2020年8月15日土曜日

8月15日に考える

 まずは、8月15日(土)のできごとについて。
 15時〜 施餓鬼。

 お寺の様子。子どものころは、必ず誰かが水をひっくり
返したもので、そこに水を足す役の人がいました。今では
そんなことはありません。

 17時〜 仏送り。
 
 仏迎えをしたのと同じ場所。昔は、夜になると、わらの
船を海に流しました。この船にのって仏さんが帰ると教え
られました。今では、海が散らかるという理由で、形だけ
になりました。この船は毎年使います。


 8月15日は、第二次世界大戦の終戦を記念する日として、「終戦の日」または「終戦記念日」と呼ばれています。日本政府は、この日を「戦没者を追悼し平和を祈念する日」とし、全国戦没者追悼式を主催しています。しかし、日本において、第二次世界大戦が終結した日についてはさまざまな説があります。このことについて、少し詳しくまとめてみます。

①1945年(昭和20年)8月14日
 →日本政府が、ポツダム宣言の受諾を連合国各国に通知した日。
②1945年(昭和20年)8月15日
 →玉音放送により、日本の降伏が国民に公表された日。知らされた日?
  16日には、「停戦命令」が出される。
③1945年(昭和20年)9月 2日
 →日本政府が、ポツダム宣言の履行等を定めた降伏文書(休戦協定)に
  調印した日。この日を「終戦の日」とする考えもあるようです。
④1952年(昭和27年)4月28日
 →日本国との平和条約(サンフランシスコ平和条約)の発行により、
  国際法上、連合国各国と日本の戦争状態が終結した日。

 そもそも、米英中の3か国がポツダム宣言を発し、日本に無条件降伏を要求したのは1945年7月26日でした。その後、8月10日、日本政府はポツダム宣言の受諾を連合国に通告するわけですが、国体の維持を確認できないうちに、8月14日天皇の聖断によって終戦の詔勅が発せられ、ポツダム宣言の受諾が通告されます。そして、8月15日、玉音放送が放送されます。しかし、実際には、戦闘中止命令が行き届かなかったために、8月下旬頃までは戦闘が続いたと言われています。その後、9月2日に降伏文書の調印し、即日発効となりました。1951年9月8日に、サンフランシスコ平和条約が調印され、翌年、4月28日に発効しました。

各国の終戦記念日
 8月15日…日本
 9月 2日…アメリカ、イギリス、フランス、カナダ、ロシア
 9月 3日…中華民国、中華人民共和国、ロシア(近年まで、現在は?)

 以上のことから、8月15日を「終戦の日」とすることは歴史的に見ても無理があるように感じます。しかし、一方で、「終戦の日」、つまり戦前・戦中と戦後をどこで区切るかを決めることに意義があるわけではありません。大事なことは、戦争や戦争の歴史について深く学ぶにあります。そういう意味で、今年の15日あたりにもさまざまな番組や報道がありました。なかで、印象に残った番組が、「無言館の扉 語り続ける戦没画学生」でした。

 ※NHKのホームページから拝借しました。

 戦没画学生の遺作を所蔵する『無言館』。以前、「無言館のおと」という本で知りました。昨年、長野県上田市に出張に行く機会があったので是非訪れたいと思っていたのですが、あいにくの台風で休館となり夢が叶いませんでした。その美術館が紹介されるということでわくわくして視聴しました。番組の中で、劣化していく絵を修復されている「山領まりさん」という方が紹介されていました。その一枚一枚の絵との格闘の様子、完全に新しくするのではなく、いかにリアルに残すかということに心を配っておられる姿に感動しました。当時の白黒写真をカラー化するという取組がニュースになっていました。それはそれで貴重なことなのでしょうが、それとは違うなと感じました。番組の最後に、山領さんが、つい一月ほど前に亡くなられたと知りました。この作業は誰に引き継がれていくのかと不安になります。戦後75年、伝える方々の高齢化が問題です。先日の引揚記念館での講演といい、そういった機会をとおして戦争について考えることが大切なんだと改めて考えさせられました。特に、当事者の声を聴くのは、今しかできないと思います。
 8月15日なら8月15日でもいいので、ある日(期間)を決めて、戦争についてふりかえったり、考えたりする日が必要なのだと思いました。

0 件のコメント: