2020年7月5日日曜日

明智光秀を巡る旅 亀山城址

 亀岡市、亀山城址を訪ねてきました。丹波亀山城址は、現在、大本教が所有しており、大本教の会館で入城料を払って入場します。
 丹波亀山城は、天正五年(1577年)に明智光秀が丹波攻略の拠点として築城した城であります。本能寺の変後、豊臣政権下で、羽柴秀勝、豊臣秀勝、豊臣秀俊(後の小早川秀秋)、前田玄以が城主となり、関ヶ原の合戦後は、徳川家の支配下となり、岡部長盛などが城主となっています。しかし、明治に入り、1873年(明治6年)に廃城が決まります。その後、数名に売却を繰り返されるなかで、1919年(大正8年)に、宗教法人「大本教」の教祖、出口王仁三郎師が買い取り、現在にいたります。
 この城は、明智光秀が築城した城であると同時に、ここから本能寺の変に向かった城としても有名であります。1582年(天正10年)6月1日、光秀は13,000人の手勢を率いて丹波亀山城を出陣しました。翌2日早朝には、本能寺を完全に包囲し、織田信長を死に追いやったのでした。
 復元した城は、1936年(昭和11年)に政府によって破壊されるという不幸な事態に陥りますが、戦後、再修復と整備が行われました。おかげで、門や石垣、掘など、当時の城の様子を知る手がかりとなるものを見ることができます。光秀が植えたとされるイチョウ(跡継ぎ?)もみられます。ありがたいものです。

この2つ目の門が、当時の本丸入り口に当たるそうです。
江戸時代からあった井戸跡とされる石組みです。




天守の石垣。下3分の1は当時の穴太積みのままだそうです。





 光秀の手植えと伝えられるイチョウですが、江戸時代に台風で倒れ、跡継ぎに若木を植えたとされている。



 敷地内には植物園もあり、このようにきれいな花が咲いています。



 大名たちが残した天下普請の刻印だそうです。

 せっかく亀岡に来たので、京都伊三郎製パン亀岡店でパンを購入しました。100円パンの店。安くて美味しいと有名で、ちょうどお昼だったので、お客さんでいっぱいでした。

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