2020年5月3日日曜日

宿無し弘文

【今日の本】
「スティーブ・ジョブズの禅僧 宿無し弘文」柳田由紀子:著 集英社:刊

 ジョブズが亡くなり、たくさんの伝記や功績を書いた本がたくさん出版されました。そのなかで、そのジョブズが師と仰いだ僧侶「乙川弘文」氏についてふれられており、注目していましたが、氏について、くわしく書いてある本がなく、もう少し詳しくその実像を知りたいと思っていました。そんなとき、この本が出版されたので、即購入しました。作者は柳田由紀子さんということで、以前読んだ「ゼン・オブ・スティーブ・ジョブズ」の翻訳を担当された方だったので、さらに興味が増しました。
 一読した感想ですが、大変内容のある本でした。乙川弘文氏の足跡をアメリカ、ヨーロッパ、そして日本と自ら辿り、きちんと関係者からの取材を重ね、まるでドキュメンタリー映画を見るような内容の濃さでした。乙川弘文氏は、ここまで作者の心を虜にしたのでしょう。作者の追究により、乙川弘文氏について詳しく知ることができました。感謝、感謝であります。


 しかし、読めば読むほど、乙川弘文氏がわからなくなります。インタビューする人によって全く印象が違うのです。それらをあげてみると、「放浪癖」、「風来坊」、「無頓着」、「不道徳」、「日頃は良寛、女に関しては一休」などとさまざま。また、「釈迦の心をひたむきに学び、真実に生きた人」と言われるかと思えば、「お坊さんとして認めることはできない」という方もある。
 ジョブズとの関係で言うと、結婚式を乙川弘文氏が式師として執り行ったことは有名であり、NEXT社の宗教顧問であったことも有名。ジョブズやアップルの製品に強い影響を与えていると言われている。先ほどの個人の評価のところでも感じたが、この2人の関係については、ジョブズの功績などから、あまりに大袈裟に語ると本質が見えない気がする。要は2人は気があった、ウマがあったということだけじゃないのかとも思う。ジョブズの生き方やアップル製品に禅の影響が大きいというのも結果論ではあろうか、本当のところそんなに関係ないのではないだろうか。実際、ジョブズが禅をとことん突き詰めたのかどうかも。禅というよりも、とにかく「乙川弘文」氏なのではなかったか。新しいアップル社の社屋が円形であることと「円を描くように呼吸してごらん」といった禅の言葉も結果として重なっているだけだと思えたりする。禅というものを過大評価する人たちは、どうも、そういうことを言いやすい。余談ですが、釈宗演の話のなかにも、ジョブズがよく登場するが、どうしても違和感を感じてしまう。いかにも禅の影響を受けているといいがちだが、禅の影響も受けているというくらいでしょう。事大主義的な傾向があるように感じる。
 つまり、禅との関係よりも「乙川弘文」氏との関係が重要であるように思う。書体への情熱も弘文氏の書道からきているのかも知れない。直感を大事にするところなども。ある種、正反対であったから引き合ったのかも知れない。そう考えると、弘文氏については、もっともっと知りたいと思ってしまう。もし鈴木俊隆氏にこわれてアメリカに行かなかったら曹洞宗において、かなりの地位を与えられていたかも知れない。
 でも、あんまり個人をカリスマ化しないことが重要なんだとも思う。2人の出会いがものすごいドラマをつくったから仕方がないかも知れないが、一人一人がすごいのではなくて、この関係がよかったんでしょう。個々に見ると、人間くささや欠点が目立ってしまう。でも、それは当たり前。個々を神格化しないということかな。美しい曲をつくる作曲家が必ずしも美しい心をもっているとは限らないですしね。このあたりが、この本で再確認したことかな。だから、逆に、人間くさい部分をもっともっと知りたいと思ってしまう。とにかく、この本はすごい。

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