2020年7月31日金曜日

明智光秀を巡る旅〜熊川宿

【明智光秀を巡る旅〜熊川宿】
 1570(永禄13)年4月、織田信長は朝倉氏を討つために京都を出発し、若狭熊川に入ってきました。そのとき、明智光秀は先遣隊でした。信長は、敦賀において朝倉氏に大きな打撃を与えますが、浅井長政の裏切りにあい、命からがら朽木を抜けて京都に逃げ帰りました。そのとき、光秀は木下藤吉郎とともにしんがりを務めました。
 また、細川幽斎の妻であり、光秀の娘玉(細川ガラシャ)の姑である麝香は、ここ熊川城主である沼田光兼の娘であります。つまり、ここ熊川は、若狭と近江との国境、要衝であり、光秀とゆかりの深い土地といえます。


 得法寺。朝倉攻めの際に、家康の宿舎でした。





 家康、腰掛けの松。

 熊川城跡の登山口。雨の後だったので、登山はあきらめました。15分くらいで登れるそうです。



 宿場館(若狭鯖街道資料館)

 光秀ゆかりの地ののぼり。コロナがなければ、もっともっと盛り上がったことでしょう。

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