2011年7月7日木曜日

解釈の修正

 文章の意味を正しく読むことを「理解」とするなら、その理解ののち、自分の内面から意味を補充し、自分なりの読みを構成することは「解釈」と言えます。この解釈の要素には「体験」と「経験」があります。子どもたちがぐずったときに親がどのようにあやしたかというような経験の差が解釈には大きく関わると言うことです。
 同時に、今の子どもたちは自分に固執する傾向があります。いったんある方向で読むと、なかなかそれを修正しようとしない。

【解釈の修正】
 自分の読みを修正することが苦手、自分の思いが跳ね返されたり、見直しを迫られありすることがほとんどない子どもたち。それゆえに、友達の読みと自分の読みを比較して、よりよい読みに修正する体験は重要です。自分よりも価値のある読みに出会えたときにそれを素直に受け入れたり、そこから学ぶべき内容を学び、自分の読みが高まってくることを実感したりすることは重要です。

 昨日の授業をみていて、そんなことをぼんやり考えていました。「友だちの意見から学ぶことがあったら本当におもしろいんだよ。」って、子どもたちにつたえてあげたかった。
 で、どうするかなのですが、作品の世界に入り込めるように場の設定や教師の多少の誘導(その気にさせる)もありかなあと思います。子どもたちを引きつけるような話術も必要だし。また、担任でもなく、クラスの誰かでもない、第三の話者の意見として、模範解答的な意見、考えさせる意見を紹介する方法もあります。たとえば、先生がまえに指導したときの児童という設定で。先生はこう思うというのを出して、話し合うこともできるなあ。
 しかし、児童の経験や体験の差は埋められない気もするし、そういうものにもとづいたものは現時点で尊重しなければならないのも事実ですが。あまり強引にはできないのでしょうが。

 とにかく、先生の思いや願いは必ず伝わると思いますので、くさらずにもう少しがんばりましょう。子どもたちにとっても、いまううんと考えたことがあとでわかることもあるので。このううんと考えたという経験が先生にとっても子どもたちにとってもよかったなあと思えるように支援したいと思います。迷う場面のあるのですが、なにごとも前向きに明るくが信条ですから自信をもってやりましょう。先生が迷った顔をすると、子どもたちも不安になります。「さあ、考えるよ。」って感じでやりましょう。わあ、もう7時だ。

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