして生きていてほしい」というような思いが表れていると。そうすると、1場面の「高い高い」、文子の将来に対する不安あたりからつながっている思いが、この偶然といえる行為と結びつくことになります。このあたりを考えさせる上で、昨日書いた主題に迫る発問が是非必要ではないでしょうか。『ゆみ子が大切にしなければならない「一つ」のものって何でしょう』というように。「花」=「ゆみ子」=「命」であるならば、それはお父さんの命でもあります。ゆみ子に生きてほしいと同時に、自分も生きて帰りたいという気持ちが当然あるはずです。このあたりが、「ゆみ子のにっぎている、一つの花を見つめながら」の読みにつながるとうれしいのですが。いずれにしても先生の誘導も必要な気がします。
 しかし、この時間の書き込みでは全く参考にならないかな。急いで書いたので、文章を読み直していません。おかしいところがあるかも知れません。とりあえず、吹き出しまでいけば、、、、。

2011年7月5日火曜日

一つの花 2場面後半−1

【戦争】
 2場面後半の1。「の1」になってしまいました。戦争のイメージづくりに随分と時間がかかってしまいました。子どもたちは、戦争についてあれこれと知りたいことがたくさんあるようで、これは仕方がないのかなあと思います。指導者も自信がない部分でもあります。社会科ではないのでといいつつも、もう少し戦争について理解しておく必要もあるかも知れません。例えば、この戦争は侵略戦争であること。したがって戦争に行くとは「外国」にでかけていくのだということ。(もちろんそうでない場合もありますが。)また、当然のことながら、人と人の殺し合いであること。子どもたちは、飛行機同士が撃ち合い、どちらかの飛行機が落ちるようなイメージしかありません。少なくとも指導者は理解しておくことが重要です。

【解釈】
 しかし、今日の授業では、これまでより指導者の教材研究がスッキリとしていた感じがありました。授業の前提として、教師は教材を自分なりに解釈しなければなりません。自分で解釈しないで、人のつくった解釈をもとに授業をしても(発問しても)実践としては深いものにならない気がします。子どもたちを読み手に育てるためには、まず教師がよき読者(読み手)になる必要があります。もちろん、それだけで、よりよい学習ができるわけではありませんが。(授業論も必要になるです。)あとから話していてわかったことですが、何度も何度も教材を読む中で、自分なりの解釈の方法を思いついたようでした。これが、すごい。いつも思うのですが、この先生の場合、ある種とても頑固な人なので、「一つの花」の解釈本や私などの意見は一応参考にしつつも、物まねは嫌いで、なにか自分なりのもの(納得できるもの)をつくらないと気が済まないようなところがあり、そこがいいところなのでしょう。(当たっていないかも知れませんが。)もちろん、まだ悩んでいるところもあるようですが、それはさておき。

【作品の意味づけ】
 とりあえず、明日の吹き出しとお父さんの思いについて考えるところまでは、なんとなくめどが立ったわけですが、この物語が内包する意味やテーマについて深く読み取るための手立てがまだ見えません。文脈にそって心情をおさえるだけの発問では不十分です。3場面を読み終えた段階で、「一つの花が意味することは何か?」「コスモスの花は何を表しているのか」「作者が伝えたかったことは何か」というような課題について考えさせ、それを話し合わせることが必要と考えます。これは例ですが、学級の子どもたちにあった、子どもたちが考えやい課題の作成をお願いします。これは担任にしかできません。それが、帯の中核になるはずです。

2011年7月3日日曜日

吉越式クラウド仕事術


【今日の本】「吉越式 クラウド仕事術」吉越浩一郎:著 アスキーメディアワークス:刊
 夕方、本屋に立ち寄って衝動買いした本。これくらいの時間で読めるなら、2日ほど立ち読みすれば読めるか。なら、買うこともないような気もするが、まあ、吉越さんのファンなので。そして、きっとEVENOTEやG-mailの新しい使い方の参考になるかなあと思って。とりあえず、気になったところを書き留めておくと。
①G-mailやMacは仕事に使えないという人について、『「使えない」と言っている人のほとんどは「使えない」のではなく「知らない」だけだ。』 → そうなんだと思う。いまだにMacは使いにくいと信じている人やPCならAndroidだと思い込んでいる人も多いように思う。
②いただいたメールの末尾が@gmail.comになっていると、「おお、やるなあ」と思うことが多い。 → Gメールのよさはもっともっとみんなに知ってほしいと思う。
③EVENOTEでは「ウェブクリッパー」が便利。 → ウェブのアドレスをコピーしても、新聞記事などは更新されていて読めないこともあるが、これならスクラップブックと同じに使えて便利。スマートフォンの人は、いやパソコンを使っている人は是非導入しましょう。ほかにも、便利は機能があります。

最後はお得意の仕事術の話。
④部下をやたらに飲みに誘う上司で仕事のできる人間はいない。できる上司は部下を「子分」にしたりしないものだ。自信のない人ほど、人を誘いたがり、誘われるとついていきたがる。会社の中で一匹狼として、生きていく強さを持つべきである。
⑤「ホウレンソウ」で出世した人はいない。報告のための作業は仕事ではない。本来やるべきはその仕事を高いクオリティで早く完成することなのだ。
⑥社内で「パワポ」を使う会社はじきにつぶれる。「報告」の準備は「何の報告か」と「結果」、企画書なら「問題点はなにか」「解決するために、いつまでに何をするか」の2点のみ。これならA41枚で足りる。本来2ページですむものをごていねいにパワポで作ったりすると、その報告書の問題点をカバーしてしまい、問題点が見えにくくなる。「パワポでごまかすことになり」、「ぼんやりと責任を分け合ったような気分になる」これが危険。
⑦会議で「報告」と「議論」をしてはならない。会議は仕事上でもっとも大切な「判断」の場である。 → ううん、頭が痛い指摘。
⑧「ブレスト」なんか今すぐ止めろ。やたりに「ブレスト」をしたがる人に優秀な人はいない。本来ならひとりで判断できるからだ。 → 最近のこの点を強く感じることがあったので、長々と引用しておく。
『当たり前である「決定権」を持った人がいないからである。あるいは、実は「決定しなければならない立場」にあるにもかかわらず、自信と能力がないために「みんなの意見を聞きたい」と言って関係者らしきメンバーを招集してしまうのだ。そこで、繰り広げられるのは、いったいいつ終わるのかもわからないような「ワイワイガヤガヤ」である。』 → そもそも「ブレーンストーミング」は結論を出さないことが鉄則ですよね。最終的な判断はトップが行う。そのトップからおまえに任せると言われた人は自分判断しなければならない。複数担当制の問題も同じである。みんなでみんなでといいつつ、要は、後で自分だけ責められたり、自分だけで責任を取るのがいやなだけのように思える。遅くまで会議や打ち合わせをして、身体をこわしたのではどうしようもない。おっと、このあたりにしておこう。ところで、この本の帯もよくできているなあ。

2011年7月2日土曜日

一つの花「第1場面」

 授業を見たら、きちんと思ったことを全部言わないといけないということで、第1場面の感想です。
 今日、授業の記録(ボイスレコーダー)を編集していて感じたこと。まずは、子どもたちの声が大きくて、盛り上げていたところという観点から。①最初の音読の場面。全員が声を出していたので当たり前ですが。ただ、研究会では言わなかったのですが、読む早さに感心しました。よくしつけ?られていると。たぶん速すぎるという声も聞こえてきそうですが、妙にゆっくりとして一本調子なのよりはよいと。個人的にはいいと思いました。②高い高いの話題になったとき。このときが一番つぶやきがたくさん聞こえました。一人一人が自分の経験をもとに、高い高いについて語っていてとてもおもしろい。指導者は、「ことば」をおさえることに必死でしたが、一人一人の経験に基づく「高い高い」の話を発表させながら、動作化などを交えて書かせたらと思うと、少し残念です。再度書かせてはと思います。例えば、お父さん役とお母さん役に分かれて、会話文を読ませるなども有効です。事前の指導案の段階で「お父さんになりきって」という部分を削除させたのが悪かったかなあとも思うところです。意味合いが違うのですが。このあたりは、最後の詰めが甘かったところですが。人の話をきかいないようできくという、むずかしいとこでもあります。
 研究会でも話したように、「一つだけちょうだいといえば、なんでももらえると思っている。」ことを、どうしてかわいそうというのか。授業の中では、教師のおさえはできていると感じますが、初発の感想でこのあたりが理解できていない子どもが本時でどう変わったかをおさえておく必要があります。また、ゆみ子を不憫に思う気持ちも再度おさえておいた方がいいかと。
 放課後話していたことは本当です。普通の授業のこと。教師の声の大きさや調子は授業に大きな影響を与えます。普段と変わらない声の調子で授業が進められたので、子どもたちとのやりとりが非常に自然でした。なかなか研究授業というとこうはいかないものです。普通すぎる部分もあってはらはらしますが、そのへんは録音を聞くと面白いです。度胸があると言うか、物怖じしないというか。でも、学び合いの授業では、このあたりがよく話題になります。
 しかし、細部をつめられなかったのが残念かな。というか、信じられない?帰るかなあ。あの状況で当然相談にも乗ろうと待っていると想像できると思うのですが。まあいいか。ということで、月曜日以降の第2場面がかなり不安です。準備しているとは思いますが。

2011年7月1日金曜日

一つの花・戦争

【時代背景】
 時代背景を理解するのは、むずかしいのかも知れません。でも、社会科ではないので、子どもたちの発言でOKかと思いました。あとは、教師の方でさっと説明することかと。写真などもあるしね。そういえば、持っていった写真集は手に取られることもなかったようだ。
 「お米がないのに、どうしていもはとれたの?」→「つくりやすい」、「おまんじゅうやチョコレートは、どうしてないのか。」→「作っていない」、「材料がない」、「工場が爆弾でなくなった」、「そのころはなかった」。このあたりはあやふやな感じ。米は基本的に軍や兵隊が消費するので、国民の口には入らない。米がないのではない。国家総動員法。その代わりに育てやすいいもを育てて食べさせる。当時、学校のグラウンドでも育てていました。それくらい簡単に育ちます。
 「爆弾?」「次々に焼かれる?」「灰になる?」→もう少しイメージできていない感じ。写真などでさっとイメージできたら。ただし、小浜が焼かれて、おおい町が焼かれて、高浜が焼かれて。舞鶴が焼かれるというようなことは起こりません。そんな意味のことを言っているのではありません。

【ひとつだけちょうだい】
 そこで、最後に『ゆみ子が「一つだけちょうだい」を覚えた理由』を考えさせたわけですが、「お母さんの口癖がうつった」という意見が大半でした。そこで、時代背景を意識した発言はなかったようです。どうして、お母さんはひとつだけを言わざるを得なかったのか。ここでは、子どもたちの思いが聞きたかったと思います。そうならざるを得ない状況についての意見や感想を。
 ちなみに「はじめてはっきりと覚えたことば」と「はじめて話したことば」とは別です。教科書を読むだけでも、ゆみ子は「もっと、もっと」をしゃべっています。

【発表】
 子どもたちは、手をあげて発表するのは苦手?なようです。形式ばった雰囲気での発言が苦手?口々に発言するのは得意で、そのなかにとても面白い発言があるようです?はっきりと聞き取れないのでわかりませんが。ならば、そういう発言を教師がつなぐことも大切ではないか。読みを深めることが目的なのですから。また、何のために書かせてから発表させるのか?理由はいくつかあるのですが、書いているのですから、指名して何人もに読ませることも必要ではないかと感じます。でも、うちの子どもたちは本当に発表しないなあ。

 
 

2011年6月29日水曜日

一つの花、本の帯


 本の帯について考えてみた。本の帯は何のためにあるのだろうか。これまであまり意識してこなかった。学生時代は、栞代わりに使っていた。だから、昔読んだ本のほとんどの本には帯は残っていない。新書版や文庫版の場合は、立って読んだりすることも多く、そのカバーすら邪魔で捨てていたように思う。だから、本の帯なんて、あまり重要でなかったのではないだろうか。
 しかし、最近は少し事情が変わっているように思う。本のカバーや帯もデザインの一部として初めから考えて作られているように思う。
 昔の帯はせいぜい4分の1程度の幅であったと思うが、最近は、3分の1以上、多くは2分の1程度が当たり前となっているようだ。例えば、手元にある『「仕事が速くなるプロの整理術」吉越浩一郎:著 日経BP社:刊』や『「そうか、君は課長になったのか。」佐々木常夫:著 WAVE出版:刊』などは2分の1程度あり、カラーで大変見やすいものがついている。
 さらに、『「他人を見下す若者たち」速水敏彦:著 講談社現代新書:刊』に至っては、4分の3程度もあり、帯(こうなるとほとんどカバーだが)を外すと、まったく
違う本のようである。はっきり言って、このカバーがなかったら、この
本を書店で手に取ることはなかったかも知れない。カバーにある『「自分以外はバカ!」の時代』の文字は、本の題字よりも大きいし、帯にあるマンガのインパクトといったら本当
にすごい。同じようなマンガが中にもあって、その一部を載せているのかと思いきや、中にはマンガなど全くない。実は小さい文字で「ビックコミックス連載中」と書いてるのだが、小さすぎて気がつかない。そのマンガの顔が作者の顔と少し似ているのだから困ったものである。詐欺のようなものである。これは、実にうまくできている。最近見た帯のナンバー1である。また、『「職場は話し方で9割変わる」福田健:著 経済界:刊』に至っては、カバー=帯とい状態である(多分この本には帯がなかったと思う。違っていたらすみません)。いずれにしても、本を売るために、大変な
努力をしていることが伺える。最近では帯を読むのが楽しみになってきているくらいである。
 実は、今、本の帯をつくる学習に取り組んでいる。というか、正確には取り組んでいる先生がいて、そのお手伝いをしている(邪魔?をしているようなもの)。単純なことのようで、なかなか面白い。そういう目で本を見ると、上にも書いたように、実に個性的で考えられた帯が多いこと、多いこと。子どもたちには本の売り上げなどは無関係だが、きっと、ものすごい時間の産みの苦しみがあるのだろうと思われる。要は、文章の「要約」と「引用」の学習といえるのだろうが、一人一人の読みが活かされて、個性的な「帯」が出来上がるのが今から楽しみである。担任には、当分産みの苦しみが続くのでしょうが(与えている?)、子どもたちがつくった帯が宝物に思える日がくることを祈っています。

2011年6月27日月曜日

子規、最後の8年


【今日の本】「子規、最後の八年」関川夏央:著 講談社:刊
 とにかく、やっと読めました。実に、ゴールデンウィークごろに読み始めたので、約2月かかったことになります。正岡子規や夏目漱石らが、明治から大正の時代に、日本文学を確立するためにもがき苦しんだことにとても深い関心があります。時には、身体や精神も犠牲にしつつ、苦闘するさまにすさまじいものを感じます。しかし、一方で子規が28歳で結核を発症し、35歳でこの世を去るまでの8年間はとても充実した「濃厚な」ときであったと感じました。一部の俳句以外にあまり知らないわけですが、改めて子規の残した作品を読んでみたいと思いました。
 余談ですが、子規は本当に果物、特に柿が好きだったようで、この話の中にも何度も出てきます。到底、私には子規を語ることはできません。そんな風に感じました。そして、どんなに短い時間でも、子規の8年のように(到底無理か?)充実した時を過ごしたい、この400ページに及ぶ本を読み終えて思いました。

2011年6月19日日曜日

アンネの木


【今日の本】「アンネの木」イレーヌ・コーエン=ジャンカ:著 くもん出版:刊
 オランダのアムステルダム市、プリンセンフラハト263番地の裏庭に植えられた一本のマロニエの木。隠れ家生活を送っていたアンネ・フランクが見ていた木、春が来るたびに花を咲かせるこの木を見て、アンネは未来への思いをめぐらせていたのでしょう。冬の後には必ず春がやってくると信じることで、アンネは未来への希望を確信していたのではないでしょうか。
 このアンネを勇気づけていたマロニエの木が、2010年8月、強風のため倒れたそうです。しかし、その苗木は多くの国に送られて、自由と平和の大切さを伝えています。日本では、ホロコースト記念館、杉原千畝記念館などで、元気に育っているそうです。

 今日、10:00〜 広島県福山市にあるホロコースト記念館副館長である吉田明生先生による講演会がありました。演題は「アンネ・フランクが伝える平和のメッセージ」、おもにアンネの日記を紹介しながら、アンネが平和への思いを紹介する内容でした。「わたしは世界と人類のために働きます!」私もなにかができる人になりたいと思います。

2011年6月5日日曜日

アンネ・フランク その15年の生涯


「アンネ・フランク その15年の生涯」黒川万千代:著 合同出版:刊
 NPO法人ホロコースト教育資料センターからのメールで紹介されていたので、注文をしようと思っていたのですが、たまたま寄った本屋さんにあったので購入。黒川さんにとっては何冊目のアンネ・フランクに関する本になるのでしょうか。アンネに関する最新の研究の成果等がおりこまれたものになっているようです。特に、アンネ一家がオランダに住むようになった経緯や隠れ家での生活の様子などがかなり詳しく書いてあり参考になりました。実は、アンネ・フランクについて学習したところですが、事前に読んでおくとより具体的な話ができたと反省させられます。密告者についてもなかり研究が進んでいるようで、このあたりも曖昧に話してしまったので、先に読んでおけばと悔やまれます。次回、少し補足しなければと思います。


2011年6月4日土曜日

絵本4冊


「ひよこのアーサーがきえた!」
           ナサニエル・ベンチリー:著 文化出版社:刊
「オオカミグーのなつかしいひみつ」きむらゆういち:著 童心社:刊
「ちいさなつきがらす」    マーカス・フェスター:著 講談社:刊
「わたしはいまとてもしあわせです」  大住 力:著 ポプラ社:刊

 生協のカタログを見て買った4冊。いつも命をテーマにした絵本を買っているのですが、たまには別のテーマも面白いかなあと思い買ってみた。「ちいさなつきがらす」はいじめがテーマです。マーカス・フェスターという人は知らないのですが、「にじいろのさかな」シリーズも読んでみるかなあ。

2011年5月16日月曜日

コスモスとバラ


【コスモス畑プロジェクト】
 5月14日(土)9:00〜 「コスモス畑プロジェクト」に参加しました。昨年に引き続いての参加となりました。やせた土地なので、バケツに土と種を入れて、よくかき混ぜて地面にまきました。
 作業は1時間半ほどで終わり、その後スープとパンをいただいて帰りました。秋にはお花見会が予定されています。楽しみです。子どもたちは、各自がまいた場所に看板を立てていました。

【アンネ・フランク展】
 5月15日(日)は、聖イエス会高浜教会で開催されている「アンネ・フランク展」を見に行きました。アンネのバラが咲く時期にあわせての開催ですが、たくさんの人で正直びっくりしました。実行委員の人に聞くと、京都や大阪からも来られている方もあるとのこと。
また、町内からもたくさんこられており、男の人がひとりで来られるケースもあったそうです。そして、改めて「こんなことがあったのか」と驚かれる方も多かったそうです。普段何気なく見ていたバラの花のいわれを知ると、新鮮に見えることでしょう。こんな小さな教会で(というと失礼ですが)、こんな企画を提供していただけることに感謝。アンネ・フランクやホロコースト、杉原千畝さんのことなどに多くの方の関心が広がれば幸いです。
 6月19日(日)には、ホロコースト記念館副館長 吉田明生さんの講演会もあるとのこと、是非参加したいと思います。このように、さまざまな人権問題に取り組む方々の輪が広がることを期待します。微力ながら、なにかお手伝いができればと思います。植村牧師さんともお話ができ、顔を覚えていただいており、うれしかったです。右の写真は、教会で咲いていた「アンネのバラ」です。とてもきれいに咲いていました。


2011年5月3日火曜日

7つの制約にしばられない生き方



【今日の本】
「7つの制約にしばられない生き方」本田直之:著 大和書房:刊
 本田さんが考える7つの制約とは「時間・場所・人間関係・お金・働き方・服装・思考」のこと。
 なぜ制約されているか。それは、他人が決めた常識に乗せられているからだと。常識とは誰からつくったものにすぎないのであり、それは正しいのか、自分の幸せにつながるのか、その根拠はなんなのかを考えることが必要であると。なるほどと、参考になることが多い本であった。
 印象に残った文を書き上げる。
「自由に生きたいと思うなら、人からどう思われてもいいと覚悟すること。覚悟が必要。」
「自分が普段やっていないことをあえてやってみる。思考を柔軟にする。」
「雑用をおろそかにしていると、雑用から先へは進めない。」
「横の人間関係をつくるときに一番大切なことは、素直な人間でいること。」
「仕事上で起こるトラブルというのは、自分の力で解決できないようなことは起こらない。」
「年間でもちものの1/3は捨てている。」
 実は昨日届いた本でしたが、一晩で読めました。最近、あまり読んでいないのですが、連休は少しまとめて読もうかなあ。ちうことで、いっしょに「子規、最後の八年」も購入。こちらは400ページもある。さあ、読むぞ!

2011年4月29日金曜日

ノート・メモ フル活用術


気がつくと、4月もあと2日。今日からゴールデンウィーク。早いような、でもうっくりと時間が過ぎているような、あまり達成感のない1月でした。
【今日の本】
「仕事がはかどるデスクワーク&整理術のルールとマナー」オダギリ展子:著 日本実業出版社:刊
「ノート・メモ フル活用術」永岡書店:刊 作者は?

 仕事が変わって、とにかく事務の効率アップを考えていたときに、書店で見て、衝動買いした2冊かな?あわせて文房具のカタログ的な本として購入?「パッチパンチ」というパンチを発見。穴を開けると同時に補強パッチが貼り付けられるというすぐれもの。切り替えもできるので普段使いもOK。しかし、なぜか穴の位置が普通のパンチよりも浅め(端の近く)についてしまうという欠点もあり。それに、一度にたくさんパンチできないという弱点もあり。まあ、パッチをはるのは、一枚一枚の方がいいので、仕様上、これは仕方ないか。75点というところかなあ。※ナカバヤシのホームページから借用。

 ノートって、なにかしっくりこない。リングノートは半分に折って書きやすいのですが、リングのあたりが書きにくかったり、あとで並べるときに必要以上に場所をとる。また、A4版は資料がそのまま貼れるので好きなのですが、面積が広すぎて置きにくかったり、スペースがあいてもっちなかったり。この本を読んで、A4横向きで使うことを教えていただいた。最近はそうしている。半分に分けて使うとかなり使い心地はよい。ノートは「ライフ クリッパー クラスペーパーノート」です。
 

2011年4月16日土曜日

A LONG VACATION 30th Edition

【A LONG VACATION 30th EDITION】【NIAGARA CD BOOK 1】とにかくファンというものは、そこになにか未発表なものなどが入っているだけで買ってしまうのです。音の状態が最高でるとか、臨場感とか際立った音色もあるけど、とりあえず買ってしまうものです。ということで、幸せな気持ちであります。あっ、ついでに【EACH TIME 20th EDITION】もあわせて買っていたり。

2011年4月12日火曜日

新学期

 最近、忙しくて、なかなか本を読めないので、仕事のことを少し書きます。
 学校では、入学式が終わり、始業式、交通安全教室と慌ただ
しく、行事が続いていきました。「位置について、ようい、ドン」というより、「位置について、ドン!」
という感じで、行事の担当者の忙しいこと、忙しいこと。傍から見ていると、簡単なように見えて、いざやってみると大変なものです。このあたりもなかなか理解してもら
えないところなんでしょうね。でも、きちんとやってしまうところが、またすごいところです。ごくろうさまでした。
 ところで、前庭にある桜の木、今が見頃です。
上から見るとわかるように、隙間が
多くなってきて、年々弱ってきているように思いますが、今年もきれいな花を咲かせて、子どもたちを迎えてくれました。

 本の話ですが、昨日選挙の立会人をしていたのですが、午後はほとんど人が来な
いので、iPhoneにいれてある「もし高校野球の女子マネージャーがドラッガーの『マネジメ
ント』を読んだら」を読んでいました。もちろん、一度読みましたが、また半分くらい読みました。(本当に暇だったので!ってこんなこと書いていいのかなあ。)実は、「マネジメント エッセンシャル版」も入っていて、こっちは
まだ全部読んでいないので、読もうかと思ったのですが、なんとなく場に合わない気がしてやめました。しかし、なんと読んでも面白い。例えば、学校にとっての「顧客」は?子どもたちの「現実・欲求・価値」とは?この話を学校という組織に当てはめて考えてみると、いろいろと気づかされることが多い。
 「消費者運動が企業に求めているものこそ、まさにマーケッティングである」という文章がある。消費者運動とは、学校でいうと、授業のボイコット、学びからの逃避、授業不成立、学級崩壊であろうか。それは、まさに授業の改善を求めている子どもたちの声である。学校に対して、私たちの「現実・欲求・価値」からスタートしてほしいと訴えているととらえなければならないのであろう。反省させられる。

2011年3月7日月曜日

一歩を超える勇気

【今日の本】「一歩を超える勇気」栗城史多:著 サンマーク出版:刊
 本当にエベレストに単独で、かつ無酸素で登ることができるのだろうか?7500mを越えると空気の?酸素の?量が3分の1になるらしい。随分前、スイスに行ったとき、ロープーウェーで一気にモンブランに登り、そこで疑似高山病を体験したことがある。普通に歩くだけでも息苦しくなった経験がある。それを8000m以上でなんて、考えただけで恐ろしい。単独で、ビデオを撮りながら登るというのも大変だろう。しかし、彼は苦しいときこそ「苦しさにありがとう」という気持ちでがんばれるという。
 実はこの本を読んだ後、BSJで「地球の頂で」というドキュメンタリーを見た。栗城さんの番組である。たまたまチェックしたホームページで知った。何というラッキーか。彼と彼を支えるスタッフのみなさんの戦いの様子を見ることができ、大変幸せであった。そして、改めてその過酷さを実感できた。今回の挑戦は失敗したが、しかし、また次がある。本の中にあったように、成功の反対は失敗ではなく、何もしないことなのだ。
 彼の挑戦に励まされている人はたくさんいるのだろうなあ。いつの日か、エベレスト登頂成功のニュースが「YOUTUBE」から流れてくるのだろうなあ。その日がくるのが楽しみである。

2011年3月6日日曜日

お江と春日局

【今日の本】「お江と春日局」植松三十里:著 NHK出版:刊
 しかし、最近の大河ドラマの歴史考証はどうなったいるのか。かつては、もっと歴史の事実にそくしたものだったように思うが、「江」などを見ていると、江が家康と伊賀越をしたなんていうのは本当なのか?いったい「江」は今いくつなのか?本当によくわからない。時代考証は、小和田哲男先生だったと思うのですが、おかしいなあ。柴田勝家が本当にあんな人物だったら、笑うだろうなあ。時代劇というより、ドラマを見ている感じです。それで、いいのか。
 ところで、この本も、やはり歴史小説というジャンルなのでしょうか。どこまで本当?って、そんな風に読んじゃいけないのでしょうね。面白かったのは、家光に側室を与える行。衆道に走る家光のために女性を男装させて相手させるという考え、このあたりは本当なんでしょうか。どっちにしても面白い。最後にあるのですが、2人ともが泰平の世を臨んでいたのでしょうか。どのなのかなあ。
 

いま「学級革命」から得られるもの

【今日の本】いま「学級革命」から得られるもの 園田雅春:著 明治図書:刊
 2月に参加した「第2回人権教育と生活綴り方研究大会」の折りに紹介された本。帰ってきてすぐに購入。いっきに読みました。ブログに紹介するのが遅くなりました。最近よくありますが。
 「学級革命」とはいうまでもなく小西健二郎さんの有名な著作であり、それを園田先生が紹介したものである。もう半世紀くらい前の作品であるが、貧困や学級崩壊などの問題をかかえる今、改めて読み返してみると、今さらながらに学ぶところが多いと感じる。
 ここ3年くらい、生活綴り方の実践を見直してきたところであり、研修会でも紹介してきたが、子どもたちの現状を考えると、まさに生活綴り方の出番という気がする。
 この本を来年度の研修会で取り上げてみようか、読み合わせをしようかと思うくらいである。子ども理解の基本的な視点、学級づくりの具体的な方法などを学び、子ども観、教師観、教育観を大きく変えてくれるに違いない。すべての教師に読んで欲しい本である。あわせて、「学級革命」も購入した。春休み(学年末休業)くらいに読んでみようか。

2011年2月24日木曜日

ガラシャ

【今日の本】「ガラシャ」宮木あや子:著 新潮社:刊
 ちょうど大河ドラマ「江」で本能寺の変が放送されたあとだったので図書館に行ったときに目に止まり、借りて読みました。もしも、周到な準備をして本能寺の変が行われたら、もう少し見方も多かったのでしょうか。関係ないが、実は本能寺の変には光秀は参加していなかったという説もあり、それも面白いなあと感じます。どうも不可解な戦いです。
 いずれにしても、このことが娘であるガラシャの運命を大きく変えることになるのですが、これまでは、父である細川幽斎がガラシャにきびしく、忠興はかばったというように見ていたのですが、これを読むと全く逆でした。基本的には「家」を守ることが第一だったわけですから、大きな差はないと思うのですが、少し意外でした。
 「幽斎」という章もあるわけですが、朝倉、織田、明智とある意味では美しいものだけをもとめてきた幽斎にとって、秀吉は見にくいというところは、なるほどと同感できる部分でした。家督を譲っておいてよかったというところでしょう。
 また、話は変わりますが、一乗谷はとても落ち着く、大好きな場所ですが、この「味土野」にもとても興味があります。春になったら出かけてみようと思います。

2011年2月20日日曜日

それから

【今日の本】
「それから」夏目漱石
 実は、この間、このブログを書いていないので、実は先に書いた絵本以外にも読み終えた本があります。その一つが「それから」。実は、秋頃から読んでは休み、読んでは休みを繰り返していた本でした。宿命に逆らう物語、それに三角関係の物語である点は、漱石らしいものか?明治という時代にもがきながら自己を確立するためにもがく姿にはとても興味があります。漱石は時間があればどんどん読んでいきたいと考えている。次は。「門」か、または「坊っちゃん」なんかもいいかなあ。

「近世身分社会の捉え方」塚田孝:著 部落問題研究所:刊
 この間の部落史研究の成果を山川出版高等学校日本史教科書をもとに説明している。教科書には以前目を通したことがあるが、改めてこの本を読むと、その変わりように気づかされる。こういう内容であることを高等学校の先生方はどのように理解されているのだろうか。この通り教えれば、かなり最先端の内容の授業になるはずだが。機会があれば、聞いてみたいものだ。もう起源論という思考法自体を見直す必要があるのだろう。


 

2011年2月19日土曜日

ちょっとまとめて

【今日の本】
「かたあしだちょうのエルフ」 おきのがく:著 ポプラ社:刊
 エルフはみんなを守るために戦い、最後は木になってしまいます。そして、ずっとずっとみんなを見守り続けます。

「じぶんの木」 最上一平:著 岩崎書店:刊
 伝じいは言います。「だれにでもじぶんの木というものがある。じいちゃんが死んでも、じいちゃんの木は、どこかで生きつづける」と。そうやって命はつながっていると。

「さよならをいえるまで」 マーガレット・ワイルド:著 岩崎書店:刊
 ハリーは、ジャンピーの死をすぐには受け入れることができません。さよならが言えるまでには少し時間が必要なのでした。

 少し前に読んだ絵本なので、まとめて感想やらを書きました。命の絵本もたくさんになりました。ブックトークができそうかな。
 また、2月10日〜11日の2日間、三重県に出張に行きました。そのことは、また別の機会に書くとして、電車に乗るときに、駅の売店で文芸春秋を購入し、芥川賞受賞作品を読むことにしました。「苦役列車」はすぐに読めました。でも、「きことわ」の方はなんとなく苦手で、途中で断念しました。

2011年1月26日水曜日

「捨てる」で仕事はうまくいく

【今日の本】
「捨てる」で仕事はうまくいく 櫻井孝昌:著 ダイヤモンド社:刊
 図書館で借りた1冊。これは、どちらかというと、手帳派?アナログ派?というわけで、」期待していたものとは違う感じでした。気になったことは、「自分に習得できないスキルは捨てる」とこうこと。これは、大切だと思う。そういう時間を捨てるということ。それを捨てることによって、違う時間を生み出すということ。自分自身の生活や学習の中で、「何を捨てるか」考えてみることって大切かも知れない。

2011年1月22日土曜日

「戦争」が生んだ絵、奪った絵

【今日の本】「戦争」が生んだ絵、奪った絵 野見山暁治ほか:著 新潮社:刊
 図書館で借りて読みました。「今年の夏は『無言館』に行ってみたいなあ。」そんな気持ちがとても強くなりました。
 いっしょに「iPhoneを100倍活用する本」も借りた。iPhoneはいいんだけど、いろいろと活用法を知るたびに、つながらない!を解消してほしい。アンドロイドがどんどん増えているわけで、この問題を解決しないとやばい。本体を比べるとかなりの差があると思うが、そういったことも改良してくるだろうし。ソフトバンクさん、よろしく。

2011年1月16日日曜日

そうか君は課長になったのか。

【今日の本】
「そうか君は課長になったのか。」佐々木常夫:著 WAVE出版:刊

 課長になるにあって「志」を持つこと。
 在任中に何をするか。
 課長になってから課長の勉強をしているようでは遅い。

 こんな言葉が印象的でした。でも、一番印象に残ったのは34章?「自分の頭で考える人間になる」でした。「どういうわけか、多読家に仕事のできる人が少ない」、つまりインプットが多すぎて自分の考えが形成されない恐れがあるというのです。なるほどなあ。「本を読むうえで大切なことは、そこに書いていることが本当に真実かどうかを冷静に見極わめる力である」というのはその通りです。考える力を養わなければ、読書は有害ですらあるというのもよくわかります。そのために、読書で得た知識を、現場の仕事にあてはめてシミュレーションしてみることが大切でうと。
 氏は、自分の気に入った本や感動した本を読み返すようになったそうです。「良書は何度読み直しても、あらたなはっけんや、新たな教訓をくみ取ることができるのです」というところはとても教訓的でした。

2011年1月7日金曜日

2011年 正月から大変でした

 2011年 新年あけましておめでとうございます。

 今年は大晦日から元旦にかけて、大変なことが起こり、とても正月気分ではありませんでした。
というのも、年末に帰省していた長男が大晦日に大学のある島根県松江市に向けて出発したのですが、ご承知のように記録的な大雪に遭遇し、ガス欠やバッテリー切れで立ち往生し、あわせて携帯のバッテリーの切れかかるという災難に遭ってしまったのです。9号線で二晩過ごすというはめになってしまいました。やっとのことで居場所を確認し、JAFに連絡しても200件待ちの状態、警察や市役所、県庁、国土交通省など、ありとあらゆるところに連絡をとりました。やっとのことで、アパートの手前まで来たのですが、学生が多いためか人通りが少ないようで1m近い積雪で、やむなく道路脇に自動車をおいて帰るほどでした。

 今回のことで、様々なことを学びました。
1 やはりJAFにはお守りとして入っておくべきである。
2 バッテリーを充電するコードや携帯を充電する装置を用意しておくこと。
3 ガソリンは早め早めに入れておくこと。

 今回たくさんの方々にお世話になりました。
9号線に立ち往生しているとき、「菱食(りょうしょく)」という店の方々に、自動車の移動を手伝ってもらったり、店に入れていただき休ませていただいたり、携帯電話の充電をさせてもらったりしたそうである。
また、「国土交通省の管理事務所」の方には、ガソリンを無料でいただき、バッテリーのチャージもお世話になったそうである。わたしが電話したときはチャージはむずかしいといわれたのですが、現場にいかれた方がわざわざ取りに帰っていただいて対応していただいたようでした。本当にありがとうございました。
 想定外のことで初期対応が遅れたというような新聞等の報道がありますが、現場の方々は持ち場持ち場でやれることが精一杯していただいたと思います。この場をお借りしてお礼申し上げます。

 昨日になり、やっとアパートの駐車場に入れたようです。周辺のみなさまにもご迷惑をかけました。