2022年3月31日木曜日

アンネのこと、すべて

【今日の1冊】「アンネのこと、すべて」 アンネ・フランク・ハウス:編

              小林エリカ:訳 石岡史子:日本語版監修


 小林エリコさんの本、この間読んだ本の索引で見つけた本です。石岡さんも関わっておられるのですね。 

 アンネ・フランク・ハウスに全世界から届けられたアンネやホロコーストに関する疑問や質問に答えるためにつくられた本です。内容もさることながら、写真や資料も多く、読み物としても資料としても大変充実した内容です。

 おもな出来事を記しておく。

  1942年7月6日 隠れ家(プリンセス運河通り263番地)に移る。

  1944年8月4日 隠れ家に入って761日目に見つかる。密告による?

  1945年2月   アンネ、チフスで死亡。    

  1960年5月3日 アンネ・フランク・ハウス オープン

 最後に、父オットーさんの死の直前の言葉を書き記す。

「いまあなたがおかれている状況のなかで、できるかぎり平和のために働けるよう、アンネの本が、これからもあなたの人生の支えになりますように。」

 自分も平和のために働かなければと思います。

2022年3月29日火曜日

iPhone8、バッテリー交換

 現在使用中の「iPhone8」ですが、最近、いろいろと問題が出てきました。

 1点目は、バッテリーの容量低下。2点目は、容量不足。買い換えを考えたのですが、高額でなかなか手を出せない状況でした。

 ところが、本日、「スマホ修理工房」という店でバッテリーの交換をしました。30分くらいでできるということなので、買い物中にできました。ネットで調べていた値段よりも安かったので、即決断しました。結果は、以下のとおり、最大容量100%となりました。都会に行くと、いろいろな店があるのだなあと感心しました。


 あとは、容量確保ですが、ソフトを削除したり、写真などのデータを削除しながら、だましだましやるしかないかなと思っていますせっかくバッテリーを交換したのだから、もうしばらくは使いたいと思います。これで、アップルの保障対象外になったわけです。

2022年3月25日金曜日

今週のオオキンレイカ

 【今週のオオキンレイカ】

 今日から令和4年、オオキンレイカの成長記録を開始します。4月を前にして、新しい芽が出はじめました。昨年度、植え替えをしたオオキンレイカは、半分近くが枯れてしまいました。今年は、水やりを欠かさないようにして、これ以上、枯らさないようにしたいと思います。

 写真は、昨年度植え替えをしたオオキンレイカです。しっかりと根がついているものは、このように芽が出てきます。これ以外に、昨年度芽を出したものもあります。それらは、来週、紹介します。





2022年3月21日月曜日

スーホの白馬 補足

 先日のスーホの白馬の記事について補足します。

1 スーホという名前について

 以前から、半分冗談でしたが、スーホという名前は、馬(ホース)を逆さまに読んだものではないかと勝手に考えていました。ところが、本を読んで、モンゴルの道具の名前であることがわかりました。モンゴル語で「スフ」、賽野版「馬頭琴」では「蘇和」とあるものを作者大塚さんが中国語読みに訳したものが「スーホ」です。「スーホ」という道具は、一方が斧、「もう一方がかなづちになっている道具です。ソ連や中国の国旗にあるマークがそれです。

2 馬頭琴の起源となった物語

 モンゴルには、「スーホの白い馬」という話はない。モンゴルには「クフーナムジル」という起源伝説がある。「天女と恋に落ちた兵士が、兵役が終わるときに黒い駿馬をもらう。駿馬は足も速く、空も飛ぶことができ、兵士は天女に会いに行くことができた。しかし、そのことに嫉妬した地元の女性が翼を切ったために死んでしまう。悲しんだ兵士が木材で作ったものが馬頭琴である」という話である。

3 作者の思い

 作者である大塚さんは、日本の子どもにモンゴルの草原の壮大な風景やそこに住む人々の生活を知らすことによって、日本の子どもたちの想像力をふくらませ、異文化への関心を促したいという願いを持っていた。また、絵を担当した赤羽さんは、当時、満州国の成吉思汗廟の壁画作成に関わっている。当時は、モンゴルにある成吉思汗崇拝の観念を日本武士道のなごりをとどめる思想と結びつけようとしていた感がある。1932年に満州国が建国され、内モンゴルの東部も満州国に編入していることも背景にあると考えられる。

4 賽野版「馬頭琴」の背景

 貧しい羊飼い=無産階級、王様=搾取階級。支配者は搾取階級であり、悪であるので、絶対に倒さなければならないという階級闘争の思想のもとに創作された物語であるといえる。そういった、当時の中国の社会主義的発想にあおられて作られたものといえよう。馬頭琴を弾くたびに、スーホの中に王への憎しみが蘇る、搾取階級への憎しみを忘れてはならないという意図のある文学といえる。もちろん、日本語訳の話には、このような表現は軟らかくなっている。

 どのような背景があろうとも、日本語版の「スーホの白馬」の価値に変わりはありません。しかし、同時に作品の背景を知ることで作品の理解が豊になると言えるのではないか。正直な話、今回初めてこの背景について知りました。

2022年3月19日土曜日

スーホの白い馬

 【今日の1冊】日本人が知らない「スーホの白い馬」の真実 ミンガド・ボラグ:著 扶桑社新書:刊

 「スーホの白い馬」は、光村図書版 小学校国語科2年生の教科書に掲載されている物語である。長く親しまれた作品であるが、この本を読むまで、モンゴルの民話であり、馬頭琴の名前の由来であるかのように理解してきた。スーホが大事にかわいがっていた白馬が王様に殺され、その白馬の骨で作ったというのが馬頭琴であるという物語を読み、遠いモンゴルという国に思いをはせていたように思う。また、読解教材としてだけでなく、モンゴルについて理解するための国際理解教育の教材のように扱って来たように思う。しかし、モンゴルに「スーホの白い馬」とういう話はなく、モンゴル人も知らない民話らしい。さらに、モンゴル人は、馬を弓で殺したりしないとか、大会の賞品に女性をかけることもしないそうである。詳しく調べると、中国に「馬頭琴」という話があるらしい。あまり詳しく述べることは控えるが、物語の背景やその矛盾点、そして、物語にかかれているモンゴルのことを正しく理解することが必要であることに気づかされた。もちろん文学作品として読む上では、フィクションと考えればそれでいいかの知れませんが、この作品を扱う課程でモンゴルについて誤った理解をさせないことが重要です。

 「スーホの白い馬」の不自然な点などについて興味がある方は、是非本書をお読みください。

2022年3月18日金曜日

光の子どもたち

 【今日の1冊】「光の子どもたち 1〜3」小林エリカ:著 リトルモア:刊




 放射能の歴史をひもといた本。マリーキュリー氏が発見し名付けた放射能、新元素ラジウムは人類の希望となるのか。長寿の薬としてもてはやされた希望の光ラジウムは兵器となる。考えてみると、科学者は科学の進歩として新しい発見をしていく。しかし、それを使う目的をまちがうと恐ろしいことにつながる。もしかすると、毒ガスや原子爆弾を開発した人は、この開発が戦争を早く終わらせることにつながると信じて開発したのかも知れません。そう考えると、悲しい。1〜3まで読んだわけですが、続編のあるのだろうか。まだ、関東大震災までですから。

 内容については、これくらいですが、そもそも作者については全く知りませんでした。どういうきっかけでこの本を買うことになったのだったか?漫画家と言うことですが、作家としても素晴らしい。取り上げるテーマも、アンネフランクだたり、核の問題だったりと興味をそそります。芥川賞の候補になった作品もあるようなので、そちらも是非読んでみたい。

2022年3月13日日曜日

ほっきょくで うしをうつ

 【今日の1冊】「ほっきょくで うしをうつ」角幡唯介:著 阿部海太:絵 岩崎書店:刊

死をめぐる絵本シリーズ  闇は光の母④


 角幡さんは、探検家。北極を探検中に、食べるため、生きるためにジャコウウシを殺したときの話。実話?そのときの鳴き声が今も耳に残っているらしい。また、ジャコウウシを殺したとき、そばに仔牛がいたが、一匹では生きていくことはできないと思い、一緒に殺した。自分ならどうしただろうか。阿部さんの挿絵がダイナミックで、すばらしい。


 【もう1冊】「スープとあめだま」ブレイディーみかこ:著 中田いくみ:絵 岩崎書店:刊 死をめぐる絵本シリーズ  闇は光の母⑤


 姉につれられてホームレスの方々を支援するボランティアにでかけたぼく。最初は全く関心がなかったが、シェルターでスープを配るお手伝いをしたとき、おじさんからあめだまをもらう。ぼくは、それを「いのちをつなぐあめだま」とよび、変容していくという話。


 これで、「死をめぐる絵本シリーズ  闇は光の母」のすべての作品の紹介をした。どの絵本もも死について考えさせる絵本として作者たちが野心的に挑戦していることがわかる。5冊をよんで感じることは、月並みな表現になるかもしれないが、「死について考えることは、生きることを考えることだ」ということです。よりよく生きるということはどういうことかを考えさせられた気がする。すばらしい作品たちである。低学年にはむずかしいかな。

2022年3月12日土曜日

クヌギがいる

【今日の1冊】「クヌギがいる」 今森光彦:著 城芽ハヤト:絵 岩崎書店:刊

 死をめぐる絵本シリーズ 闇は光の母 シリーズ②。


 作者の今森さんは、カメラマン。琵琶湖の自然と人々とのかかわりをテーマに撮影しておられ、NHKで里山をテーマとした番組も多く放映されているらしい。この絵本では、クヌギとそこに扱ってくる虫や鳥たちの姿をとおして命のつながりについて描いておられる。また、城芽さんによる油絵によるイラストも迫力満点である。

 このシリーズを読んでいると死を見つめることは生を見つける営みだとわかる。

2022年3月11日金曜日

わたしは しなない おんなのこ

 【今日の1冊】「わたしは しなない おんなのこ」小林エリカ:作・絵 岩崎書店:刊

 死をめぐる絵本シリーズ 闇は光の母 シリーズ第1作。


 「わたしの望みは、死んでからもなお生きつづけること! 」というアンネフランクの言葉に触発され、書かれた作品だそうだ。人は死んでも、人の記憶に残る限り生き続けるという言葉を聞いたことがありますが、まさにそのとおりだと思います。自分の書いたものや言った言葉が誰かの記憶の中で生き続けてくれる限り、陽とは死なないのだと思います。

 先日紹介した「ぼく」と同じシリーズです。まだ残り3冊あるので1冊ずつ紹介したいと思います。

2022年3月8日火曜日

ぼく

【今日の1冊】 「ぼく」谷川俊太郎:著 合田里美:絵

 この本は、死をめぐる絵本シリーズ 「闇は光の母」の三作目?に当たる作品です。


 「ぼく」がかかえている思いは、「ぼく」にしかわからないもので、ほかのだれにも理解できないものなのかも知れません。しかし、「ぼく」と同じように悩んでいる人は、わたしたちの近くにもいるかも知れません。友だちといたいと思ったり、麦茶やおにぎりのことを考えたりしている、どこにでも普通にいる「ぼく」のことに、わたしたちは気づくことができるでしょうか。

 「ぼく」は、生きたかったはずです。それなら、どうしたら、生きることができたのでしょうか。どうしたら、「ぼく」の気持ちを理解することができたのでしょうか。周囲に全く話そうとしなかった思いに気づくことができたでしょうか。いや、理解できたら、死なずにすんだのでしょうか。

 この絵本は、「ぼく」のことを知ろうとすることの大切さに気づくことを通じて、読者自身が自分のことを考えることの大切さを絵本です。今、学校には、教室に入りたくても入れない子、教室からとび出してしまう子、不登校で学校に登校できない子などがいます。なぜと考えるとき、個人の特性にばかりが話題になりがちですが、教室には入ることができない子がうるのなら、その子を受け入れられない周囲がある、そういう雰囲気があると考えることが大切だと思います。「その子」の問題は「わたしたち」の課題であるはずです。この絵本の「ぼく」は、自分自身かも知れない。そんなことに気づけたら、そんな風に考えることができたら素敵だと思います。

 おもしろかったので、残りの4巻も注文してしまいました。

2022年3月3日木曜日

シベリア抑留

【今日の1冊】

「シベリア抑留 米ソ関係の中での変容」小林昭菜:著 岩波書店: 刊


 先日参加したレクチャーコンサートの講師であった小林先生の著書。お話しをお聞きして、大変興味を持ったので購入しました。

 これまでに引揚について読んだ本は、どちらかといえば古い本で、体験記など、元にしている資料に限りがあったのですが、ゴルバチョフのペレストロイカ以降に公開されたソ連公文書などの資料をもとに書かれており、大変興味深い内容でした。巻末の参考文献のページだけでも40ページもあることからもそのことがうかがえます。

 はじめは、労働力確保のための始まった抑留が、冷戦の進行のなかで、親ソ化を担う人材を育成するためへと変化したという面があったことがわかります。結局、抑留者のみなさんは、終戦直後の米ソの主導権争い、大きくいえば、冷戦下での米ソの思惑に翻弄されたといえるのではないでしょうか。そもそもソ連の参戦自体が、米ソの主導権争いの結果ですから。

 話は変わりますが、2022年3月3日は、全国水平社創立100周年にあたります。さまざまな取り組みが予定されていると思いますが、改めて、創立100周年を迎え、この問題の今日的な到達点に立ち、その歴史的意義について考えることが必要だと思います。

2022年3月1日火曜日

氷の海を追ってきたクロ

 【今日の1冊】「氷の海を追ってきたクロ」井上こみち:著 学研:刊


 第二次世界大戦後、多くの日本人がシベリアに抑留され、極寒、飢餓、重労働という三重苦のなか強制的に働かされました。そんなつらく厳しい生活のなか、クロという一匹の子犬が飼われ、抑留者に、やさしさやぬくもり、そして生きる力を与えてくれました。時は流れて。1956年(昭和31年)、日ソ共同宣言が署名され、抑留者全員が帰国することになりました。犬は船に乗せることができないため、おろされたクロですが、船を追って冷たい氷の海に飛び込みます。そして、助けられたクロは抑留者たちと一緒に日本にやってきます。

 有名は、クロの話です。紙芝居にもなっています。ここでは、話の内容は、これ以上取り上げず、このクロに関わった方がどうして抑留されることになったのかを説明したいと思います。

 まずは、川口市三郎さん。この方が、建設現場でクロを拾い、ラーベリーに連れてきた方です。帰国に際して、ナホトカから港まで連れてきた方です。川口さんは、稚内生まれの漁師さんで、漁の途中、誤って日本の領海を越えてしまい、領海侵犯の罪とソ連んお情報を探りに来たスパイとして懲役20年の刑を受け、抑留されました。

 次に、松尾幸一さん。川口さんもいた作業班のA班の班長さん。肺結核にかかり、他の日本人より1年早く帰国します。もし生きて帰れないとき渡してほしいと写真撮影をします。その写真に、川口さんやクロも写っています。松尾さんは、陸軍少尉で、終戦直後、樺太島民の食糧事情を調べる仕事についていました。そのことが、ソ連の秘密を探る仕事をしていたと思われ、戦争犯罪人として軍事裁判にかけられ、懲役20年の刑を受け、抑留されました。

 最後に、郡司長次郎さん。松尾さんと同じく、作業班B班の班長さん。開拓団として、樺太で働いていた。終戦直後、会社の書類を持って、町を歩いているとき「スパイ」とされ連行されました。

 この三人の抑留にいたる理由は、理不尽極まりないと思います。どれひとつとっても、10年も抑留される理由には当たりません。言いがかりもいいところです。シベリア抑留というものの不当性に改めて憤りを感じました。クロの話は知っていたので、本の内容からは離れたことを書きましたが、この3人に限らず、一人一人の抑留者がどのような理由や経緯で抑留されたのか詳しく検討していきたいと感じます。

※本に載っていた記念写真。下の列の真ん中が「松尾さん」、その左で「クロ」を抱いているのが「川口さん」です。白黒写真をカラー写真にしてみました。勝手にしてはいけいないかなあ?と思いつつ。