2011年9月20日火曜日

一つの花 まとめ5 N先生へ

【一つの花 まとめ5】
 7月から続く実践は、先生がまとめを書き上げることによって、一応の区切りがつきました。課題をおしつけた格好になった実践記録ですが、書き上げることによって、先生自身のまとめとなることを期待していました。これが書き上がってから最終のまとめを行う予定であったことと、その他の事情に、もっと遅れて今日になりました。今さらという感じがあるので、少し別の視点からまとめをします。
 学ぶ活動は、対象世界にはたらきかける活動であり、それをつうじて、自己をかたちづくる活動であり、他者との関係を築き上げる活動です。したがって、学びの実践は、①学習者と対象との関係、②学習者と自己との関係、③学習者と他者との関係を再編成する活動であるといえます。学びがそのようなものであるならば、教師の学びも同様である必要があります。①は、教材研究であるといえます。②は、実践の振り返り、振り返りをつうじた振り返り、③は、実践についての協議、対話といえます。学びには、自分自身を反省的に考察し、自己と対話する活動が必要であり、それが実践記録でした。そして、これが実践記録にこだわった理由です。実践を豊かにすることは、自己を豊かにすることにつながるのです。
 また、旧ソビエトの教育学者であるヴィゴツキーの代表的な理論に「発達の最近接領域」というものがあります。簡単に説明すると(簡単に説明した結果、かなり誤解されているともいえますが)、「子どもがひとりで問題を解決できる発達のレベルと、その問題解決の過程に教師や仲間の援助が介在したときに達成される発達のレベルとの間に存在する『発達の可能性』の領域」を意味します。この「子どもが」を「教師が」と読み替えると、我々教師の指導者としての「可能性の領域」、『成長の可能性』といえるのではないかと思います。一つの実践で成長する、したということはないと思いますが、今回のやりとりから、その可能性を感じることができました。(というと、すごくえらそうですが、すみません。)しかし、努力した分、つぎつぎと「最近接領域」は広がるわけで、立ち止まっていては、次の成長はありません。したがって、次々に、自分に課される課題に取り組まなければなりません。なんてね。(たとえ話に使うような理論でもないのですが。)
 最後に、ひとつ。先生の認識では、次は「まず本からですね。」なのですが、私の発想では、例えば、あの本を読むことは先生にとっての、今回の「実践のまとめ」の1部、「まとめのまとめ」「総まとめ」だと思っています。「異動するまでに読めるかなあ」なんて言ってないで、今「まとめとして」読まないと、例えば、次の「ごんぎつね」の実践は「ない」と思います。それは、③の一部?なのです。休みが続くのですから、是非読んでみてください。そんなむずかしいものではありませんし。「餞別」にするつもりはありませんから。
 追伸 ごんぎつね」といえば、なんとなく「ごん」の気持ちがわかるようなこのごろです。今読んでいる本が分厚いので、本の紹介は休みです。



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