2011年7月6日水曜日

一つの花 2場面後半−2

【混乱】
 ゆみ子を一生懸命あやすお母さんの気持ちを吹き出しに書いたわけですが、うまくいかないようです。授業を見ていたわけではないので、そこにどのようにして至ったのかはわかりませんが、吹き出しだけを読むと、約半数は「おとうさんに泣き顔を見せたくない気持ち」を書いているのですが、「あとで何かあげるから泣き止んで」といった吹き出しやお母さんの「バンザイ」や「かっこいい」といった言葉を真に受けているかのような吹き出しもあり、これまでの学習とつながっていないと感じるものが少なからず見られました。このあたりは、早々に修正が必要です。

【戦争】
 子どもたちに戦争や戦時下の生活などについて理解させることは大変むずかしいと改めて思います。この原稿用紙7枚程度の短い作品は非常に精選された文章であると思う一方で、文章に即して読むために書いておいてほしいことがあまり書いていないのではないか。だから、子どもたちは勝手に想像してしまう。その想像を許して(認めて)しまうと、この時代を理解できない子どもたちは、どんどんとわけのわからない方向に行ってしまう。「見送りが終わって帰ったら、何でも好きなものを買ったげる」というように。文章にも戻って考えようと言いたいところですが、そのあたりはしっかり書いていない。そうすると、ある程度先生の方で軌道修正が必要になる、これは仕方がないことなのでしょう。「これが最後になるかも知れない別れ」の場面でも。

【お父さんの行動】
 ということで、昨日の吹き出しについては修正し、もう一度書くことにして、問題はそのあとの、お父さんの行動や言葉の読みです。昨日の吹き出しのことを考えると、先生が引っ張る部分がかなり必要と考えます。「どうして、コスモスなのか」「どうして一つだけなのか」「なぜそんな偶然見つけたような?コスモスを大事にするんだようと言ったのか」などなど。
最後の場面のコスモス畑が印象に残っている子どもは、ダッシュの続きに、「花を増やして遅おくれ」なんて書きそうです。ここでも、この場面でのお父さんの切迫した気持ちに思いをはせないと、いや「はせる」ように持っていくことが重要です。そうすると、「コスモス」にはあまり意味はない、「一つ」と「花」に意味がある。ただし、一つはゆみ子の口癖をまねしたという部分もあるかも知れない。そうすると、「花」なのでしょうか。「花」=「ゆみ子」=「命」。そうすると、コスモスを見つけて渡すという行為はたまたまかも知れないが、それをあげるときには、ずっと思っていた「命を大切にして生きていてほしい」というような思いが表れていると。そうすると、1場面の「高い高い」、文子の将来に対する不安あたりからつながっている思いが、この偶然といえる行為と結びつくことになります。このあたりを考えさせる上で、昨日書いた主題に迫る発問が是非必要ではないでしょうか。『ゆみ子が大切にしなければならない「一つ」のものって何でしょう』というように。「花」=「ゆみ子」=「命」であるならば、それはお父さんの命でもあります。ゆみ子に生きてほしいと同時に、自分も生きて帰りたいという気持ちが当然あるはずです。このあたりが、「ゆみ子のにっぎている、一つの花を見つめながら」の読みにつながるとうれしいのですが。いずれにしても先生の誘導も必要な気がします。
 しかし、この時間の書き込みでは全く参考にならないかな。急いで書いたので、文章を読み直していません。おかしいところがあるかも知れません。とりあえず、吹き出しまでいけば、、、、。

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