2012年1月29日日曜日

共同、協同、協働

最近授業を参観して、学び合い、グループ学習に課題があると感じた。
どの段階で、なにをねらって取り入れるのかなど、とらえ方がまちまちであると感じる。
 そこで、いくつかの本をもとに、グループ活動・協働学習について考えてみた。

 はじめに、「きょうどう」という用語について考えてみた。「きょうどう」には、以下のように3つの漢字がある。

「共同」…小集団で課題を分担して作業を行うこと。
「協同」…集団内で成員同士が目標を達成するような相互行動である。
「協働」…小集団として何かを共有していくこと。

 わたしたちが、最終的に目指しているのは「協働」であろう。「共同」や「協同」は、作業の均一な配分とか成員の均質性を前提とするが、「協働」は、成員間の異質性、活動の多様性を前提とし、異質な他者との相互作用によって成立する。英訳するとイメージがぴたりとくる。協働学習は「collaborative leaning」である。

 「協働学習」の背景には、学習を社会的なもの、文化的なものとみなす学習観があり、そのベースにはヴィゴツキーの理論「最近接発達領域」があると考えられる。「最近接発達領域」とは、子どもが自力で問題解決できる現時点での発達水準と他者からの援助や協力によって解決可能になる、より高度な潜在的発達水準の間の範囲のことであり、この領域に働きかけけることで、現時点での発達水準を引き上げるとともに、潜在的な発達水準を広げることができるというものである。つまり、子どもは一方向的に教育をうけるのではなく、相互作用をとおして自らの最近接発達領域を形成し拡張していくとみなされる。そこから、相互作用としての学習のモデルが生まれてくる。
 「協働学習」には、児童の理解を深めるだけでなく、自分の考えを作り出す、学習への参加意識を高める、児童の人間関係を築くなどの意味があるように思われる。つまり、一斉授業の欠点を克服する意味があるように思う。さらに理解という点に視点をあてて考えると、①説明や質問をすることで自己の不明な点が明らかになることでより深く理解できる、②相手の反応等を手がかりに、自己の思考をモニタリングできることがあげられる。そして、参加意識が高揚し、グループ意識が高まることによって、たとえ聞き役になり、発言していなくても正答率は変わらないという研究結果も出ている。

 さらに、協働による理解深化機能について「互恵的教授法」という活動の効果が紹介されている。研究(観察)詳細については省略するが、①ペアで相手に伝えたり、質問されて答えることで理解が明確になる、伝えるために具体例を出してみることによって、抽象的に理解していたこと具体例がつながり、理解が深まること、②教えたり説明した側の子どもだけに効果があったのではなく、教えられる側の子が教える子にヒントを求めたり、一生に解いてもらったりして相手の行動や話を見聞きする過程で、教えられる側の子どもも適切な援助をうけ理解を深めることが期待できる。
 しかし、この場合で重要なことは、「わからないときに相手に援助を求められる雰囲気や質問できる能力」であるといわれている。これも観察から明らかになっており、問題解決を尋ねられたときに、わかっている子どもが答えだけを教えた場合は、質問して教わった側はその後に類似問題を解いても解くことができず、教わっただけでは問題解決を修得しないことが明らかになっている。質問した子どもが納得するまで解決過程の説明援助をわかる人から受け続けること、受けられるように求めていく意思や行動が必要である。また、解き方を教わっても、その時は解けるようになっても、それだけでは効果は持続せず、類似問題を解いてみることで効果が持続するという結果も得ている。
 これらの結果から、解法を理解するまで質問などの援助を求め続ける援助要請が大切であうこと、また説明を受けたままでは効果がなく、もう一度その解法を自分で利用することが有効であることを示している。他から援助を受けられない子は、納得できるまで質問したりその知識を活用して見たりする経験がないため、意思も技能も持ち得ない。繰り返すが、その技術を身につけることが重要である。
 さらに、別の観察であるが、少数の大小を判断する問題を、1人でとくと42%の正解であったが、2人でとくと75%の正解があったことを報告している。しかし、しばらくして事後テストを行うと解けなくなっている子もいることを報告している。納得できなかった子や説明しても相手が同意してくれないと解けなくなるようである。

 つまり、結論は簡単なこと。グループ活動では、わからない子どもが、わからないときに相手に援助を求められる「雰囲気づくり」や「質問できる能力」を身につけさせることが重要であることがわかる。わからない子どもが活躍することが必要であり、まず、わからない子どもが真っ先にわからないことを発言することが必要であろう。わからない子どもがお客さんになることは許されない。また、こういう子どもを育てるためには、援助要請や援助の与える際の具体的な方法のモデルを、教師が一斉授業の中で示すことが生徒が相互にそれを使ってみるためにも必要と言える。
 
 結局は、当たり前のことがわかっただけなのですが、改めて再確認できました。

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