2013年12月26日木曜日

落語家の通信簿、絵本3冊

【今日の本】
「落語家の通信簿」三遊亭円丈:著 角川新書:刊

  落語家「三遊亭円丈」が、落語家を論評した本。前口上では、世界初と書いてある?
 名人から若手までの53人を論評している。落語界のしきたりや裏話が書いているのが興味深い。また、付き合いのあるなしなど、やはり落語協会等の団体や一門同士の壁というか隔たりのようなものを感じる表現があってそれも面白い。そして、円丈さんの個人的な好みが前面に出ていて好きです。批評とか通信簿というものは、こうでなくっちゃと思う。ちなみに、僕は古今亭志ん朝が好きである。円丈さんいわく、亡くなってからのCDやDVDがいいらしい。といわれても、僕場合、生前の記憶がほとんどないので、CDやDVDしか知りませんが。余談ですが、最新柳家小三治のDVDを購入した。今生きている人では、小三治さんがいいです。



【今日の絵本】久しぶりに3冊購入。

「いのちの木」ブリッタ・テッケントラップ:作・絵 森山京:訳 ポプラ社:刊
 森にすむひとりひとりにとって、特別な存在であるキツネ。その キツネが旅立ち、森の仲間たちは悲しみにくれます。しかし、キツネとの思い出をみんなでもちよるうちに、悲しみは変化していきます。 やがて、キツネがなくなった場所から、キツネと同じ色の芽が出てきました。そして、大きな大きな木になるという話です。

 誰でも、愛する人との別れを経験します。でも、 それは避けることができないことです。でも、その人のことを感じたとき、思ったとき、語ったとき、その人は、すぐそばにいるのかもしれません。
 この本を読んで、「忘れられないおくりもの」を思い出しました。

あとは、題名のみ紹介します。
「いじめっこ」ローラ・ヴァッカロ シーガー:作  なかがわ ちひろ:訳 あすなろ書房:刊
「こぐまのくうちゃん」あまんきみこ:文 黒井 健:絵 童心社:刊 

2013年12月24日火曜日

3連休


 
12月21日(土)職場の日帰り旅行。大阪・三田(兵庫)方面へ。
 昼食は、ホテル大阪ベイタワーでランチバイキング。夕食は三田屋本店でのステーキ、ロースハム。
 あとは、大阪市内自由行動が3時間。梅田から御堂筋線に乗ってアップルストア心斎橋店へ。目的は2つ。一つ目は、「Ipod classic」のバッテリー交換。二つ目は、「Ipad air」用のスタイラスペンの購入。

LOGICOOL ウルトラスリム キーボードカバー TK710WHまず、バッテリー交換は、機種が古くてできませんでした。1割引きで買い取ってくれるそうなので、思い切って購入しました。思わぬ出費ですが、こうすればヘッドフォンのリモコン機能も使えるのでまあいいか。 スタイラスペンは、売っていませんでした。アップルとしては、指で使うことを想定してますというあっさりとした答えでした。でも、、、、。ということで、しばらくは様子をみることに。ネットでもいろいろと話題になっているようなので。




 ということで、時間もあったので、店内を物色し、「Logicool Ultrathin Keyboard Cover」と「Mobee The Magic Charger」と「Smart Coverブルー」を購入。ペンがダメならキーボードも試してみようかと。また、カバーは折角薄いのだから、カバーだけでいいかと。そもそも傷がついてもいいんじゃないの?そんなにきれいに使わなくても。なら、保護シートも使わないことにしようか。そうすれば、SU-penも使えるし。マウスを載せるだけで充電できるのはいい。すこし軽くなって使い勝手もいいようです。

12月22日(日) 「永遠の0」を映画館で見る。
 昔の角川映画じゃないけど、「読んでから観るか。観てから読むか」ということで、今回は「観てから読む」になってしまいました。正確には、4分の1は読んだのですが。最後まで、読みたいと思います。映画としては、最後の数分間がいっきに展開される感じでした。特攻なんて、ほとんど成功しなかったんだろうと思っていましたが、本当だったんでしょうね。本当に無意味なことだったのでしょうね。そういうなかで、どんどん精神的にやんでいってのでしょうか。信念を持って生きるということのむずかしさ、人を愛するということ、また、生き残ったものの使命など、いろいろと考えさせられました。やくざの親分の刀の意味がそういうことだったのかとわかったときも感動でした。本ではどう書かれているのか,逆に楽しみです。

12月23日(月) 三田(兵庫)のイオン、アウトレット
 アウトレットでは、Nikonの店に。Dfを触ってきました。ちょっと大きいですが、いい感じです。D4の部品をそのまま突っ込んで感じです。シャッタースピードダイヤルの感じがいいですね。こういうのが欲しかったのです。Nikonの文字はやはりまっすぐの方がいいですね。高いけどね。あと、28−300もみてきましたが、今使っている、タムロンに比べると、こちらはかなり大きいです。重いし。24−85があるので、70−300という選択もありかなとか。とりあえず、当分はタムロンのままかな。

2013年12月18日水曜日

Mariya's Songbook

【今日のCD】「Mariya's Songbook(初回限定版)」
 デビュー35周年なんですね。「BEGINNING」が1978年でしたか?ちょうど大学1年生の頃だったと思います。友だちがLPを買ってきて、それを借りて聞いた記憶があります。確か僕は杏里の「アプリコットジャム」を買ったと記憶しています。海外録音が4曲程度含まれているという新人としてはラッキーなデビューだったと思います。そういえば、「夏の恋人」は達郎さんの曲でしたね。
 まりやさんは、当時、かなり注目されていたと思います。アイドル不在の時代で、桑江知子、杏里と3にんで、アイドルの替わりもさせられていた時代でもあったと。そのあたりは、中途半端な気もしますが。よく思えているのは、当時FMというとスタジオライブを公開する番組が多く、まりやさんもよく出ていたことを覚えています。グループサウンズから日本のオールディーズなで、内容もバラエティーに富んでいてとても面白かったことも。当時の音源が残っていないことが残念です。
 改めて、CDを聞くと、ライターとしての竹内まりやのすごさを実感できます。こんな人にも書いていたのかと、新たな発見があります。80年代のアイドルから森光子さんまで、数多くの歌手に曲を提供してきたんだなあと。個人的には、岡田有希子さんなんかが懐かしい。可哀想なことをしました。改めて竹内まりやの作品の魅力を再発見できました。話によると、全曲完全最新デジタルリマスターらしいのですが、このあたりは達郎さんの仕事なんでしょうかね。音もいいです。
 おまけですが、このCDには、初回限定版と通常版があって、前回の「クリスマスイブ」同様に2枚とも買ってしまいました。最近どうもおかしい。寝ぼけていて、注文したことを忘れてしまうのでしょうか。どうしようかな。

2013年12月15日日曜日

「舟を編む」「藁の楯」

【DVD】久しぶりにDVDを2作見た。
一つ目は「舟を編む」、2つ目は「藁の楯」。

「舟を編む」は、大渡海という辞書を作る話。原作はベストセラーだったらしいのですが、映画のほうは普通かな。原作を読んではいませんが。個人的に辞書は大好きで、「新明解国語辞典」などは、第3版から全部持っている。iOS版も持っているし、「広辞苑」はもちろん「明鏡」や「(学研版)国語大辞典」などを揃えている。iOS版の「大辞林」は重宝している。なかでも、新明解国語辞典は傑作。特に第4版、読んで笑える辞書である。物語文を教える際には、必ず2・3冊は意味を読み比べたものである。いくらコンピュータが発達しても、やはり手作業なんだなあと思って見ていた。
宮崎あおいさんやオダギリジョーさんもいいんだけど、いかしきれていない感じである。

「藁の楯」は、なんとも暗くて、後味が悪い。大沢たかおと松嶋菜々子がSP役なんですが、守るべき相手が「守るに値しない犯人」なのだ。まったく反省がなく、とんでもないその役を好演しているのが藤原竜也なのですが、ほんとうに憎たらしい役を演じている。あまりにうますぎて、かえって気味が悪いくらい。結局死刑になるわけですが、そのために松嶋菜々子演じるSPが死ぬ必要があるのか?大沢たかお演じるSPが刺される必要があるのかと。ほかにもいろんな人が犠牲になるが、そのすべてがスッキリしない感じです。仕事なんでしょうが。それも最初のほうは使命感が強い感じはするのですが?
でもなあって感じです。

2013年12月14日土曜日

Parallels Desktop 9 for Mac

【Parallels Desktop 9 for Mac】
 MACを使っていても、ときどきWINDOWSのソフトを使いたくなるときがある。
例えば、この季節。年賀状の季節には、「楽々はがき」が必要である。「ラベルマイティー」などもちょっとしたことに大変便利で重宝する。
 MACでWINDOWSのソフトを動かす方法には大きく3つある。
 一つは、BOOTCAMP。2つ目は、CROSSOVER。そして、3つ目にPARALLELなどの仮想ソフトがある。最近までCROSSOVERを使ってきた。再起動も、OSもいらないからである。しかし、起動できるソフトには限りがあり、一太郎はOKだが、楽々はがきやラベルマイティーは対象外である。そこで、BOOTCAMPに改めて挑戦しようと考え、WINDOWS7のアップグレード版を購入した。(VISTAを持っているので)しかし、マーベリックの場合、WINDOWS7が必要で、アップグレード版からはインストールができないことがわかった。(-_-;)
 そこで、思いついたのがPARALLELでした。何年か前、バージョン4か5の時に一度試してみたが、かなり重くて使い物にならなかった経験があるので、どうしようかと迷ったが、せっかく7にバージョンアップしてのが、もったいないのでダメ元で最新版を購入してみました。いつのまにかバージョン9でした。早速アマゾンで購入。
 インストールは簡単でした。VISTAから7へのバージョンアップもスムーズでした。ただ、表示はVISTAのままなのが、少し気に入りませんが。動作も非常に軽い。とりあえず、一太郎とラベルマイティーを入れてみましたが、問題なく動きます。ここ数年の進歩はすごい。
 さらに驚きは、「Parallels Access」このソフトを使うと、iPadからMAC上のソフトを操作することができる。まだ、少ししか試していないが、うまく使えば、iPad上でワードやエクセルを操作することもできるはずです。これはすごい。
 ということで、大変満足のPARALLELでした。Accessについては、もう少し使ってみて報告できたら

2013年12月1日日曜日

出雲大社

結婚式場!
こちらが本殿!
11月30日(土)日帰りで「出雲大社」に行ってきました。6時に東舞鶴駅前を出発し、約3時間半出雲に滞在し、22時に東舞鶴駅舞に帰ってくるという強行スケジュールでした。60年ぶりの遷宮(改修?)ということで記念にという意味です。しかし行ってみると、思っていたほどの規模でなく、意外と小さいんだなあという感想です。いつもテレビや写真で、大きなしめ縄のあるところをイメージしていましたが、そこは結婚式場で本殿ではないことも初めて知りました。丹後にある元伊勢神社の場合もそうですが、山の中のほうが宮津側のほうより趣がありますが、出雲大社も個人的には海が近いせいか趣がないような感じがします。もう少し奥まったところのほうがいいなあと感じたりしています。10月、神在月のため、縁結びのお守りが売り切れてありませんでした。そんなことあるんだとビックリしましたが、名前を書くと後で郵送されるようでした。でも、それならそこまで行かなくてもいいのにと思ってしまいます。大量には作れないのだろうか?いりおいろt発見があった旅行でした。

【今日の本】「生きるということ」黒井千次:著 河出書房新社:刊
 バスの中で読みました。63の短編からなる新書です。おもしろいと思ったところを何編か紹介します。
①先生からの質問
 著者の作品が教科書に載った際に、その解釈について、先生から手紙をもらうそうである。わからないことは作者に聞けばわかるということなのでしょう。それについて、黒井さんは「先生はどうして全力で考えて自分の責任で結論を出さないのか」といわれます。また、「作品は、作者の手を離れたら独立の命をもつ」とも。作者が死んでいたらどうするのかという文とともに、作者でなく一読者として考えをおくられたそうです。そうすると、一人の女の先生からは返事もなく、もう一人の男の先生からは「作者もわからないんと聞いて教室が大笑いになった」という返事をいただいたそうです。
 大笑いとは、どういう意味なんでしょうか。「なんだ、結局書いた人もわからないんだった、なら僕たち真剣に考えてバカみたい」とでもいうのでしょうか。読むとは、答えを探すことなのでしょうか。私たちは、そのような授業をしていないでしょうか。そんな読み手に育てていないでしょうか。考えさせられました。

②秘密と無駄と
 黒井さんは、読書の形が変わってきたいわれます。読書ってなんなんだろうと考えさせられました。 読書離れということがいわれますが、本当の読書の楽しみってなんだろうと。黒井さんは「一冊読み終えるごとに身長が1cm伸びるような気分で読み続けた」といわれます。読書とは「公明正大な営みではなく、限りなく個人的な営みである」と。そして、「秘密と無駄を失った暮らしは虚しいものになってしまう」と。

 実は、①の次の短編です。2つが一番印象的でした。感想文を書くためにしか本を読まないなんて生徒もいるのでしょうね。作者もわからないことだから真剣に考えてみようと考えられるようになりたい。僕はこう思う、私は違うと思うというように。そんな読み手を育てたい。読むという行為についていろいろと考えさせられました。「曇った鏡」という短編では、本を買わないで読むことが多くなったといわれ、そんな読書はその程度のものであるといわれる。「本は自分を映し出す鏡である」といわれる。本が面白いか面白くないかの感想は鏡に映った自分であると。鏡には強い光があたらないと自分の姿ははっきりと見えない。強い光とは、本をしっかり読むということである。そういう意味から、借りた本は曇った鏡であるといわれる。厳しい意見である。