2011年6月29日水曜日

一つの花、本の帯


 本の帯について考えてみた。本の帯は何のためにあるのだろうか。これまであまり意識してこなかった。学生時代は、栞代わりに使っていた。だから、昔読んだ本のほとんどの本には帯は残っていない。新書版や文庫版の場合は、立って読んだりすることも多く、そのカバーすら邪魔で捨てていたように思う。だから、本の帯なんて、あまり重要でなかったのではないだろうか。
 しかし、最近は少し事情が変わっているように思う。本のカバーや帯もデザインの一部として初めから考えて作られているように思う。
 昔の帯はせいぜい4分の1程度の幅であったと思うが、最近は、3分の1以上、多くは2分の1程度が当たり前となっているようだ。例えば、手元にある『「仕事が速くなるプロの整理術」吉越浩一郎:著 日経BP社:刊』や『「そうか、君は課長になったのか。」佐々木常夫:著 WAVE出版:刊』などは2分の1程度あり、カラーで大変見やすいものがついている。
 さらに、『「他人を見下す若者たち」速水敏彦:著 講談社現代新書:刊』に至っては、4分の3程度もあり、帯(こうなるとほとんどカバーだが)を外すと、まったく
違う本のようである。はっきり言って、このカバーがなかったら、この
本を書店で手に取ることはなかったかも知れない。カバーにある『「自分以外はバカ!」の時代』の文字は、本の題字よりも大きいし、帯にあるマンガのインパクトといったら本当
にすごい。同じようなマンガが中にもあって、その一部を載せているのかと思いきや、中にはマンガなど全くない。実は小さい文字で「ビックコミックス連載中」と書いてるのだが、小さすぎて気がつかない。そのマンガの顔が作者の顔と少し似ているのだから困ったものである。詐欺のようなものである。これは、実にうまくできている。最近見た帯のナンバー1である。また、『「職場は話し方で9割変わる」福田健:著 経済界:刊』に至っては、カバー=帯とい状態である(多分この本には帯がなかったと思う。違っていたらすみません)。いずれにしても、本を売るために、大変な
努力をしていることが伺える。最近では帯を読むのが楽しみになってきているくらいである。
 実は、今、本の帯をつくる学習に取り組んでいる。というか、正確には取り組んでいる先生がいて、そのお手伝いをしている(邪魔?をしているようなもの)。単純なことのようで、なかなか面白い。そういう目で本を見ると、上にも書いたように、実に個性的で考えられた帯が多いこと、多いこと。子どもたちには本の売り上げなどは無関係だが、きっと、ものすごい時間の産みの苦しみがあるのだろうと思われる。要は、文章の「要約」と「引用」の学習といえるのだろうが、一人一人の読みが活かされて、個性的な「帯」が出来上がるのが今から楽しみである。担任には、当分産みの苦しみが続くのでしょうが(与えている?)、子どもたちがつくった帯が宝物に思える日がくることを祈っています。

0 件のコメント: