2011年7月2日土曜日

一つの花「第1場面」

 授業を見たら、きちんと思ったことを全部言わないといけないということで、第1場面の感想です。
 今日、授業の記録(ボイスレコーダー)を編集していて感じたこと。まずは、子どもたちの声が大きくて、盛り上げていたところという観点から。①最初の音読の場面。全員が声を出していたので当たり前ですが。ただ、研究会では言わなかったのですが、読む早さに感心しました。よくしつけ?られていると。たぶん速すぎるという声も聞こえてきそうですが、妙にゆっくりとして一本調子なのよりはよいと。個人的にはいいと思いました。②高い高いの話題になったとき。このときが一番つぶやきがたくさん聞こえました。一人一人が自分の経験をもとに、高い高いについて語っていてとてもおもしろい。指導者は、「ことば」をおさえることに必死でしたが、一人一人の経験に基づく「高い高い」の話を発表させながら、動作化などを交えて書かせたらと思うと、少し残念です。再度書かせてはと思います。例えば、お父さん役とお母さん役に分かれて、会話文を読ませるなども有効です。事前の指導案の段階で「お父さんになりきって」という部分を削除させたのが悪かったかなあとも思うところです。意味合いが違うのですが。このあたりは、最後の詰めが甘かったところですが。人の話をきかいないようできくという、むずかしいとこでもあります。
 研究会でも話したように、「一つだけちょうだいといえば、なんでももらえると思っている。」ことを、どうしてかわいそうというのか。授業の中では、教師のおさえはできていると感じますが、初発の感想でこのあたりが理解できていない子どもが本時でどう変わったかをおさえておく必要があります。また、ゆみ子を不憫に思う気持ちも再度おさえておいた方がいいかと。
 放課後話していたことは本当です。普通の授業のこと。教師の声の大きさや調子は授業に大きな影響を与えます。普段と変わらない声の調子で授業が進められたので、子どもたちとのやりとりが非常に自然でした。なかなか研究授業というとこうはいかないものです。普通すぎる部分もあってはらはらしますが、そのへんは録音を聞くと面白いです。度胸があると言うか、物怖じしないというか。でも、学び合いの授業では、このあたりがよく話題になります。
 しかし、細部をつめられなかったのが残念かな。というか、信じられない?帰るかなあ。あの状況で当然相談にも乗ろうと待っていると想像できると思うのですが。まあいいか。ということで、月曜日以降の第2場面がかなり不安です。準備しているとは思いますが。

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