2021年9月13日月曜日

パソコン温故知新

 【今日の1冊】

「パソコン温故知新 インターネット前夜編」 SuperWorke:編 河出書房新社:刊


 昨日、おおい町の図書館で見つけて、借りてきました。おもしろくて、すぐに読んでしまいました。副題にあるように「40代以上には面白く 30代以下には役に立つ」内容と言えます?役立つかなあ?歴史を知る上ではいいかなあ。「最強のDOSマシンとして愛されたPC-98シリーズ」、「国産パソコンの傍流の系譜」、「一太郎の蹉跌」、「QV-10がパッケージしていた未来」という章が特に気に入りました。読んで感じたことをだらだらと書いてみました。

「最強のDOSマシンとして愛されたPC-98シリーズ」

 PC-98は、当時個人でパソコンを使う人のほとんどが買っていた怪物パソコンであった。MS-DOSの普及と共に普及し、ほとんどのソフトがPC-98対応であった。ワープロの「一太郎」、表計算の「ロータス123」、データベースの「桐」、ほとんどの人が一緒に使っていた。我が家には、PCー98互換のエプソンのノートパソコンがあった。しかし、「ウィンドウズ95」の広まりと共に、その勢いは衰えていった。ソフトのウィンドウズ対応をとなったので、メーカーを選ぶ必要がなくなったからである。いつのまにか、ワード&エクセルが主流になった。でも、一部のマイナーな業界では、かなり長い間PC-98が主流であった。花火の打ち上げソフトなどがそうだった。

国産パソコンの傍流の系譜

 初めて買ったパソコンはX68000。いわゆる傍流?のパソコンである。PC-9800シリーズばかりのなかであえて購入したが、ソフトが少なく、仕事にははとんど使えずじまいであった。しかし、音楽や画像関係には強く、ながくDOSマシンやウィンドウズマシンと併用していた。とにかく、当時としては、とても独創的で革新的でした。「電脳倶楽部」や「おみこしかつぎ隊」など、なければ自分で作ってしまえという文化を持っていたパソコンでした。当時は、まだ各社ともに個性的な?というか独自のハードが多かった。FM-TOWNSなんてのもあり、教育現場では強かった。(内田洋行の力か?)今は、MACを使っている。「POWER BOOK G3」からのつきあいである。ふりかえると、X68000を買ったときも本当はMACがほしかったのですが、当時高すぎて、同じモトローラ製のCPU(日立製の互換でしたが)を使っているという理由で買ったのでした。 

一太郎の蹉跌

 ワープロというと、はじめは専用機。キャノンのキャノワード、富士通のオアシスを使っていた。富士通には、親指シフトや教科書体のフォントなどがあり、かなり個性的でした。パソコンソフトでは、まずは「一太郎」、当時はヴァージョン3。何といってもフロッピー一枚で動きました。十分不可欠な機能で、なによりユーザーの目線に立ったソフトでした。しかし、もう少し機能が欲しいということと、その後のVER4.3が使いにくかったことから、一時期「松」を使っていました。半角漢字が使えたこと、「桐」を作っている管理工学のソフトという点がよかったです。ただ、ウィンドウズへの対応が遅れたことにより、また一太郎に戻りましたが、VER5はトラブルが多く、VER8くらいから、やっと普通に使えるようになったと記憶しています。しかし、メモリーをくうため、Ⅰか月間研修に出る機会があったときに、一念発起して「ワード98」に移行しました。とにかく、当時は、まわりに誰も使っている人がいなくて、一太郎との発想と操作の違いに苦しみました。その後も機能につられて一太郎「承」?あたりまではユーザーでしたが、いまは購入していません。なんというか不必要な機能が多すぎます。でも、意外と教育現場ではユーザーが多くて、びっくりします。「縦書きは絶対一太郎だ!」とか「ワードの罫線に慣れない!」という声をよく聞きます。

QV-10がパッケージしていた未来

 初めて買ったデジカメは「カシオQV-10a」でした。25万画素だったかなあ?いまどき自動車のバックモニターでももう少しきれいな画像である。当時まだフィルムカメラが主流でしたが、撮ったその場で画像が見られて、家庭でも印刷ができる題名のとおり「パッケージされた」世界を持っていました。いまや、一眼レフカメラもすべてデジタルになってしまいました。一部残っているかな?携帯電話で撮る写真のきれいなこと。でも、カシオはデジカメから撤退してしまいましたね。先駆者だったのに残念です。

 この本を読んでいて、昔のことをいっぱい思い出しました。

0 件のコメント: