2013年8月3日土曜日

いじめで遊ぶ子どもたち


【今日の本】「いじめで遊ぶ子どもたち」村山士郎:著 新日本出版社:刊

 なんとも大胆な題名である。今の子どもたちの実態を的確に表現している言葉であり、同時に、その子どもたちをつかむことのむずかしさをうまく表現している。
 
 今の課題は、「子どもたちをどうとらえていけばいいのか」ということになると思う。
例えば、いじめを例にすると、「いじめ、いじめられる関係」の中で遊び的に行われていて、つかみにくいという実態がある。その中では、いじめの事実をどのようにして把握するかが課題であると。
 大切なことは、まず、子どもたちの事実をとらえること、そして、その理解を深めること。いじめは見つけにくい。それを認知するためには、教師と子どもの信頼関係が前提である。子どもたちが日々何に喜び、何に悲しんで生活しているのか、そのことを教師が身近かに感じるような関係づくりが必要。さらにその子の内面の真実、一番わかってほしいことを理解しようとすることが大切であると。

 そして、子ども理解の取組に生活綴方の教育手法を生かしていきたいと作者は言う。

 教師が子どもを観察したり、聞き取ったりして理解した事実と、子ども自身が表現したものも子どもの事実とみなすこととでは大きく違うのではないか。
 教師の観察には、願望や思い込みが入りやすい。もちろん書いたものにも、事実と違うことが含まれる場合もありますが、それらもふくめて丸ごと受け止めていくことが子どもに安心を与えることにつながる。そして、何よりも表現する過程で自己と向き合い、自己教育力を引き出すことができる。さらに、それを教室で読み合う土壌をたがやすこと。子どもたち自身の見方も変えていく。

 これらは、まさに生活綴方の手法、そのものである。

追伸 最近、生活綴方を生活綴り方と書くようだが、なんとなく違和感がある。そういえば、文部科学省では、子どもを子供と書くように統一させるようだ。特にこだわるつもりはないが、でも違和感はある。


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