「夏目漱石と西田幾多郎ー共鳴する明治の精神」小林敏明:著 岩波新書:刊
釈 宗演について調べていくと、鈴木大拙や夏目漱石につながる。そこから、西田幾多郎にもつながる。一人一人も魅力的ですが、それぞれがどう関わったかを見ていくことも重要であろう。この本のほかに、「鈴木大拙の原風景」、「大拙と幾多郎」という本もいっしょに購入した。福井の勝木書店本店?です。さすがに、このあたりでは大きな本屋さんです。専門書が多くて助かります。思わずまとめ買いをしてしまいました。
ここでは、2人と釈宗演の関係を知りたくて「第三章 一生の宿題となった公案の問い」と中心に紹介します。もちろん全部読みましたが。
夏目漱石
1894年(明治27年) 鎌倉円覚寺で参禅し、釈宗演から公案を
授かる。「父母未生以前本来の面目」
1910年(明治43年) 「門」
西田幾多郎
1891年(明治24年) 鎌倉円覚寺に鈴木貞太郎(大拙)を尋ね、
今北洪川から公案を授かる。
1896年(明治29年) 洗心庵の雪門老子に参禅。
1897年(明治30年) 京都妙心寺で虎関宗補のもとで参禅修行。
その他、天竜寺管長 滴水宜牧、
大徳寺管長 広州宗沢などの門も
たたいている。
1901年(明治34年) 雪門老子から「寸心」の号を授かる。
1903年(明治36年) 大徳寺の広州禅師のもとで公案を透過。
1911年(明治44年) 「善の研究」
漱石と幾多郎という明治を代表する二人が公案という臨済宗特有の問答法と格闘したという事実は興味深い。とりわけ、漱石は、作品を書くことによって、「この公案と格闘したのではないかと言われている。
こうして読んでいくと、雪門玄松についても知りたくなる。水上勉さんの「破鞋」を読んでみるか。また、西田幾多郎さんと虎関宗補さんとの関係も浮き出てきた。こうやてみていくと、相関図ができあがっていく感じがうれしい。
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